何でも屋真壁嵐~ダイヤモンドに沈んだ陽~
かめだかめ
真壁と小林
十月も半ばに差しかかり、遅ればせながら東京を覆った秋の風。練馬の隅に小さく構える古アパートの前には、アパートよりは大きな小さい公園があり、そこには占拠せんばかりの不釣り合いなほど立派なイチョウの木が植わっている。陽光が黄を照らし、周囲の建物や子どもらの笑顔を華やかにする中、小林が目覚めを迎えたのは昼の三時を回ったあとだった。
「うう……ぐっしょん!」
くしゃみととものお目覚めは最悪極まりない。鼻水も出ているし、目もカミソリ負けの肌と同じく真っ赤だ。
原因は明解だった。
「くそっ……やめときゃよかった」
小林は目薬を差しながら、昨日の己の浅はかな行動を呪った。
大したことではない。たまには散歩と興じてみただけだ。小林はアルコールで痛い目に遭うような馬鹿な真似はしないし、女にうつつを抜かせる器量もない。ただときどき、ほんのちょっと、文豪になりきってみたくなったりするだけだ。
昨日はちょっと足を伸ばして河原まで行った。都内でも類を見ない自然豊かな土地柄、彼らは牛頭や馬頭のように、お調子乗りな罪人を待ち構えていたのだ。ブタクサやカナムグラ、ヨモギ等をお供に。
こうかゆいと仕事にもならない。言い訳を詰めながら、小林はテレビのリモコンを押した。ちょうどニュースの時間で、女性アナウンサーが神妙な面持ちである事件を伝えていた。
「本日正午、小説家のわだつみ大平氏(60)が、マネージャーらとの会食の際に突如苦しみ、病院へ搬送されました。命の危機は去りましたが、いまだ意識は戻らず……」
小林は一瞬、かゆいのも忘れてテレビに釘付けになった。
わだつみ大平という個性的なペンネームを知らない小説家志望は、それこそ牛頭馬頭に処されたらいい。二十歳の若さで直木賞を受賞し、鮮烈のデビューを飾ったあとも、のちのちの誰もが知る映画やドラマの原作小説を発表し続けている。わだつみの名は知らずとも、作品を見たことがない日本人はいないと断言できるほどだった。無論二十の頃は昼に起きて朝に眠る生活を繰り返し、それが悪化し続けている小林にとっては、神様に等しい存在だった。
だから、というわけではないが小林は、条件反射的に電話をかけていた。相手は――
「おい、おおい!」
『僕の名前は真壁だ。大井ではない』
電話の向こうはひどく冷静だった。あの人を食ったような笑みが頭に浮かぶ。
『君、もしかして泣いているのかい。そういえば花粉症だとこぼしていたね。薬を飲んで、眠るといい』
「まだ寝ろってのか! おまえ、おまえ……わだつ……わだ……セン、セ……」
今の小林につける薬がないことを彼も察したのだろう。真壁は芝居のようなため息をついて、こう言った。
『仕方がない。あれからひと月たっていないけれど、今日は特別だよ』
「……嬉しくねぇ」
『そう言わずに、聞いてごらん。なかなかタイムリーな話だから』
と、何でも屋真壁は、聞いてもいないのに話を始めた。
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