8−3
男一本、腕一本。それが、終わる。
馬車から外を眺めながら、マレンツィオはぼんやりと、そればかりを考えていた。
幼き日に憧れた、大提督ニコラ・ペルグラン。その栄華の終焉を、その血を引く男が自ら行う。そしてそれを、自分が支えていく。
夢ひとつ、終わらせる。新しい夢のために。
「閣下、お元気がなさそうで」
正面に座したカスタニエが、珍しくそういうことを言った。セルヴァンから紹介された秘書官で、心身ともに頑健であり、極めて優秀ではあるが、どこか人間味が薄いところがあった。
「世間話だがね。誰しもが、憧れを持って道を決める。その憧れていたものが、自分が思い描いたものと違っていた。そういうことというのは、あるだろう?」
「まあ、確かに。私は経験はないですが、それで脱落した人間は、いくらか周りにいました」
「俺も、そのひとりさ。ニコラ・ペルグラン。巨大な虚像だ。そして今、ルイソン・ペルグランが戦っている。その虚像を滅ぼすために」
「
「俺が
自分に言い聞かせるように、マレンツィオは、つとめて強く、そう言った。
はじめてあの若者と会ったとき、幼き日に見たものを、見たように思えた。
ダンクルベールという巨才。警察隊にいたとき、マレンツィオたちは、常にそれと対峙する必要があった。
マレンツィオは直属の上司であり、また捜査官より管理職としての才覚を持っていたため、直接的にやりあう必要はなかった。しかし他のものは、あの才能と並び、戦っていかなければならなかった。誰しもが比べられ、振り落とされ、突き放された。
あの褐色の怪物は、孤高だった。誰も並び立てなかった。並ぶには、アプローチを変えるしかない。ウトマンがそうしたように、別のかたちを取らなければ潰れてしまう。
ガンズビュールの後、他部署に異動してからも、ダンクルベールの噂は耳に入った。そしてどこか、つらいものを感じていた。
誰も、あれについていけない。いつしか警察隊本部とは、ダンクルベールになってしまっていた。
ジャン=ジャック・ニコラ・ドゥ・ペルグランと名乗る青年は、自然だった。そこにいるのが当たり前のように、ダンクルベールの隣りにいた。それが驚きであり、感動であった。
あの若者には何かがある。心が踊った。
ヴィジューションから戻った後、別件でダンクルベールが訪ねてきた際、ペルグランという若者について、詳しく尋ねた。
ほんとうは別の部署に行きたかったと。一年前は、不満たらたらのぶうたれ小僧だったと。何より、純朴な好青年であり、打てば響く。促せば発想ができる。素質も伸びしろも、素晴らしいものを持っていると。
ダンクルベールに並び立つものになれるかもしれない。あるいはそれを超え、従わせることも。それ以上になるかもと。
だから、ダンクルベールを説き伏せた。絶対に大きくしろと。お前の上に立てるつもりで育てろと。あれは必ず大成する。国のために、何よりも彼と、自分たちのためになると。
ダンクルベールも、同じ思いを抱いてくれていた。秘めているものが大きいと。自分のようにはなれないが、それを従える、大きなものになれるはずだと。だから、今までのように、いくらでも自分を頼るようにと、すがるように説き伏せた。
見初めた人と結ばれたいと、相談しに来てくれたこともあった。
名門貴族なれば許嫁が当たり前である。マレンツィオもまた、許婚こそいたものの、社交界で出会ったシャルロットを見初め、妻にと説き伏せた、恋愛結婚の経験者だった。
彼は自分のそれを行く、道ならぬ恋である。これには心服した。でかした、男の夢だと肩を叩いた。
またインパチエンスは、売られた身とはいえ南東育ちであり、シャルロットの同郷でもあった。
シャルロットは同郷の人間と話す時だけ、あるいは感情が昂る時だけ、故郷のことばが出る。南東の海沿い、
それがまた聞ける。何よりも嬉しかった。
廃嫡覚悟だとは言っていたが、インパチエンスがペルグランの境遇に心を痛めていた。だからセルヴァンとふたり、アズナヴール伯家に乗り込んだこともある。
あの時ふたりで、夫婦のどちらを立てるかで、事前に打ち合わせをした。頭を下げて、ペルグランを立てることを譲ってもらった。セルヴァンもペルグランを気に入ってはいたものの、きっとそういう思いだろうということは汲んでくれていた。
後方支援の第一人者である。性格の部分でぶつかることは多いが、仕事やそういった場面では、わかりあえた。
そして今、一族に、信義にもとる行いをされた。あの若者は、修羅になることを選んだ。ニコラ・ペルグランを滅ぼす。男の姿をした人形どもを、火で清めると。
ならば、あの日見た夢ごと、今のかたちを燃やしてくれ。恨みや怒りばかりを育む日々を、終わらせてくれ。
それを、ルイソン・ペルグランに託した。新たなる男の代名詞に。
「未練を残したくない。そしてまた、虚像に夢を見る人間も、増やしたくない。俺も、そういう虚像になりたくない」
「そのための養子縁組、家督相続。そして、“緩やかな革命”ですか」
「半分はな」
“緩やかな革命”。そう銘打った改革を、進めていた。
この国の誰も彼もが、国のあり方に疲れ果てていた。特に貴族名族たちは、名を保つことに精一杯で、そのために愚行ばかりを犯していた。
例外は、フォンブリューヌの地方豪族たちだろうか。あの場所だけは、ずっと発展を続けている。
だから、名から実を切り離す。それは王陛下や宰相閣下ですら、変わりない。
ユィズランド連邦では、武力と恐怖でそれを為したが、大量の血が流れていた。だから、ゆっくりと時間をかけ、国の仕組みを、民主協和的なものに変えていくべきだった。
宰相閣下が強硬手段に走っていた。それも、内務省によって阻まれた。
内務
あるいはその場に、王陛下すら交えた。王陛下もまた、保身に疲れていた。
ゆっくりと事を為すこと。憲法を制定し、王を国家の象徴とし、貴族を含めた国民全体によって
そしてすべては、試行錯誤の末に実現するであろうこと。
現在、一応の理解は得られている。野望を打ち砕かれた宰相閣下は従順だったし、王陛下は最初こそ拒否反応を見せていたが、権威を保証することを約束したら、素直になった。玉座は玉座でさえあればいい。もとより、そういう姿勢なのだから、あり方は変わらない。
ガブリエリと親子の関係になれたのも、うまく働いた。即座にブロスキ男爵としての家督も相続した。名を振りかざすことなく、発言していけるようになったので、他家からも理解を得られはじめている。
何年かかるかはわからない。それでも、将来が見えてきた。国の発展という、新しい未来が。ルイソン・ペルグランとガブリエリ・マレンツィオ・ブロスキという、新しい夢が。
「レオナルドは、ただ単純に、ダンクルベールめが羨ましくなっただけさ。実家が面目のために投げて寄越した若いのを、立派な男に育て上げ、親父と呼ばれるまでになったんだもの。俺もまた、親父と呼ばれてみたかったのさ」
「実の父でもない人を、父と呼ぶのは、よくわかりません」
「ありがとうと言われて、嬉しくないはずもなかろう?感謝と敬意、それの表現のひとつさ」
そう言うと、カスタニエは思い詰めた表情になった。
「私は、自分が人間であることに興味を示さないまま、ここまで来ました。機能のひとつとして、今もここにある。そう、定めております」
「それで、楽しいかね?充実しているかね?」
「はい、充実しています。そう思っております」
「なら、それでいいさね」
それを口にすると、カスタニエの顔に、いくらかの驚きが見えた。
「別にそれを否定したくて言ったつもりではない。人によって、考え方もあり方も違うのは、当たり前のことだよ」
思ったことを、思ったままに。それはルイソン・ペルグランから学んだこと。
カスタニエが子どもの頃、家庭に問題があったことは、セルヴァンから聞いていた。あるいはそれが人間性の欠如につながっているのかもしれないとも。それを否定するつもりも、矯正するつもりもなかった。
培ったとおりに生きればいい。それが自分が切り
「お前は、精密な時計の歯車のようなものだ。自分では狂うことを許してはいないだろう。だが、狂ったかもしれんと思うならば、一旦、遠目で見てみなさい。あり方は変えず、視点だけを変える。例えば油が切れていたり、他の歯車がずれていたり、ぜんまいが切れていたりする。それはお前の間違いではないのだから、気にする要はない」
「仰っていることは、わかる気がします」
「
それで、得心した様子だった。
「以上。爺の繰言、終わり」
「ありがとうございます。閣下はやはり、大人物です。学ぶことばかりです」
「おう。学ぶのはいいが、学んだ以上は活かせよ?俺とて、教えたことが正しいかを確認する必要があるからな」
そうして笑った。
人を育てるのは、楽しかった。
ほんとうは子どもがいればよかったが、ダンクルベールの子どもたちや、本家筋の嫡男であるガブリエリだけで、十分に楽しませてもらった。最初こそわからないことばかりで戸惑ったものだが、気を詰めず、ただ接するだけで、人は育つ。そういうものだと気付いてからは、楽しさが強くなった。
人は、育つように育つ。側にさえいてあげれば、才能は自ずから咲いてくれる。だから、必要以上に熱心になる必要は、なかったりする。それがマレンツィオの育て方だった。
「あれは」
しばらくして、カスタニエが声を上げた。“赤いインパチエンス”亭に、妻を迎えに行くところだった。
みやるとその前に、何台かの憲兵馬車が並んでいた。
「止めてくれ。見に行く」
「閣下、危のうございます。御身を」
「今、危ないのは、シャルロットだ」
馬車が止まる前に、飛び降りていた。
多分に肥えたが、体は動かせるようにしていた。爺にもなったが、まだまだ若いものには負けない。体の頑丈さだけは、未だに自身があった。
“赤いインパチエンス亭”。荒らされていた。
女たちの姿は、なかった。
「ご内儀さまはご無事です。インパチエンスさんたちも。居合わせたジョゼフィーヌさまも。どうかご安心下さい」
見たことのある顔。モルコ。この間、狩猟に来てくれた、ヴィルピンの副官である。
「シャルロットはいずこかね?」
「先に庁舎の方へ、事情聴取に。ジョゼフィーヌさまを狙った暴漢に立ち向かい、応戦なされました。犯人に怪我を負わせたと、自ら処断を仰いでおりましたもので」
「なんと」
「法的には、正当防衛の範疇で収めることができますでしょう。ですが、平静を失われておりました。御身を保護する意味で、庁舎の方にお連れしております」
「会うことは、できるかね?」
「是非とも。本官は現在、現場検証中のため、同行叶いませんが、閣下であれば、庁舎のものもすぐに対応できましょう。どうかご内儀さまの御心を安んじいただきたく」
「承知いたした。孫弟子殿。心より感謝いたす」
見事な所作の敬礼が帰ってきた。
馬車に戻った。カスタニエが、難しい顔をしていた。
「申し訳ありません。こういう時、何を申し上げるべきか」
「何も要らん。自身で申していただろう。自分は、機能だと。ならば、そうしたまえ」
労いのつもりだった。
シャルロットが、人を傷つけた。たとえ人を守るためだとしても。
はじめてのことだった。にわかには信じられなかった。あれはただ、心の優しいものとばかり思っていたから。
庁舎では、アルシェという男が対応してくれた。
「ニコラ・ペルグランどもか」
話を聞いて、はらわたが煮えくり返った。
「シャルロットの前に、あれらに会うことは叶うだろうか?」
「構いません。現在、勾留中です。これより本官が、尋問を行うところでした」
寝ぼけ眼の、考えの読めない男。だが恬淡としていて、いやなところはない。
「ご内儀さまはほんとうに、ご立派でいらっしゃいますね」
歩きながら、アルシェが語りかけてきた。
「ペルグラン中尉のご母堂さまや、奥さまたちを守るために、あのニコラ・ペルグランのお血筋をぶっ叩いたんです。それを、激昂してやってしまったと悔やんでらっしゃいました。他者からすれば勇敢な行為であるのに、ご自身は恥ずべき行いをしたと。人を傷付けてしまったとね」
「未だに信じがたい。俺のシャルロットは、穏やかで優しいひとなのに」
「穏やかで優しいからこそ、人のためなら苛烈になれる」
ふと、足が止まった。何を考えているかわからない目が、こちらを覗き込んできた。
「
仏頂面の寝ぼけ眼。それでもどこか穏やかで、優しいものを感じた。
信用に足る人物と見て、間違いなさそうだ。
「貴官、なかなか見どころがあるな」
「人を見るのは得手です。長らく、尋問や拷問を担当しておりますもので」
思わずで、笑ってしまった。
この男ならきっと、シャルロットに対しても、礼節を以て対応してくれたことだろう。
ふたつ、留置室に捨て置かれていた。後ろ手で縛り上げられた、傷だらけの、男のようなもの。
これが、かのニコラ・ペルグランの血の末路。目を背け続けた、憧憬の現在。
「国民議会議長殿、お恨み申し上げますぞ。我々は、貴殿のご内儀に」
言葉を発しはじめたその顔に、拳をぶちかました。もう片方にも、同じように。それを何回か、減らず口が消えるまで。
「女に殴られたと泣き言を抜かすのも不名誉だろう。訴えるなら俺を訴えろ」
どちらが誰など、確認したくもない。女に殴られて恨み言しか吐けないような、男もどき。
寂しかった。泣いてしまいたかった。その栄光と矜持は、もはや塵すらも残っていない。
焼き捨てるものなど、最初からなかったのだ。
一息入れて、アルシェに向き直った。
「暴行の現行犯だ。確保してくれ」
「ああ、すみません。余所見してました」
こぼした言葉に、仏頂面が、口元だけで笑った。
「このとおり、仕事が嫌いなものでして。替わっていただけると助かります」
アルシェは、顔の割に明るい声で、警棒を差し出してきた。
きっと、心中を察してくれたのだろう。鋭敏なところがありつつ、そういった腹芸もできる。
信用どころか、友だちにすらなれそうだ。
「馬鹿を申すな。職務に邁進したまえ」
満面の笑みだけ、返した。
アルシェが警棒を下げたのをみとめてから、そこから出た。しばらくして、後ろから、悲鳴が上がりはじめた。
仕事嫌いの、
ダンクルベールも、同僚にこそ恵まれなかったが、部下に恵まれたものだ。
階段の前。亜麻色の髪の、美貌の女性士官が待っていた。
「警察隊本部、中尉。ファーティナ・リュリ。ご内儀さまのところへ、お連れいたします」
顔に見覚えがあった。それも、いやな思い出として。
「それが、今の名前かね?シェラドゥルーガさんよ」
つとめて、平静に。
それは鼻を鳴らして、眼鏡を外した。
「やっぱり、バレちゃったか」
不敵な、魔性の笑み。その瞳は、
人でなし。ボドリエール夫人こと、シェラドゥルーガ。
第三監獄が襲撃されたため、寝床がなくなった。おそらくそれを、内務
「私もこれから会う。アルシェ君から聞いている通り、法的には問題ない。ただ、落ち込んでいるようだから、お前が行って、落ち着かせてやりたまえよ」
「ありがとよ。で、お前もシャルロットに、素性を明かすのかね?」
「そうだね」
言って重たそうに、その瞼を閉じた。
「あの方には、ほんとうにお世話になった。そして、つらいものを背負わせたまま、私だけ、いなくなってしまったから」
シェラドゥルーガの顔は、暗かった。
ガンズビュール連続殺人事件。誰にとっても、つらいものしか残らなかった、悲痛な記憶。
事件発生当初から、ダンクルベールはボドリエール夫人ことシェラドゥルーガを、第一容疑者と定めていた。先に発表されていた“湖面の月”に、その鍵があると信じ、それを読み進めようとした。
しかしそれは、自分のかつての妻の末路を思い出させるものでもあった。あれの妻の生涯は、その内容を、そっくりなぞっていたから。
シャルロットは、それを何度も止めようとした。泣きながら、何度も諭した。絶対に違うと。ボドリエール夫人が犯人ではないから、それから目を逸らせと。
それでもダンクルベールは、妻の末路と、自分の業と向き合った。結果として、それが正解だったのだから。
シャルロットは、ボドリエール夫人にも説得に行った。ダンクルベールの捜査は間違っている。ボドリエール夫人を疑っている。だからその疑念を晴らしてほしい。ダンクルベールを、“湖面の月”から遠ざけてほしいと。そうしなければ、ダンクルベールは壊れてしまうと。
そしてその場で、告げられたそうだ。
ダンクルベールの見立ては正しいこと。つまり、自分こそが犯人であること。ダンクルベールを愛しているからこそ、犯行に及んだこと。そして自分が、人ならざる、人でなしであるということを。
ガンズビュールが終わるまで、シャルロットはそれを抱え込まなければならなかった。人でなしの、人でなしなりの愛し方を見届けるということを、人の身でありながら、やらなければならなかった。
マレンツィオは、それが許せなかった。
きっと心から慕っていた人だからこそ、本心を打ち明けたのだろう。それぐらい、シェラドゥルーガはシャルロットに懐いており、常日頃から敬愛を見せてくれていた。友だちとして接してくれていた。
それでもシャルロットは、葛藤と自責に苛まれ続けていた。
シェラドゥルーガは、生きている。今こうやって、目の前で。それも、シャルロットに償いをしたいと、心よりの声を上げて。
なら全部、今日で終わり。新しくやり直せるならば、それでいい。マレンツィオは、許せないものを、許すことにした。
何よりも、愛しい人の大好きな友だちが、戻ってきてくれるのだから。
「お互い、後片付けをしよう。俺は今、済ませた。ちゃんと謝って、また、友だちになってやってくれ。シャルロットは今でも、お前が大好きだからよ」
やるべきことを、言葉に出した。
「ご厚意を、感謝いたします」
それでそのひとの頬に、ひとすじ、流れた。
シャルロットはひとり、取調室に座っていた。震えて、小さくなっていた。
「あなた」
拒むような声色だった。それぐらい、思い詰めているのだろう。
穏やかで、温かいひと。それが憤怒にかられるほどの、下卑た連中。自分の血が産み出したものから焼かれるほどの、愚かなものども。
それでもお前は、その怒りを罪と思うのだね、愛しいシャルロット。ならば、その心優しさから産まれるつらさを背負うのが、俺の役目だ。あの日お前を見初めた、俺の責務なのだ。
「何も言わなくていい。もう、大丈夫だ」
目を、合わせた。そうしてから、声を掛けた。それだけで、いくらか落ち着いてくれた。
「愛しいお前。よく頑張った。もう、俺がいる。だからもう、大丈夫だからな」
シャルロットを悲しませないこと。それだけを芯に、俺は生きてきた。悲しみをすべて受け止め、笑い飛ばして、笑顔にしてやる。俺がお前を幸せにすると決めたのだから。
腕の中で、シャルロットは泣いてしまっていた。何度もさせてしまったこと。ほんとうはこうなる前に、お前を守ってやることができたならば。俺に、それだけのものがなかったから。
我儘ばかりを、押し付けてしまった。お前が誰よりも、心優しいがゆえに。俺が何よりも、不甲斐ないがゆえに。
すまない。だが、愛することだけはさせておくれ。俺の見初めた、ただひとりのひと。
「警察隊本部、中尉。ファーティナ・リュリ。お初にお目にかかります。そして」
ひとしきり落ち着いてから。それは髪を解きながら、一礼をした。
「お懐かしゅうございます。我が敬愛なる、シャルロットさま」
声を出しながら、既にその瞳からは、涙が溢れていた。
シャルロットの手が、その濡れゆく頬に伸びた。シャルロットもまた、涙が溢れていた。
「パトリシアさま。生きてらったんだな?」
「生きてらった。いがった。そればっかり心配だった。
ぼろぼろと涙をこぼし、顔を歪めながら。シャルロットはそれでも、喜んでくれていた。
「はい。シェラドゥルーガとして、生きていました。ほんとうに、貴女を傷つけるようなことをしてしまった。その償いのため、今日まで生きていました」
「私のことは、なんもいがんすけ。
嗚咽。そして、優しい、労うことば。
愛しいシャルロット。どうしてお前は、そこまで優しくあれるのか。お前につらい思いをさせた相手のつらさを、どうして受け止めてやろうとすることができるのか。
「つらかった。ほんとうにつらかった。それでも、ようやくお会いできた。お詫びを申し上げることが、こうやって叶いました。シャルロットさま。お
「なんもなんも。嬉しい。ほんとうに、また会えた。だすけ、今までのこと、全部忘れるべし。
「ありがとうございます。愛しております。これからも、お慕い申し上げます。どこまでも心優しきひと。我が愛しき、シャルロット姉さま」
在りし日に見た光景。それがまた、目の前にある。
「ファーティナ・リュリ殿。かつての、パトリシア・ドゥ・ボドリエール。かつての、シェラドゥルーガ」
震える手で、その震える手を取った。
「お疲れ様でした」
堪えることは、できなかった。それだけしか、言えなかった。
「ありがとう、勇敢なるフェデリーゴ・ジャンフランコさま。ありがとうございます、国民議会議長閣下」
三人、ただ涙しながら、抱き合った。
つらい過去と別れながら。そして新しい出会いに、感謝をしながら。
(つづく)
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