6−2

 状況開始。

 政変で追いやられた旧王朝派残党。賊に身をやつし、村ひとつ、乗っ取っているという。

 国防軍では準備が遅い。こういうとき、を開けるのは、勿論ご存知、“錠前屋じょうまえや”である。設立間もないが、荒事とあればいつだって駆り出され、十分以上の成果を上げていた。

 対象はもれなく生死問わずデッド・オア・アライブ。つまりは遠慮する必要なんて一切ないってわけだ。戦鎚とんかち片手に、ゴフは野蛮な笑みを浮かべていた。

「アングラード班、ガヴォディ班で東側から。俺たちが西側から侵入する。掃討クリアリングしながら、中央に追い詰めるぞ」

 小規模だが、市街戦である。銃は使いづらい。剣やら何やらで白兵戦、遭遇戦となる。肝っ玉の太さが必要となる、大変な仕事だ。まして人質となる村人も残っているだろうから、とかく神経をつかわなければ、やってられない。

 ルキエ。女だてらに肝が強く、目がいい。うち唯一の精密射撃手マークスマンであるアセルマンと組ませて、早めに高所に登らせたい。そのためにも、まずは建物ひとつ、安全を確保したいところだった。


 荷物ひとつ、同じく高所に登らせなきゃならないことだしな。


「ご存知、“錠前屋じょうまえや”のお出ましだ。邪魔するなら、こじ開けるぜっ」

 三階建てのひとつに突入した。いるのはもれなく賊のようだ。

 オーベリソンが身ひとつで五人の前に立ちはだかり、長柄の斧をぶん回した。人間の体が宙を舞う。遅れを取るものかと、ゴフも、戦鎚とんかちを振り回して駆け抜けていく。

 三階。部屋のひとつを確保した。そこにルキエとアセルマン、そして荷物ことデッサンを放り込んだ。

「顔を上げるなよ。眉間に穴が空いたって知らないからな」

「わかった、用心するよ」

 交わした言葉は、それぐらいである。


「ヘルツェンバイン子爵、シュテーグマンと知ってのことか」

 大柄な男ひとり、前に出てきた。手には、身の丈ほどのを担いでいた。

「どしょっぱなから大将のお出ましかい。一応、降伏勧告はしとくけど、どうだい?口を割らなきゃ、額が割れるぜ?」

「抜かせ、小僧。我ら代々の尚武。戦って活路を見出すのが唯一の道なりせば」

「頭蓋骨陥没っていう、名誉の死因を賜りてえってわけだな。承知仕った。相手になるぜ」

 オーベリソンとふたり、並んだ。

 向こうは北方ヴァーヌ剣術か。剣柄リカッソを握り込んで、槍のようにして突いたり、細かく振り抜いたりしてくる。閉所であることを理解した動きだ。こちらは柄の短い戦鎚とんかちと長柄の斧。上手くいなしながら、懐に入り込みたい。

 オーベリソン。斧の柄を使って、杖術のようにして応戦する。南蛮北魔なんばんほくまの北の魔で、あのマンディアルグ伯領を生き抜いた歴戦の猛者である。空いた膝を打ち、腹を蹴り、間合いを自在に作っていく。

 シュテーグマンが、裂帛の気合とともに大上段に構えた。必殺の一撃か。それでも。

 一気に詰め寄った。振り下ろしてくる。威圧感。

 それでも、剣身は下りてこなかった。


を振り下ろそうとすりゃ、そうなるぜ」


 悪態ひとつ。土手っ腹に戦鎚とんかちをぶち込んだ。それで、シュテーグマンの身体がくの字にひん曲がった。


 倒れた巨躯に縄が打たれていく。そこにデッサンが駆け寄って、その人相を絵に起こしていった。

「そなた、何を」

「絵を描いています。最期となるであろう、貴方の姿を」

「それが、貴族に対する行いか。それが、将に対する」

「誰であれ、人を虐げ、脅かしたその行いを、僕は許すことはできません」

 そう言って、憤然とした表情で、デッサンは一枚の絵を見せた。惚れ惚れするほどに威風堂々とした武人の顔が、そこには描かれていた。

「おさらばです」

 そう言って、デッサンはシュテーグマンに背を向けた。

「かたじけない」

 しばらくして、そう、ぽつりとこぼしていた。


 作戦は、滞りなく達成した。死んだ村人はいなかった。


「畜生」


 帰りの馬車。デッサンが、苦み走った顔で言い出した。

「何が貴族だよ。何が将だよ。人を貶め、虐げてきた分際で」

「おい、デッサン」

「聞いていただろう、ゴフ。あいつはそう言ったんだ。人のことなんてなんとも思っちゃあいないんだ、あいつらは」

 荒げていた。立ち上がってすらいた。隣りにいたアンリが怯えるほどに。

 ゴフはまず、その両肩に手を載せることからはじめた。

「よくやった」

 まずは、それだけ。それだけでも、デッサンの、瓶底眼鏡の奥に光る怒りは萎みはじめていた。

「よく耐えた。よく、それを本人に言わなかった。お前は立派な大人だ。だから今、ここで存分に吐き出せ。何たって、お前の言ってることは正しいんだからよ」

 そう言うと、デッサンの体は、わなわなと震えはじめた。そうして小さいながら、言いたかったであろうことを吐き出して、それからしゅんとしたようにして座った。

 大きな怒りを持つやつだった。人にぶつければ傷つけるほどに。それでもそれを制御できる理性がある。それを制御できなくなった時、こうなる。だからその時は、ゴフが受け止めなければならなかった。


「皆が、うらやましいよ」

 落ち込んだデッサンが、ぽつりと漏らした。

「くそったれをやっつける力がある。傷ついた人を癒す力がある。わからないことを紐解く力がある」

「俺は、お前みたいに絵を描けないよ」

「それで、いいのかな。僕にはそれしかないってのに」

「それだけあればここにいられる。長官や局長閣下は、そう判断し、そう評価している」

「うん、そうだよね。そうなんだよね」

 それきり、何も言わなくなった。


「あの」

 撤収が済み、庁舎での片付けが終わったあたり、アンリに声を掛けられた。難しい顔をしていた。

「私、デッサン中尉さまをわかってあげたいのです」

「絵を描くことしかできないやつ。それだけだよ」

「それだけで、よろしいのですか?」

「ああ。いいか悪いかは、捉え方次第だろ。俺はいい方向に捉えているだけさ。ただ、あいつ自身が、どう捉えていいかわかってない」

「私も、素晴らしいものを持っていると捉えています」

「じゃあ、目いっぱい褒めてやってくれよ。真面目にやろうとすれば、あいつのことを受け止めるのは大変だけど、相槌を打つぐらいならできるだろ?それぐらいでいいんだからさ」

「それぐらいで、いいんですね」

「はじめから、色んなことはできないからな」

 そこまで言うと、アンリの顔も明るくなった。


 帰りに、久々に月乃瀬亭に乗り込んだ。女遊びに興じているうちに発見した、ひとりでるには最適な店だった。

 頼むものはだいたい決まっている。黒曜貝の酒蒸しとフリット。今時期なら、にしんの北方ヴァーヌ風なんかもいい。みじん切りにした玉葱をまぶして、尻尾を掴み、天井を睨みながら丸呑みにするやつだ。いずれも白の辛口でいただきながら、フリットが残ったあたりでラガーに移行するのが決まりごとのようになっていた。

「考え事かい?」

「そんなとこだね。友だちが面倒なやつでさ。怒ったっきり、戻ってこれないでやんの」

「はは。そういうこともあるよね。まあ、明日になれば忘れているさ」

 気のいい主人で、ためにならない話をするのが大の得意だった。気が張ったり、頭の中が整理できないときは、ここに来ると楽になる。


 ゴフとデッサン。お互い、士官学校の落ちこぼれだった。大工の三男坊と、代々の尚武のご嫡男。乱暴者と頑固者。そんなちぐはぐな組み合わせ。

 初年度に、デッサンが悪い先輩に絡まれているのを助けたのがはじまりだったと思う。ただあのときも、デッサンは先輩たちに一歩も引かず、むしろ殴り返していた。

 コンスタン校長には、ふたりとも気に入られていた。面白い人だった。学校だというのに酒と煙草を持ち込んで、好き放題やっていた。不良たちに混じって殴り合いの喧嘩だってやるぐらい、破天荒な人だった。

 そういう人と、デッサンとふたりで一緒にいた。喧嘩して、酒盛りをして、デッサンが絵を描く様子を見て。


 ふたりで警察隊本部に入隊して、少しもしないうちに、コンスタンは亡くなった。膵臓だかの病気だったらしい。


 コンスタンは、デッサンのことをほんとうに理解していた。あの、酒に焼けたがらがら声で、歌うように言っていた。

 お前は絵を描くことしかできないんじゃない。絵を描くことしかやりたくないんだよ。だったら、わがまま貫き通しなよ。それだけで、できることって山ほどあるんだぜ。

 今でも、あいつはその言葉通り、絵を描き続けている。それでいい。あいつはあいつのやりたいことをやればいい。

 それを選んだのは、デッサン自身なのだから。


 司法警察局が預かっている資料から、デッサンの素描が盗まれたり、妙な品評が書き加えられているという話を、ダンクルベールから聞いた。まだ、本人には話していないという。

「奇妙なやつもいるもんですね」

「ほんとうにな。あたりは付けたが、今のところ動きがない」

「燻り出す。死体ひとつでっちあげて、それをデッサンに描かせる。ただ、デッサンはやりたがらない」

「やはり、そういうところはお前だな」

 ダンクルベールは嬉しそうに笑っていた。

「不謹慎だが、次があるまで待つしかないだろう」

「あいつを馬鹿にしてやがる。長官。それだけは、俺は許せないですよ」

「馬鹿にしているのではない。心酔している。ただそれが、相手を傷つける理由になると思っていない。つまりは一番厄介な相手だ」

「それでも、他から見れば、そう見える」

「おっしゃる通り」

 書類ひとつ、渡された。確かにデッサンの素描に、熱に浮かされたようなことが、つらつらと書き連ねられていた。正直に気味が悪くなった。

「最近のあいつは、張り詰めています。やり場のない怒りみたいなもの。それが、爆発寸前です」

「お前には、そう見えるか?」

「たまにあるんです。それが他人に向くと、非常にまずい。本当に暴力的になりますので」

「今までは、お前がそれを引き受けてきた」

「そうでなけりゃ、手に負えませんから。あいつは」

 きっと、ため息が混じっていたと思う。


 翌朝、出勤してきたあたり、庁舎が騒然としていた。ひとつの部屋の前でごった返していた。

「誰かが荒らしやがったんです」

「よりによって、ここをかよ」

 思わず、口の中が苦くなった。

 デッサンのアトリエ。物置だったそこを、ダンクルベールが貸し与えていた。時間が空いたときなど、デッサンはそこで絵を描く。

 そこが、滅茶苦茶になっていた。引き裂かれたカンバスの山。塗りつぶされた絵。

 デッサンはそこで、ぽつんと突っ立っていた。

「“錠前屋じょうまえや”、全員招集」

「疑ってるんですか?俺たちを」

「疑いを晴らすためだ」

 それだけ言って、ゴフはデッサンの隣に向かった。

 デッサンは、目はしっかりしていた。震えもしていない。顔色も赤かったり青かったりもしていない。目の前にある光景が、さも当然のようにしている。

 それが、噴火直前の状態だということは、ゴフが一番知っていたことだった。

「怒りの矛先を間違えんなって話、よくしてたよな?」

「うん」

「お前が怒るべきは、あくまでこれをやったやつだ。お前自身にじゃない。それは、わかるな?」

「わかる。大丈夫だ」

「死体画家が。調子に乗っているからだよ」

 後ろから声が飛んできた。

 振り向いた。捜査二課のモーリアックとゴルチエが、へらへらと笑っていた。

「絵描きが絵を描けないんじゃあ、商売上がったりだな」

「おい、お前ら」

「お前もお前で、“錠前屋じょうまえや”だかなんだか知らないが、喧嘩しか能のないやつが威張り散らかしてよ。調子こきふたりに天罰が下ったんだ。いい気味だぜ」

 怒りが込み上げてきた。こいつらか。やったのは。

 憤然と踏み込もうとしたとき、横を何かが通り過ぎていった。それは、にやにや笑いのモーリアックの顔面に、とんでもない速さの拳をぶち込んでいた。

「デッサン、やめろ」

 抑えようとしたが、駄目だった。倒れ込もうとするモーリアックに蹴りをかまし、そうして馬乗りになって、滅茶苦茶に拳を振り下ろしていた。言葉になっていない言葉を叫びながら、ずうっとそうしていた。

「馬鹿野郎っ」

 それを、横から蹴っ飛ばした。倒れ込むデッサンを踏みつけようとしたゴルチエをぶん殴って、立ち上がろうとしたデッサンの顎に向かって拳を振り出した。それを払いのけられ、胸ぐらを掴まれた。

 頭突き。それで、離れる。もう一回、顎狙いで。

「アンリ。それと、ウトマン少佐だ。俺が全部やった」

 肩を上下させながら、それだけ言った。

 ふたりはすぐにやってきた。くわえてオーベリソンも来てくれたので、担げる分の人間を担がせて、医務室まで連れて行った。

「アルシェに、モーリアックとゴルチエを尋問させろ。損害の程度によるが、即刻、処断する」

「少佐。俺がやったんです。デッサンの野郎、俺のこと馬鹿にしやがって、それで頭にきて」

「下手な嘘を付くんじゃない」

 胸ぐらを掴まれた。おっかない目。怯んじゃあ駄目だ。

「俺です。なあ、皆。俺が全部やったの、見てただろう?俺、馬鹿で乱暴だから」

「そうか。ならまず、口を慎め。順番で確認していく。お前の順番は一番最後だ、ゴフ」

 ウトマンは、それしか言ってはくれなかった。


 モーリアックとゴルチエは、損壊には加わっていなかった。しかし隊員に対して侮辱的な行動をとったとして、減給の上、二ヶ月の謹慎。デッサンはモーリアックを怪我させたことに対し、三日間の謹慎処分。


 ゴフは、何も咎められなかった。


 帰り道。声をかけられた。振り向くと、小柄な胡麻塩頭がにこにこしていた。

「おやじさん」

「一杯、付き合ってくれませんかね?」

 頷くしか、やることはなかった。


 月乃瀬亭。めしは頼まず、酒だけにした。それもほとんど、腹には入っていかなかった。

「これは、年寄りの繰り言ですがね」

 ビゴーがそう言うとき、必ず含蓄のあることを言う。それは短い付き合いでもわかっていた。

「あんた、優しいからね。やらなくてもいいことまで、やっちまうんです」

 目を見て、そういうことを言われた。それが一番に堪えた。

「フェリエさんはね、あんたを馬鹿にされたことに怒ったんですよ」

「わかっているつもりです」

「怒らせときゃよかったんです。フェリエさんを守ろうとしたあんたを、フェリエさんは守ろうとした。いいんです。友だちのために怒ってるんですから、それでいい」

 レイニーマンの十二年。付き合いで、同じものを飲んでいた。強く、甘みのある味。

「あいつは、怒ったら止まらない。手加減を知らない。自分も相手も血まみれになるまでやっちまう」

「だから、怒り方を覚えさせましょう。そのためには、抑えつけないこと。大きなものでも小さなものでも、怒らせるんです。あんたが宥めるのは、怒ってからでも遅くないから」

 そう言って、少しだけ恥ずかしそうに、ビゴーは笑っていた。


 三日後、デッサンが復帰した。見た感じは、いつも通りだった。

「何してたよ?」

「子どもと遊んで、絵を描いてた」

「リフレッシュできたか?」

「うん」

「じゃあ、それで終わりだ」

 拳を突き出す。それに、デッサンは応えてくれた。

「早速、仕事だ。今朝、死体ひとつ上がったらしい」

「わかった。行こう」

 ひとことだけ。それで、デッサンは仕事道具を持って駆け出していった。ゴフはその姿に、頼もしさを覚えていた。


(つづく)

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