6.僕は、絵を描くことしかできないから
6−1
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親愛なるアンベール・ドゥ・フェリエ中尉殿。
君の残すものの素晴らしさに、私は心を奪われた。
君の残すものの素晴らしさを、もっと知りたくなった。
君は、絵を描くことしかできないという。
ならば、私は協力しよう。
君のために、君のためのものを用意しよう。
君がいつまでも、素晴らしい画家であるために。
これを描いてくれ。
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司法警察局庁舎。セルヴァンに呼ばれていた。ちょっとした騒動が起こっているらしい。
案内されたのは資料室だった。過去の事案報告書を保管してある。警察隊本部でも保管は行っているが、司法警察局の方は、連続殺人やそれに準ずるような、重大な事案が多い。
見せられたのは、シャルダン一家殺害事件の報告書だった。一昨年発生し、犯人は捕まって、裁判も終了している。
資料を見ていく中で、違和感はすぐに見つかった。現場検証報告書に添付してある素描である。
「なんだ、これ?」
「これだけではない。いくつもの事件簿で、これをやられている」
セルヴァンが苦い顔で頭を抱えた。
「論評、いや、感想か。模写までくわえるとは、熱心なファンだな」
同じように、ダンクルベールは頭を抱えた。
デッサンことフェリエ。死体画家と揶揄されているが、卓越した状況記録の腕前を持っている、優秀な捜査官だ。どんな酸鼻極まる現場であれ乗り込んでいって、状況を多角的に記録してくれる。絵を描く才能、たったそれだけを持って、あらゆる困難に立ち向かい、支えてくれる、縁の下の力持ちだった。
その彼が残す絵に、長々とした感想が書き加えられていたのだ。
「傾向は?」
「殺しの案件だな。見つかっているだけで十一件。未だ調査中だが、もっと多いかもしれない」
「よくないな。死体を見たがっているのかもしれん。ここに出入りできる人間は、把握できているかね?」
「記録は取っているが、ほとんど右から左だよ。他部署から来ることも多い。機密文書は、また別の部屋だし」
「うちでもやられているか、確認してみよう。しかし悪趣味だ。デッサンはいやがるだろうな」
「彼の性格上、そうだろうね」
思いついた一件。探して、手にとってみる。やはりデッサンの素描に、感想が書き連ねられていた。素晴らしい。表情がいい。もっと見たい、など。まるで芸術作品を見たような内容である。
「デッサン君の作品に対する、明らかな冒涜だ。私はこれほど稚拙で、下劣な行為を見たことがない」
別件で第三監獄を訪れた際、シェラドゥルーガにもそれを見せた。これ以上ないほど、憤慨した様子を見せた。その様子に、ウトマンも険しい顔で頷いていた。
「司法警察局関係者でよろしいでしょうか?」
ウトマンが立ち上がった。つられるように、ダンクルベールとシェラドゥルーガも立ち上がる。
「そこは決め打ちでいいだろう。資料室に自由に出入りできる人間だ」
「死体に執着がある?」
「もとからではない。デッサン君の絵で目覚めた。犯人に同意はしたくないが、彼の絵は芸術だ。素描であっても完成されているからね」
「悪感情はない。素直な感動。悪いことをやっている自覚がない」
「肯定。となれば、デッサンと面識がないことでもいいだろう。素描にも事件簿にもデッサンの名前は入れていないから、向こうからすれば、誰がこの絵を描いているかはわかっていないはずだ」
「彼をデッサン、あるいは死体画家と呼ぶのは警察隊隊員。現場にいるものは、彼がどれだけの熱量を持って職務に望んでいるかを知っている。だから、現場を知らない人間」
「肯定。先程の、我が愛しき人の分析もそうだが、ファンレターがないのもある。目覚めたのは最近だろう。今は没頭している。熱に浮かされて、作品を読み漁っている状態だ」
「模写も残している。絵の心得がある?」
「違う、正しくない。これもやはり目覚めた。絵という表現の素晴らしさに気付いた。熱中している。感謝がある。すべて、衝動的な行動だ」
「これからの行動について」
「エスカレートする可能性は大いに有り得る。題材のプレゼントだ。描いてもらいたい死体を作り上げ、それを描かせる」
「自滅的な行動もありえるかもね。自殺。そしてそれを描かせるというのも、着地点としては考えうる」
三人、卓の周りを回りながら。ウトマンの問いに対し、ダンクルベールとシェラドゥルーガが見解を述べていく。問いは時に的確であり、時に、意図的に的はずれである。
これがウトマンのやり方。ダンクルベールの思考を吐き出させ、整理させる紙とペン。
「男。四十代から五十代。職務に勤勉。活動的ではない。娯楽に対する理解が少なかった。デッサンの絵で
「第一弾の分析としては、それでいいだろうね、我が愛しき人。公文書改ざんで罰金、重くても
「そうですね。司法警察局の内部監査室に依頼します。それでよろしいでしょうか?」
「うむ、デッサンを侮辱することは大いに許せんが、処罰は法に則って行うべきだ」
注がれたエールビールに口を着けながら、ダンクルベールは答えた。
絵を描くことしか才覚のない男。自分自身に対する怒りや葛藤を絵に乗せ続ける男。画家を夢見、志し、しかし家系の都合、軍属になった。そういう男。
庁舎に戻ったとき、ひとつの部屋に寄った。その男はイーゼルの前に座り、カンバスに対して筆をとり続けていた。
その
「この間の案件のかね」
ダンクルベールは、デッサンの隣に腰掛けながら問いかけた。デッサンは無言で頷いた。
事件、特に殺しがひとつ片付くと、デッサンはこういうことをする。残された遺族に、絵を描いて渡すのだ。油絵、水彩画。それは存在しない風景であり、存在しない記憶だった。
絵の中で、殺された妻は、生き生きとした表情をしていた。まだ小さい子どもを抱きかかえ、夫に寄り添い、広げられたピクニックシートの上に座って笑っていた。
「僕は、絵を描くことしかできませんから」
決まりごとのように、デッサンはそう言った。それを聞いてから、ダンクルベールは静かに席を立った。
死者の絵を描くこと。それはデッサンにとっての捜査であり、戦いであり、弔いであった。他の才覚があれば、ダンクルベールやウトマン、ビアトリクスのように戦えるだろう。でもそれがない。だから筆と紙だけで、彼だけの戦場に赴く。腐り果てた肉の塊であれ、切り刻まれた血の海であれ、征くことしか許されていない道に。
あれは、そういう男なのだ。
「最近になって、何枚か盗まれてもいますな」
何日かして、内部監査室のダンドローに呼ばれた。報告内容は、剣呑なものだった。
「やはり、すべて殺しです」
「そうですか。ちなみにですが」
そこまで言って、ダンクルベールは身を乗り出した。
「ここにある、事件簿以外の書籍。過去の殺人事件を題材にしたもの。そういったものは、無事でしょうか?」
その言葉に、ぴくりとダンドローが動いた。
「まだ、未確認ですな。これから調べます」
「お手数ですが、よろしくお願いいたします」
そうやって、ダンクルベールは頭を下げた。
デッサンの絵だけではなく、過去の判例や、殺人を題材とした画集や書籍にも、何かしらが残っているかもしれない。見聞、見識を広めようとしている。死に対するそれを広め、そしてあらためて、デッサンの絵に向き合おうとするのかもしれない。
「恐れ入りますが、フェリエ中尉とはどのような人物なのでしょう?本官も調査の中でいくつもの事件簿を確認しておりますが、本当に見事な素描であり、心より感服している次第です」
「優秀な捜査官です。事象を多角的に、そして迅速に記録することができる。それは我々の捜査において、ほんとうに役に立つものです」
「絵を描くこと、それだけのことでですか」
「そう。それだけのことが、どれほどにありがたいか」
言いながら、瞑目した。
「映写機というものが発明され、利用されはじめている」
「存じ上げています」
「ほんとうはそれを導入するべきでしょう。しかし現状の映写機は大きく重く、一枚の絵を投影するのにも時間がかかり、なにより高価です。デッサンはそれ以上のものを、ひとりで表現することができます」
「デッサン、と仰るのですね。彼のことを」
「ええ、そう呼んでいます。彼が士官候補だったころ、士官学校の校長であったアドルフ・コンスタンが名付けたそうです」
「まさしく、名は体を表すというものですな」
ダンドローが膝を打った。
「あれの、絵を描くということ。絵を残すということ。それを我々は妨げてはなりません。それが彼の捜査のすべてなのです。あの素描たちはすべて、彼の推理であり、犯人に対する追求であり、犠牲者に対する哀悼なのです。これをやったやつの行いは、それをわかっていない」
「素晴らしい。まさしく、純粋な捜査官です。それを見抜いたコンスタン校長も。そしてそれを駆使することもできるダンクルベール長官も」
「恐れ入ります」
素直に頭を下げ、席を立った。
庁舎に戻る。執務室。無人かと思ったが、応対席に
「司法警察局内部監査室室長、ダンドロー」
「四十八歳。去年、総局総務課人事部からの異動。これまでの経歴は、すべて事務方だ」
「よし、洗ってくれ」
それだけ告げると、それは立ち去っていった。
目が輝いていた。それがずっと、引っかかっていた。
(つづく)
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