4−3
路地裏。影四つ、見えた。
「あれだな」
プラスローは小さく呻くようにした。隣りにいたペルグランという士官が頷いた。
「しかし、ギュスターヴだったか?かのニヴェール侯のご子息とはいえ、やることが人とは思えん」
「そして、人の親とも」
「まったくだ」
ペルグランの言葉に、口の中は苦くなっていた。
犯行グループであるギュスターヴたちは、家長に火を点けさせていた。大金を渡して、そういうことをやらせていた。
それもすべて、道楽だというのだから。
やらせる側もやらせる側だが、やる側もやる側である。全員、ろくでもない親だった。高利貸しから金を借りていただの、愛人と遊ぶ金が欲しかっただの。ギュスターヴは、それぞれのそういうところにつけ込んで、金で目を眩ませていたのだ。
合同作戦会議の際、ビアトリクスからそれを聞いて、本心から腹が立った。
消防隊は、猛火から人を救うのが仕事だ。それがたとえ、どんな人間であれ。それでも時に、ろくでもない人間がでてくる時がある。助けたのに文句を言うやつ。寝ながら紙巻を吸うようなやつ。
それでも、
それこそが我ら、男爵家臣団なのだから。
はじまりは、ルフォールの冗談からだった。酒の席での、ちょっとした馬鹿な思いつき。
それでも皆、乗り気だった。それだけ、ブロスキ男爵マレンツィオという人間は、魅力的だった。
容貌魁偉。それでいて、人となりそのものがどっしりとしていて、小狡いところがない。口さがない言い方だが、悪党の大親分のようだった。気っ風がよくて、気前もいい。得意の嫌味も、ちゃんと愛嬌があるのがわかる。
ご内儀さまのシャルロットさまにも、隊員一同、ほんとうに世話になった。今でもそうだ。いろいろと気を回してくださって下さる。
だから今まで皆、やってこれた。どんなにくそったれなことがあっても、どんなにやりきれないことがあっても、我ら、男爵家臣団。そのひとことで、すべてを笑い、乗り切ってきた。
今回だって、はらわたは煮えくり返っている。正直に、見捨ててしまいたい。それでもやる。それが我ら、男爵家臣団。加えて今回は、ダンクルベールのお殿さまも、セルヴァン少将閣下もいらっしゃる。
消防のいいところを見せつけてやる。あのガンズビュールの英雄たちに、お見逸れしましたと言わせてやるんだ。
不意に、影が動いた。家屋から光が漏れる。
火が、点いた。
「ポンプ車、正面に動かせ。救命隊、突入用意」
「次長。目標が、こっちに来ます」
「お任せ下さい」
すっと、ペルグランが見を前に出した。腰に下げた
影が、影でなくなる。男、四人。特別に身なりがいいものが、ひとり。
「止まられよ」
「なんだ、てめえ。この俺を誰だと思ってやがる。俺の親父は」
「本官をアズナヴール伯が嫡子、ジャン=ジャック・ニコラ・ドゥ・ペルグランと知っての物言いか」
大喝。童顔の青年のそれに、誰もが硬直した。それはプラスローもそうであった。
アズナヴール伯ニコラ・ペルグラン。独立戦争の大英雄。体ひとつで爵位をもぎ取り、ときの
今、この青年は、そのお血筋であることを名乗ったのだ。
ギュスターヴ。顔に脂をたぎらせている。何かを言おうとして口を開けるも、何も言い出せないでいる。確かに爵位に差はあれど、かのアズナヴール伯ニコラ・ペルグランのご嫡男が相手とあっては、侯爵家の末っ子風情では権威に差がありすぎるのだろう。
対してペルグラン。顔だけをこちらに向け、ちょっと気恥ずかしそうな感じで舌を出した。それで、プラスローたちの体もほぐれた。
「神妙にすればそれでよし」
路地の闇。吹き上がる赤を背に、大男の姿が。
「そうでないなら」
全員が、そちらに向き直る。そして誰もがそれを見て、あるいは頭を抱え、あるいはへたり込んでしまった。
杖の音、ひとつ。
「ここで
またも大喝。
これが警察隊。これが魔除けの案山子、ダンクルベールのお殿さま。
プラスローは笑ってしまっていた。役者が違いすぎる。これにゃあ誰も敵わない。
それでも、こっからは俺たちの出番。
「救命隊、突入」
ふたりに負けじと、腹の底から吠えてみせた。
家屋正面に走った。女ふたり、立っていた。ひとりは、あの
「中に、お子さんがいるそうです」
「私、気が動転して。置いてきてしまって」
「お母さん」
そのひとの肩に、手を置いた。恐怖に歪む瞳をしっかりと見て、それが収まるまで、十分に時間を使った。
「我ら、天下御免のブロスキ男爵家臣団。必ずや、お子さまを救い出してみせます。必ず」
それだけ、しっかりと言い伝えた。
視界の端に、縄を打たれた男ひとり。きっとこの家の家長だろう。そんなつもりはなかっただの、どうしてこんなことにだの、見苦しいことばかり喚いていた。
それから目を逸らすようにして、家の中に入っていった。
「子どもだ。子どもを探せ」
「二階にはいません」
「一階、見ましたが、どこにも」
「こわがって、狭いところに身を隠しているかもしれない。もう一度よく見るんだ」
「火の勢い、強まります。消火が間に合いません」
「合わせるんだ。延焼させるな」
誰も彼もが、火の中で叫んでいた。プラスローは走りながら、そこかしらに目を走らせていた。
台所。いない。便所。いない。物置は、どうだ。いない。
一階。寝室のクローゼット。思いっきりに開けた。
「だれ?」
不安そうな顔の少年。十歳とか、それぐらいか。座り込んでいた。
「君を、助けに来たのさ」
とびっきりの笑顔で、そう言ってやった。
「歩けるかな?」
「はい、大丈夫です。もう、こわくない」
「よし、じゃあ、おじさんと一緒に行こう。外でお母さんが待っている」
手を伸ばした。それを、少年は握り返してくれた。
部屋を出ようとしたときだった。大きな音を感じた。火の爆ぜる音だけではない。
何かが、崩れる音。何度も、聞いた音。見上げていた。
梁が、落ちてくる。
「坊やっ」
体は、動いてくれていた。
痛み。重さ。そして、熱さ。
見上げていた。少年は、少し離れたところにいた。そうしてこちらに駆け寄ってきた。
「坊や、大丈夫か?」
「はい。それより、おじさんが」
梁と、屋根の一部の下敷きになっているようだった。
「おじさんも、大丈夫だ。後から行く。先に行っててくれるかな?」
泣き出しそうな顔で、少年は頷いてくれた。そうして踵を返して、走り出した。
よかった。助けてあげることができた。それだけで、プラスローは心が満ち足りていた。火の熱の中、どうしてか、温かさだけが広がっていた。
犯人は捕まった。人命は救助できた。火もきっと、もうじき消える。
俺の役目は、ここまで。消防隊員として、そして男爵家臣として、これ以上はない結末を用意してくれた。
でも、ドリアーヌ。そしてエマとフラヴィ。遺してしまう。それだけ、申し訳なかった。金については心配しなくていいだろう。貯金は十分に用意していたし、俺は軍人だから、遺族年金も入る。殉職した消防士の妻と娘となれば、格好はいくらかつけれるだろう。再婚だって、そんなに大変なことじゃないだろうし。
ごめんな。それだけ、言えればよかったかな。
「プラスロー中佐さま」
かすれた、それでも雪解け水のような声。
曖昧な視界の中で、みっつ、見えた。
「なに格好付けてるんすか、中佐殿。さっさと帰りますよ」
黒い肌の士官。確か、ゴフとか言ったか。すごい剣幕で怒鳴ってきた。
オーベリソンとかいう巨躯の隊員と一緒に、プラスローの体にのしかかっている梁などをどかしにかかった。強引に、しかしてきぱきと。オーベリソンなどは、手にした長柄の斧をてこにするなどして、すいすいと瓦礫を片付けていく。
そのうち、体に感じる重さが少なくなった。それでも体は動かなかった。どうやらどこかを捻ったか、あるいは折ってしまったか。
手が、伸びてきた。傷だらけの、ぼろぼろの手。
「アンリ、行けるか?」
「行きます」
その一声。それで、視界が動いた。
おぶさっていた。聖女の背中。猛火の中、あのジャケットはない。簡素な修道服だけ。
それでも、安心できた。
体の感じる熱が減った。おそらく外。そうして、地面に寝かされた。服を剥ぎ取られていく。
「火傷が複数箇所。打撲と、左鎖骨の骨折。お父さん、当て木になるようなものを」
「おうさ、任せろ」
声だけが、聞こえる。どうしてか、瞼が重い。
また、手が伸びてきた。頬に添えられている。
眼前。可憐な顔と、向こう傷。決意の表情。
「大丈夫。私は
向こう傷の聖女、
ありがとう。それだけきっと、言えた気がした。
「あなた」
聞こえた。確かに。
「あなた、あなた」
光が、差し込んでくる。音が、ちゃんとしたかたちで聞こえてくる。
見えたのは、ドリアーヌたちの顔だった。
エマ、フラヴィ。胸に飛び込んできた。鎖骨に感じた痛みに、ちょっと叫んだ。
くすくすとした笑い声。アンリが隣りにいた。
見渡す。どうやら軍病院のようだった。ペルグラン、ダンクルベールに、ビアトリクス。“
「安心したのでしょうね。気を失ったようでした」
「そいつはどうも。警察さんの前で、恥ずかしいものをお見せしちまいました」
「何をおっしゃいますか」
ペルグラン。童顔の好青年が、びしっと敬礼を決めてみせた。
「
笑顔だった。かのニコラ・ペルグランのお血筋にそう言っていただけるというのなら、こちらも笑顔で敬礼をするしかなかった。
「いやあ、かっこよかったなあ。比べれば、鞄持ちの威張りようったらよう。ニコラ・ペルグランのご印籠ぶっつけて、いい気になりやがってなあ」
「ちょっと、やめてくださいよ。ゴフ隊長ったら」
「そうだぞ、やめなさい。みっともない」
毅然とした、それでもどこか親しげのある声で、ダンクルベールが割って入った。
「俺だって、昔は鞄持ちだったんだ」
その言葉に、警察隊の皆が笑い出した。
「
「はい。そのおかげで、今があります。ゆくゆくはペルグランたちも、そうやって大きくなるでしょう」
「そうですな。俺もかつてはブロスキ男爵の副官。鞄持ちだったもの」
それで笑ったのは、消防隊の面々だった。
笑い声の中、ひとりだけ神妙な面持ちだった。ビアトリクスである。
「ばか」
ぽろりと。大粒の涙とともに。
「えっと、ちょっと、ビアトリクス大尉」
「心配したんですよ。中佐殿、いつまで経っても外に出てきてくれなくって。アンリたちが飛び込んでいって、大怪我したって」
「ビアトリクスさん、ありがとう。あなた、ビアトリクスさんね。あなたが目を覚ますまで、私たちのことをずっと励ましてくれたの。ほら、労ってあげて?」
「これはこれは、悪いことをしちまいました。ほんとうに、ご心配とご迷惑をおかけしました」
「おうおう、うちの次長も悪い男だね。かみさんだけじゃなく、こんないい女まで泣かせるたあねえ」
ジョクスがからかってきた。消防隊の女性隊員の何人かが、ビアトリクスに寄り添って慰めていた。
そうやって和んだあたり、訪いがあった。
「おじさん」
あの火の中から助け出した少年だった。それだけで、プラスローの心はぱっと明るくなった。
「おじさん、ありがとう」
ぺこりと、少年は頭を下げた。
右手を差し出す。それをやはり、少年は握り返してくれた。ぎこちない笑顔。それが、たまらなく輝いて見えた。
これがあるから、やめらんねえんだよな。この仕事。
(つづく)
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