4−2
連続放火。ビアトリクスは、違和感をまとめ上げていっているところだった。
いずれも火元は同じ。家長が離れているのを見計らって犯行に及んでいる。そして通報は消防ではなく、必ず警察に対して行われていた。
組織とは、役割により分割される。消火活動は消防隊の役割であり、警察隊の役割は犯罪捜査である。警察隊本部は行政警察の一面も持ち合わせているため、“
警察から消防に対して出動要請を行うという、必ず発生する時間のロス。これが被害を大きくしている一因になっている。現在のところ、それぞれの奮戦のお陰で人命の損失こそないものの、いずれそれが発生しうるかもしれない。
三件目から、通報者を
「やっとこ見せただけで、全部喋ってくれましたよ」
至って恬淡とした様子で、アルシェはそう言った。
「道具を使うだなんて、ラウルさんにしては珍しい」
「顔でわかるんですよ。何に弱いかっていうの。ふたりとも、ただ金に困っていたみたいでね。そういうのには、恐怖をかたちで見せるのが一番早い。ティクシエ中尉も楽ができてよかったろ?」
「それはまあ、その通りです。大尉殿」
ティクシエは心底に安堵した様子で返答していた。捜査二課の中でも取り調べ技術に長けるので、幅を広げるためにもアルシェに貸し出している人材である。
「遊びみたいですね」
改めて、現場検証報告書や取調調書を見ながら、アルシェと突き合わせをした。
「しかしこれ、どうします?」
「どうするもこうするもない。文字通りの火遊び。そしてそれを親が揉み消している。看過することはできないわ」
「でも大物も大物ですよ。不用心にとっ捕まえれば、組織が危なくなる」
「勿論。根回しをしたうえで、現行犯逮捕よ。そして親も引きずり出す」
ビアトリクスの言葉に、アルシェは不安げなため息ひとつ、漏らした。
「ニヴェール侯、ねえ。馬鹿な子を持ったもんだよ」
その言葉に、ビアトリクスは喉を鳴らしていた。
外務
何と言っても外交官として有能。ヴァルハリア、ユィズランドからエルトゥールルまで、幅広く信頼関係を築き上げている。彼の存在あってこそ、我が国の独立は保たれていると言っても過言ではない。実績だけでなく人望もあり、自身を長とする巨大な派閥を形成していた。
その子どもが放火魔であり、それを匿っていることが明らかになれば、市井も宮廷も大混乱に陥る。内閣不信任、解散だけでは済まされない。他国からの干渉もありうるだろう。
放火は重罪である。まして連続した犯行であれば死刑は免れない。そしてそれを隠匿したラルカンジュ自身も勿論、罪に問われる。
親子ともども捕まえることはできる。問題は、その後。崩壊した内閣。頭首を失った巨大派閥。そして怒れる民衆。
そこにあるのは、滅び。
「守れなくなる」
司法警察局会議室。開口一番、セルヴァンに遮られた。ダンクルベールも苦み走った顔を隠そうともしていない。
「何かしらのスキャンダル、あるいは健康問題をもって、
「難しいだろうな、ニヴェール侯閣下ご自身は清廉潔白で知られた大人物だ。子ども可愛さで過ちを犯したとはいえ、それ以外に何かしらの脛の傷を抱えているわけではないし」
「先に閣下へ通達。ご子息殿がたを含めた自首と、
「後任をどうすべきかだ。閣下ほどの辣腕を持つ外交官など、数えるほどもおるまい。まして
「しかしですな。人が死ぬやもしれないことをしているのですぞ?」
「王侯貴族の代表格のような人物が民衆を脅かしている。この事実が明らかになれば、民衆の蜂起すら発生しうる」
「八方、手ふさがりですな。どうもならん」
ウトマンが天を仰いでいた。
訪いひとつ、あった。全員が頭を抱えていたときだった。
現れたのは老人。その顔を見て、全員が起立、敬礼した。
「そのまま、そのまま」
「宰相閣下。これは、いかがなされましたか?」
「連続放火事件の件、王陛下の耳に入れた。大激怒だ」
宰相カゾーラン。王陛下という言葉に、全員の喉が鳴った。
ダンクルベール。ちらと、セルヴァンを見ていた。セルヴァンは小さく首を振っていた。
「ほほ。この老いぼれの耳の早さを
「しかして宰相閣下、既に王陛下のお耳に入れたとなれば」
「策はある、ということだ」
そう言って、カゾーランが席についた。それを見計らって、全員が腰を下ろした。
政変前後、唯一立場が変わらなかった人物である。それも不信任を強行決議されたにも関わらず、だ。政治手腕だけでなく、権謀術数にも長けているというのは、政治に明るくないビアトリクスでも察することができた。
「ニヴェール侯に辞任、および後任の選出。その子息を含む犯行グループの出頭。これを
その言葉に、セルヴァンが椅子を鳴らした。カゾーランはそれを小さく、手で留めた。
「また任命責任として、私の辞任。必要であれば内閣解散の上、両議院議長の辞任も行う」
「そこまで、やりますか」
「やろう。ただし、少し時間は掛かる。その間に、連中が再度犯行に及ぶことがあるやもしれん。その場合は、遠慮なく逮捕に踏み切っていい」
「よろしいのですね?宰相閣下」
「よろしいと私が申した。そして王陛下も」
皺の中に潜んだ目が、ぎらりと光った。猛禽のそれを思い起こさせる光だった。
「捜査担当は、誰になるかね?ダンクルベール長官」
「捜査二課課長、ビアトリクス大尉であります。放火は元来、捜査一課で行うべき重要案件ではありますが、当人の実績と実力十分という、本官とセルヴァン局長閣下の判断により、捜査二課での捜査を命じております」
促され、ビアトリクスは起立の後、敬礼をした。カゾーランはそれを満足そうに受け取った。
「マギー監督だね?」
「はい、宰相閣下」
「遠慮はいらない。びしばし頼むよ」
「神明に誓って」
それで、皺だらけの顔が微笑んだ。
「遠慮なしでいいというのであれば」
本部庁舎に戻ってから、本部長官執務室に赴いた。ダンクルベールやウトマンを含めて、戦略を練りたかった。
「犯人を現場に引きずり出します」
紙一枚、ダンクルベールに渡した。ほう、という顔だった。
「模倣犯の情報か」
「神経を逆撫でます。愉快犯なら、これでいけるかと」
「もう一歩、行きましょう。父親の進退についても流す。カゾーラン閣下ご病気により、次期宰相の座をニヴェール侯に譲り渡すと」
ウトマンが割って入ってきた。目を見る。否定はしていない。頷いて返した。
「発想、着眼点よし。馬鹿息子どもめ、これでつけあがるはずだ」
ダンクルベール。ふう、とため息ひとつ、入れたようだった。
「まこと、人を育てるということは難しいな」
「私も人の親になりました。気持ちだけは、わかる気がします」
「理解もできるし納得もできるが、それに賛同することだけはあってはならない。悪いことは悪いと叱って諭さねば、過ちは正せない。ただ、可愛い我が子だ。末子となれば尚更かもしれん」
「自分の立場というものも、勿論あるかと」
「だとしても、なのだよ」
「そうですね」
ふたり、紙巻を咥えた。紫煙が香る。
ひとりの母親として考えていた。フェリクス。可愛い息子。もし人を傷つけるようなことをするならば、自分はどうするか。毅然とした態度で咎めることが、果たしてできるだろうか。そして今まで、できていただろうか。
私は今、
「考え事?」
夕食の後、ぼんやりとしていたのだろう、ドミニクがそう言ってきた。それで、はっとした。
「ううん、大丈夫」
「そうは見えないな。何か、思い詰めているみたいだよ」
優しい瞳。それで、観念した。
「あなたは孤児院の職員として、そして子どもの親として、適切な人間だと思っている?私は今、自分について、そういうことを考えていた」
「難しいね。でも、それを確かめるために、子どもたちの親をやっているのだと思っているよ」
「そういうものかしら」
温めたミルク。それで、心のざわつきを落ち着かせようとしてくれているのだろう。
「園長先生には常々言われている。悩んでもいいけど、迷ってはいけないって。その時々で、ちゃんと答えを出しながら進んでいきなさいって。そうしないと人生は、後悔に
そうやって、ドミニクは気恥ずかしげに笑った。
ドミニクが勤める孤児院の園長先生。
ドミニク自身、孤児だったという。育った孤児院を経営していたのがジスカールだった。彼が大悪党だということを知ったときには、腰を抜かすほどに驚いたという。確かに強面だけど、悪い人だと思ったことなんて一度もなかったと。
それでも園長先生のようになりたくって、育った孤児院の運営に携わることにしたそうだ。
ふと、顔ひとつ、思い浮かんだ。
「あのこ、先生になるんだっけ?」
「保育園のね。僕に憧れてくれたんだって」
「なら、あなたはきっと、いい親なのだと思う」
「ありがとう。それを見てくれて、認めてくれるマギーもきっと、いい親だと思うよ」
言われた言葉に、きっと、はにかんでいた。
出会いのきっかけ。捜査二課に異動して間もない頃に担当した事件の被害者で、人売りに出された女の子。そのこを預けた孤児院の職員に、三つほど上の、感じのいいお兄さんがいて、そのこの面会に行くたび、親身になって話を聞いてくれた。
それが、ドミニク。
きっとはじめての、ちゃんとした恋愛。どうすればいいのかなんてわからなかった。
だからまず、ダンクルベールに報告した。
杖を放りだして、抱きしめてくれた。本当に嬉しい。お前は俺の手を離れて、ほんとうにマギーになってくれたんだね。そう言って喜んでくれた。ウトマンも、妹が立派になってくれた。幸せを掴んでくれたと、肩を震わせていた。ヴィルピンはもう、大洪水だった。
そうやってマギーになり、サラ・マルゲリット・ビアトリクス・ロパルツになり、人の親になった。
産まれてすぐ、そのこに会わせた。泣いて笑って、喜んでくれた。おめでとう。そして、ありがとう、マギー。マギーの幸せを見せてくれて。そう言ってくれた。
そのこももう、大人になる。そしてそのうち、人の親にも。
スーリから、標的が動いたと連絡が入った。犯行グループの監視を命じていた。
「警察隊本部、および消防隊本部の合同作戦」
大勢の前で、ビアトリクスは声を上げた。
「法の都合、確保はことの後になる。消防隊は即座の消火作戦。警察隊は犯人グループの確保。ここまで、よろしいか」
返答。咆哮のようだった。
「作戦総指揮は警察隊本部長官ダンクルベール中佐。警察隊前線指揮、警察隊捜査二課課長ビアトリクス大尉。消防隊作戦指揮、消防隊本部次長プラスロー中佐。また今回、両部隊の後方支援部隊の指揮として、司法警察局局長セルヴァン少将閣下が参加する。ここまで、よろしいか」
大音声の返答。
一度、プラスローに場を渡した。しっかりとした面立ちの、中世の武人のような佇まいだった。
「消防本部小隊一同、気をつけぃ」
ざっと、音が重なる。消防隊全員が、警察隊の方に向き直った。
「宣誓。我ら、ブロスキ男爵家臣団。これまで被害にあわれた方々の
おう、と声が重なった。壮観だった。
「それではルフォール本部長官殿の面目がないではござらぬか」
ダンクルベール。思わず、といった感じで苦笑していた。
「ご心配なく。ルフォール長官は、我ら男爵家臣団の初代総長でございますがゆえ」
プラスローの答えに、一同が笑っていた。
「さて、と」
手を二回、鳴らす。それで全員、ビアトリクスの方に向き直った。
全員が全員、猛者の顔つきだ。
「作戦、開始。皆、びしばし行くわよ」
発した声は、誰よりも大きかった。
(つづく)
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