4.我ら、男爵家臣団
4−1
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宣誓。
我ら、男爵家臣団。ここに誓う。
燃え盛る火を恐れぬことを。
自らの
潰えゆく
宣誓。
神たる父と
そして我らが主君たる、栄光あるフェデリーゴ・ジャンフランコに誓い。
我ら、天下御免のブロスキ男爵家臣団なり。
国家憲兵消防隊本部、部訓より
―――――
1.
一軒家。赤と黒が、燃え盛っていた。
衛生救護班。そしてご存知、“
それでも、この炎。それでもこの中に、誰かがいるかもしれない。勇気と恐怖が、せめぎ合っている。
行かなければ。それでも、どうやって。
「水を汲んできて」
「アンリさま、無茶です」
「無茶を通さなきゃ、何もはじまらないじゃない」
前に出ようとする体の前に、大きなものが立ちはだかった。
オーベリソン。
「カスパルお父さん。通して、お願い」
「みすみす仲間を死なせるようなことはできない。アンリ、いや、チオリエ
「それでも、私は」
「大丈夫だ」
深い声。後ろから聞こえた。ダンクルベールだった。
「ペルグラン、この家屋の家族と思われる方をこちらへ。そのうえで、足りない人間を確認しよう」
「はっ」
「本部長官さま。私は、行かなきゃ」
「アンリエット」
のそりと、大きな体は目線を合わせてくれた。
「そのための人々が今、来てくれた」
その顔と瞳は、微笑んですらいた。
ダンクルベールの後ろ。人がいた。一個小隊程度か。羽織っているのは
その中からひとり、悠然と歩み出てきた。
「遅参の儀、まずはお許しあれ。
物々しくも雄々しい言葉。それに見合った、中世の武人のような顔つき。ジャケットに縫い付けられた階級章は、中佐のものだった。
「我ら、男爵家臣団。ただいま参上」
その名乗りに、おう、と声が続いた。
男たち、広がる。奥から一台、二台と、見慣れない形の馬車が前に出てきた。
これはもしや、国家憲兵消防隊。
「消防車消火隊、消火ポンプ用意。救命隊、突入用意」
「私も行きます」
「おっと、お嬢さん。その格好じゃあ危ないよ」
男のひとりが、彼らが着ているものと同じジャケットをひとつ、投げて寄越してきた。その目には、信頼と自信の光が灯っていた。
「うちの娘とおんなじだ。止めたって聞きやしないんだろ?だったら一緒に行こうぜ、聖女さま」
「ご厚意を、感謝いたします」
きっと、顔は綻んでいた。
羽織る。
襟を立て、
「本官、プラスローと申します」
武人のような顔つきの人は、微笑みながら敬礼した。
「本官と貴官で、二階を。他の隊員で一階を確認します。よろしいか」
「かしこまりました。お願いします」
「よろしい。それでは突入用意。五、四、三」
鼓動が高鳴る。炎に向かう。その勇気と覚悟。不安も、このジャケットに、託す。
突入。言葉と同時に、足が動いた。
熱波。体が拒むほど。それでもジャケットのおかげか、それほどではない。何ほどのものでも。行かなければ。
プラスロー。何事もないように進んでいく。その大きな背中を頼りに、アンリは駆け抜けていった。
「階段が崩れかけている。お気をつけて」
プラスローは冷静だった。この烈火の中、家屋の隅々にまで目を配っていた。時に手を取り、時に声をかけ、アンリを導いてくれる。
すべてを、この人に委ねていた。この建物の何処かにいるかもしれない、誰かにたどり着くまでの道のりを。
二階寝室。ふたり、倒れていた。子どもと奥さま。炎には巻かれていない。火傷も軽微。
でも。
「呼吸がない。意識も」
「煙を吸いすぎたのでしょうな。まずは安全な場所に」
プラスローが言うより、体は先に動いていた。奥さまを背負い、子どもを抱きかかえる。
「流石は音に聞こえた、向こう傷の聖女」
どうやら、笑ったようだった。
火は着実に弱まっている。消火ポンプから吹き出す水が、赤いものを少しずつ押し留めていっている。
入口。見えた。外。
「アンリさま」
ドゥストだった。待っていた。
「意識、呼吸がない。脈も微弱。警察隊衛生救護班の方、心肺蘇生法の心得は?」
「私とエリュアールさん。いけます」
「よろしい。お子さんの方は加減が大切。胸骨圧迫からはじめる。それでは用意」
はじめ。プラスローの声で、体は動いた。
横たえた子どもの体。圧迫部位は、胸の真ん中。片手の手のひらを当て、その上にもう一方の手のひらを重ねる。胸全体が沈むように。一分間に百回の間隔で、三十回。
「奥さま、呼吸回復」
「よし、身体を横向きにして回復体位。お子さんは?」
「まだです。人工呼吸、行きます」
「心得た。用意」
はじめ。
まずは気道の確保。片方の手のひらを額に。人差し指と中指を下顎の先に当てて持ち上げ、頭を後ろにそらす。そうして鼻をつまんで、口全体を覆うように。
人工呼吸、二回。胸骨圧迫を三十回。これを繰り返していく。
絶対に助けてみせる。あなたをお星さまになんか、させやしない。
そのうちに、子どもが咳き込んだ。呼吸が続く。すぐにその体を横向きにする。上の足の膝と肘を軽く曲げて手前に出し、上になった手を顎にあてがう。
回復体位。よし。
「アガット、ロドリグ」
男ひとり、駆け寄ってきた。
「旦那さまですな。他にご家族は?」
「これで全員です。ああ、その傷は、きっと
「いいえ。私だけじゃありません」
ジャケットの前を開けながら。
「消防隊の皆さまがいてこそ、助けることができました」
プラスローを見る。余裕
「我ら、ブロスキ男爵家臣団。火急とあらば即参上。いつでもご用命ください」
敬礼と、とびきりのスマイルだった。
家族のことはドゥストたちに託した。野次馬たちは“
プラスローの方に向き直った。できうる限り、深々と礼をした。
「プラスロー中佐さま。ほんとうにありがとうございました。消防隊の皆さまのおかげで、ふたりも救うことができました」
「こちらも、かの
そうやって笑った。ほんとうに、頼もしいひと。勇者だった。
「それにしても、どうしてブロスキ男爵さまのお名前を?」
「おや、ご存知ではなかったのですね」
アンリの問いに、プラスローはちょっとだけ残念そうに、それでも笑って敬礼を掲げた。
「我らが主君はブロスキ男爵マレンツィオ閣下。かつての、消防隊本部長官でございますから」
その答えに、アンリはきっと、きょとんとしていた。
「随分昔の話だよ。警察隊ジョアンヴィル支部次長、警察隊本部捜査一課課長を経て、消防隊本部長官。そうして貴族院議員へ推薦されて、今に至る」
「そうですな。そうして今や、あの貴族院議会の次期議長になるやも、という声も出ておりますので、我ら家臣団としても鼻が高い限りです」
寄ってきたダンクルベールとふたり、プラスローは楽しそうにしていた。
脱いだジャケット。灰と煤だらけ。他の消防隊隊員も、おんなじように。
それでも皆、誇らしく、なにより輝いていた。
「そいつは記念だから、あげるよ」
それを渡してくれた隊員に返そうとしたら、そう言われた。消火ポンプを片付けながら、そのひとは笑っていた。
「俺の娘も、アンリエットでね」
「そうなんですか」
「エティって呼んでる。アンリさまと同じじゃあ、気が引けるしね」
「エティのほうが、女の子らしくって素敵です。アンリだと、男の名前ですもの」
「語感でそうしたのかな?
「きっと、そうかも。それと私、小さい頃はおかっぱ頭で、男の子みたいだったから」
「今だって、男より男らしいさ。見惚れるぐらい、かっこよかったもの」
ジョクスと名乗った人は、からりと笑っていた。
「いやあ。消防隊ってのも、いいやつらじゃないか」
本部庁舎に戻って片付けをしていた。“
「ほんとうに、絵になる人たちだったね」
「あのジャケット、用意できないかな。あれがあれば、俺ら素人でもぼや程度なら飛び込める」
「やめときなさい。どうせ固いだの重いだの、ぶうたれるだけよ」
「まるで着たことあるみたいな言い方じゃないっすか、マギー監督」
「着たことあるわよ。少尉時代に」
「へええ。人に歴史あり、だなあ」
「衛生救護班としても課題ができました。心肺蘇生法ができる人員が足りません。救護、看護、そして“
「全員が、マウス・トゥ・マウスを?」
ルキエが赤い顔で、ぎょっとした声を上げた。それがなんだかおかしくって、皆で笑った。
「それにしても、悪いやつもいるものね」
ひとしきり話題が落ち着いたあたりで、ビアトリクスがごちていた。その言葉に、皆の表情が変わった。
「監督。それって、つまり」
「ええ、放火よ」
それで、目の色も変わった。
デッサンが何枚かの素描を用意してきた。過去の現場検証報告書も。それを皆、食い入るように見つめていた。
「同じ火元が過去四件。いずれも白昼。同一犯と見ていいでしょうね」
「盗みがない。女、子どもがいるときを狙っている。愉快犯ですかな?」
「通報者が、消防より先に警察に来てるのもおかしい。順番が逆だよな。協力者がいるか、もしくは複数人」
誰も彼もが忌憚なく意見を述べていく。意見が発想を呼び、議論が白熱していく。
アンリはただそれを、遠巻きに見ているしかできなかった。
沸き起こる思い。
「おい、俺たちのアンリ」
そこに声をかけてきたのはゴフだった。その声に、はっとした。
「怒りの矛先を間違えんなよ?」
笑顔での言葉に、胸が軽くなった気がした。
怒りを自分に向けるくせがある。それを処理しきれなくなって、泣いてしまったり、他の人にぶつけてしまう。ゴフはそれを、わかってくれていた。
それがほんとうに、ありがたかった。
「プラスロー中佐殿も変わらんな。忠烈な熱血漢だ」
ダンクルベールは面白そうに笑っていた。その日の夜、星を眺めていたのを、ダンクルベールとペルグランが声を掛けてくれた。
「あのような方が熱を上げるとなれば、ブロスキ男爵閣下とは、さぞご立派な方なのでしょうね」
「ああ、まあ、課長はな」
「課長?」
「おっと。いや、くせだな」
ダンクルベールが恥ずかしそうにした。ペルグランとふたり、怪訝な顔で顔を合わせた。
「俺が一課主任の頃、閣下は一課課長だったから」
「長官にも、マギー監督みたいなくせがあったんですね。面白いや」
「そういえばおっしゃっていましたね。失礼ではありますが、実直な道のりというか」
「そうだな。あれで男一本、腕一本の人だもの。それこそニコラ・ペルグラン好きが過ぎて軍人を目指して、でも船酔いが酷かったから警察隊になったんだとよ」
「へえ。なんだか、こそばゆいです。両親からは、嫌味で偏屈な癇癪持ちだとも伺っておりましたが、以前にお会いしたときは、とてもそうとは思えませんでした」
「難しい人であることは確かだな。気に入らないことがあると、すぐにへそを曲げるのだから」
ダンクルベールはずっと、楽しそうだった。
天下御免のブロスキ男爵、フェデリーゴ・マレンツィオ。
普段からもよく話題に上がる有名人である。今では数少なくなったヴァルハリア貴族。その大仰な肩書の割に、どこにでも
アンリも町中で、それらしい人を何度か見ていた。横にも縦にも大きな人。ご内儀さまとふたり、雑誌で話題になったビストロの行列に、行儀よく並んでいたりなんかして。
ダンクルベールは色んな話をしてくれた。狙撃の名手として知られていたこと。ご内儀さまがほんとうに心優しい人であるということ。娘ふたりが世話になったこと。セルヴァンとは折り合いが悪かったが、ふたりとも大人になって、大人の付き合いをするようになったこと。
「あの人が消防隊の本部長官になってから、志願者が増えたんだよな。ぜひとも男爵さまの家臣になりたいって」
「すごい方なのですね。会ってみたいなあ」
「そのうち会えるさ。そのあたりを歩いているからな」
星を眺めながら、ダンクルベールは笑っていた。
ダック地のジャケット。部屋に飾ってみた。
でもこれが、男爵家臣団の証。火を恐れず、火と戦う、決意と勇気の結晶。
「行ってまいります、男爵さま」
会ったことなんてないけれど、気持ちは通じるだろうから。
そうひと声かけてから、アンリは庁舎に赴いた。
(つづく)
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