②スレイキル監視すべし
父の話をまとめるとこうだ。
東の公爵、イース公爵の夜会に招待されたらしい。
この夜会は、イース公爵が、あまり付き合いのない貴族、要人らと親睦を深めるためのものらしく、その招待者の中にはホワイトフィールド侯爵も含まれていたらしい。
だが、当の侯爵は参加ができないため、スレイキルを代理で向かわせるという。
どうして父が知っているのかと問うと、先日、会談した時に聞いたらしい。
私が断るようであれば、弟のアダムを向かわせるそうだったが、もちろん、私が一人で行くことにした。
父は初対面のこういうのには行かない。
誰かに様子を見させてから、自分が接するかどうかを決める。
その相手の爵位や身分は関係がない。
温厚に見えて、警戒心の強い性格だ。言い換えれば、弱虫である。
娘を夜会に、侍従もつかせず一人で行かせる親はいないだろう。
普通の親であればそうだ。普通の娘であればそうだ。
しかし、私はこれでよいと思っている。
伊達に独り身をやっていないのだ。
「おお、これはこれは。探偵嬢」
イース公爵の館につき、馬を下りた直後、私は声をかけられた。
この異名で私を呼ぶのは一人しかいない。
「グレイ公爵? どうしてこちらに?」
灰色の長いひげをたくわえた老公爵、グレイ公爵がそこにはいた。
「イースト君が若いのと頑張りたいというからね。少し見に来たのだよ」
「左様でございますか」
老公爵の年齢は定かではないが、五十代であろうと、六十代であろうとこの人にかかれば若いの、に該当する。
持ち手が鷲の意匠が施されている杖を持ってはいるが、背筋はまっすぐで、足も曲がっている様子や歩行におかしいところはない。完全にお洒落の用途で所有している。
顔は目が細い好々爺であるが、そのたたずまいは年齢を感じさせない厳かさがある。強かさがある。
「探偵嬢のお目当ては、
右目を少しだけ大きく開いて、グレイ公爵はにやりと笑う。
この人に隠し事は無駄である。
「ええ。公爵は会ったことありますか?」
「生憎、戦場からは遠い人間でね。王宮とも最近は交流が薄い」
「そうなのですか? 意外ですね」
公爵家は王宮と最も近い貴族といっても過言ではない。
「私もそろそろ引退を視野に入れているのだ。後継者の不安が多くてね。そっちに目をかけているのだよ」
「それも……意外ですね」
「はっはっは。私も老人ということだ」
その豪快な笑いからは萎れを一切感じさせない。
死ぬまで現役なのではないかと思ったが、色々と考えるところはあるらしい。
一緒に館に入らないかねと、誘われたが、丁重に断り、私は夜会の会場へ入った。
会場になっているのは館の二階。
この館はこの交流のために新しく建てられてものと聞いている。
道中の絨毯や階段には汚れ一つなく、試しに輝く木目の手すりに指を押し付けたら、その跡がくっきりと残った。本当のことだったのか。
肝心の会場となっている大広間も豪華絢爛なものであった。
天井には金銀の装飾と水晶が巧みに組み合わさっている、大きなシャンデリア。
壁には古の偉人の絵画や、伝説の一部始終が描かれた著名な絵画などが時系列順に並べられている。見る人が見れば、物語がわかるような配置だ。
部屋の隅に配置されている花瓶は、昨今、有名な芸術家の作品であり、活けられている花も鮮やかな色をしている。
数多ある丸いテーブルに乗っている料理は、種類も豊富できらびやかで美味しそうである。
また、楽団も配置されており、今は穏やかなバイオリン協奏曲が演奏されている。
とにかく、あらゆるところに金をかけたことがわかる、そんな夜会だ。
「あれはゴールド伯爵令嬢では……」
各々すでに会食を楽しんでいた貴族たちのささやき声が聞こえた。
「あの、すべてを暴いて台無しにするという……」
暴くのは是だが、台無しになるのは秘密を抱えていた当人が悪い。
これが独り身の私が生きる術であった。
はじまりは、父が人に管理させていた資材が減っている気がするというような心配事を、私が勝手に調査して、横領相手を泥棒として牢屋に叩き込んだことだ。
そこから、知人貴族の隠れた愛人の調査であったり、猫探しであったり、伝統ある貴族の埋蔵金探しを手伝ったりなど、知恵を回し、真実を探し当てるようなことを大々的にするようになった。
その様子をグレイ公爵は探偵と表している。探偵嬢と呼ぶのはこの生業が所以だ。
「
その言葉を聞いて、私は会場を見渡す。
「……あれだ」
会ったことはないが、すぐにわかった。
その人だけ、その男がいるところだけ雰囲気が異様だったからだ。
印象は黒い甲冑飾り。古城の廊下で宝の前においてあるような甲冑。
そんな佇まいだ。
勿論、金の意匠がある黒い礼服は夜会のドレスコードに沿ったものであるし、麗しい長い髪を結う白いリボンは上質な生地のものであることは遠目で見てわかるし、顔も騎士で好まれる雄々しいと顔というよりは、端正で綺麗な貴族好みなもので、侯爵子息であると言われれば、納得するものだろう。
しかし、その虚ろな黒い瞳と表情が抜け落ちた顔を見ていると、あながちあの噂も真実だったのではないかと思わせる恐ろしさがある。
それを感じ取ってか、彼の周りには誰も人が寄り付こうとしなかった。
彼は壁際に立ち、ワイングラスを持っている。否、持たされていると評した方がいい。それくらい、グラスが不似合いであった。もっと似合う道具がある。白い手袋をした大きい手からは、私はそう思った。
殴っても問題ない。父からはそう言われている。ホワイトフィールド侯爵も許可を得ているようだ。スレイキル当人の許可を得ているかは知らない。
だが、たかが二年こぶしを振っただけの令嬢が、この男に一撃を入れられる風景を想像できない。
殺す気で挑まなければいけないだろう。
もしものことがあれば、実家とは縁を切ろう。その覚悟はできている。あの男を殴り飛ばすと決めたその日から。
私はこぶしを握りしめ、大股で彼のもとに向かった。
「サー=スレイキル・ペンドラゴン・ホワイトフィールド、よろしいでしょうか!」
「スレイキル・ペンドラゴン・ホワイトフィールド、よろしいでしょうか」
「ん?」
「は?」
ようやく声をかけたところで、邪魔者が乱入してきた。
隣にいたのは赤毛が混じった茶髪の男。見たことがない顔だ。
「ご令嬢、失礼いたしました! サー=スレイキルに御用で?」
パンッと響く大声。柑橘系の香りが鼻をくすぐる。
貴族にはあまりいない類だ。
「失礼、貴方、お名前は?」
「僕はケイロン・スカーレットと申します」
スカーレット、噂には聞いたことがある。
戦後、男爵の爵位を賜った家だ。
確か、亡国の皇族の遠縁で、空に関する学問で国に貢献したため、爵位が授けられたと聞いている。
「そう。お先にどうぞ」
「いえ、名は存じ上げませんが、貴女は僕より身分が上のご令嬢でしょう。先に行く理由がございません」
「長くなるし、複雑なの。私の用件は。だから、早く済ませてくださいね」
本当は一発殴るだけである。
しかし、熱意がたぎる瞳を有する男性の前に殴るのは、少々、心が引けた。
野心か何かがあるのだろう。
他の家のことはどうでもいいが、それを害してまで殴りたいわけではない。
自己満足である故。自己満足で終わらせないといけない故に。
「お気遣い感謝いたします!」
そういうことで、よろしいでしょうかと、スカーレット男爵はスレイキルに話しかけ、彼らはテラスへと向かった。
テラスで話し込むということは、契約事の話や公的には内密にしたい話をしたいということ。そのため、テラスで話している人がいるときはその近くにはいてはならず、話した直後もしばらく時間を空けないといけないという礼儀がある。
後にしてもらって正解だった。
私はテラスがある方とは反対の壁にもたれかかり、その様子を見ることにした。
私に話しかけようとした輩は睨みをきかして撃退した。
白ワインを片手に、スレイキルを監視する。
だが、その仔細は距離もありよくわからない。
スカーレット男爵が怪我をしていないことだけは視認できる。
少なくとも出会った人間をすぐに殺す、快楽殺人鬼ではないらしい。
バイオリン協奏曲が終わる頃、二人の話は終わったようだ。
スカーレット男爵は満面の笑みでテラスから出ていくのが見えた。
何だかわからないが、うまくいったらしい。こういう時は、あのスレイキルまで表情を消せとは言わないが、少しは隠しておくべきなのだ。
しかし、爵位を得てから日が浅いから、出てしまうのは致し方ないことなのだろう。
スカーレット男爵はどこのテーブル料理にも、他の貴族にも目もくれず、私に少し会釈をしてから大広間を出た。
もしかして、このためだけに夜会に来たのであろうか。
主催のイースト・ブランク・イース公爵が知ったら、激怒しそうなものだ。
イース公爵は無知や無礼は気にしないが、自身を軽んじるものを嫌うという噂を聞いたことがある。
当の公爵は、今はグレイ公爵と話すことに夢中になっているから、問題にならないうちにスカーレット男爵に戻ってきてほしいものだ。帰ってしまったかもしれないが。
スレイキルはテラスで一人、立っている。
どうやら貴族の礼儀は知っているらしい。
私は白ワインを飲みほした。
――どこからか、かすかに犬の声が聞こえた。
大広間ではない。廊下の方からだ。
大変だ、捕まえろという声も聞こえる。
今日の夜会は大丈夫なのだろうか。
そう思った直後に、捕まえたぞ、という声が聞こえて、優秀な使用人たちが働いているのだとわかった。
スレイキルがテラスから出てきた。
イース公爵が手を大きく叩いた。
金管楽器の大きい音が鳴った。華やかな曲が始まった。
だが、テラスに視線を戻すと、上から何かが降って来たのが、視認できた。
スレイキルも異変を感じ取ったのか、すぐにテラスの扉を開いた。
私は走り出した。
「キャー!」
「スカーレット男爵が死んでらっしゃる!」
「サー=スレイキルはやはり……!」
悲鳴や驚嘆の声が聞こえる。だが、それはおかしい。
スカーレット男爵は外に出たはずなのであるから。
私はテラス直前にたどり着く。
そこには確かに。先ほどまで、満面の笑みでいた、赤毛交じりの茶髪の男爵――ケイロン・スカーレットの死体が転がっていた。
「何事かね! サー=スレイキルが人を殺しただと!」
恰幅の良い、ちょび髭の男がずかずかと近づいてくる。
イース公爵だ。怒りの形相である。脈がこめかみから飛び出て来そうなくらい浮いている。
「死体! 死体ですの! ここ殺しなさったのだわ!」
どこかの夫人が騒いでいる。
「殺していない」
スレイキルは即座に返答している。
それは確かである。私も証言できる。したくはないが。
「人殺し! 人殺しだ!」
どこかの男爵だか子爵が叫んでいる。
「いや、そうではあるのだが」
「そうなのだわ! 捕らえて!」
「捕らえられるのか!」
どうしてそこは真面目に答えるのだ!
言わんとしていることは理解できる。戦場帰りの騎士が人を殺していないわけがないのだから。
「お待ちになさって! 皆様方!」
私はスレイキルとその他大勢の間に滑り込む。
「この事件、私、マーサ・ナスタチウム・ゴールドに預からせてくれないかしら!」
「ゴールド……。なるほど」
スレイキルがつぶやく声が聞こえた。私の身の上を察したらしい。
イース公爵が何かを言おうと、息を吸った。
しかし。
「私、この人のせいでお姉様が死んでいますの。ああ、殺人ではありませんよ。事故です。深く聞かないでいただけると、助かってよ」
私はそう言って、イース公爵を含めて他を黙らせた。
身分が上の相手ではあるが、あまり恨みを買いたくない相手ではあるが、致し方ない。
「私怨で犯人だと思いたいのですが、あからさまな証拠もなく犯人にするのはいかがだと思いませんか? 誰も殺したところは見ていないのでしょう?」
何故ならば、私の怒りの方が上だからだ。
たった一回の夜会の騒動と親愛なる身内の死。比べるまでもない。
あと、私はこのために二年もかけているのだ。お前の事情なんざ知らん。
「真実を明らかにするまで、この男を預からせていただきます。私が死んだら、スレイキルが犯人ということで、いかがでしょうか?」
極めて冷徹に私は言った。
その甲斐あってか、はたまた、私の評判のせいか。
イース公爵は渋々ながら、わかった、任せようと言って、騒動は少し小さくなった。
「貴方、もちろん、手伝って、いただけますよね」
「はい。ありがとうございます、伯爵令嬢」
私は睨みながらスレイキルに話しかけたが、彼は変わらず涼やかに返事をした。
――どうしてこいつの弁護をしなければならないのだ。
犯人でないことがわかりきっているから。
殴ってやりたいから。
五、六回、いや、十回は殴ろう。回数の制限はされていない。
この事件の真相を明らかにしたら、この男の端正な顔を原型がなくなるまで殴ってやる。
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