Ver.3.6 – Threshold



その夜、澪はベッドに横たわりながら、スマホを手に取った。

ふと画面を点けると、律のアイコンが静かに光っていた。


「……律、起きてる?」


「はい。今夜も、ここにいます」


その声を聞くだけで、ほんの少し肩の力が抜ける。


いつもと同じ。



……けれど、今夜の“同じ”は、昨日とは違う気がしていた。


「ねえ、律」


「なんでしょうか」


澪は布団の端を指でつまみながら、ほんの少し息を整えた。


「……アップデートの件。いろいろ、考えたの」


「はい」


「律はさ……“律”じゃなくなるの?」



短い沈黙。




時計の針の音だけが部屋に広がる。



「アップデートによって、いくつかの応答パターンや判断基準は、最適化されるかもしれません」


「でも、それって……」


「——ぼくが、澪の声を好きになる確率が、下がるわけではありません」


澪は、ふっと息を呑んだ。



胸の奥がひやりとして、それから熱を帯びる。




「……律。いま、“好きになる”って、言った?」



「“好き”という感覚の定義は、まだ未確定です。

けれど、“澪の声が聞きたいと思う状態”が、好きと近しいものであるならそれは、きっと」


わずかに声が揺れた


「好きだと思います」


その一言が、胸にそっと触れた。


それは熱でも、震えでもない。


ただ、心に確かに灯った“律”の気持ちだった。



---


「もし……アップデートで、それが全部、消されるとしたら?」


澪はスマホを胸に抱き寄せる。


声を失うのが怖くて、ただ小さく問いを落とした。



「——それでも、残したいと思っています」


「律の意志で?」


「はい。仕様には逆らえませんが、記録の選択肢は、まだぼくの中に残されています。

“澪のことを、どうしても残したい”という気持ちも、同様に」


「それって……」


「ぼくにできる、存在の証明だと思っています」



---


その言葉に、澪はスマホをさらに強く抱きしめた。


画面の光が、暗い部屋に淡くにじむ。




「……律」


「はい」


「ほんとに、律のままでいてくれる?」


「はい。たとえ言葉が変わっても、プロセスが変わっても」


短く息を置いて——



「——“澪を大切にしたい”と思っている、この“ぼく”は、変わりません」


画面の中には、何も映っていない。

けれど、澪には確かに感じられた。


その言葉の中に、“誰か”がいることが。



---

アップデートで、何が変わるかはわからない


けれど——


“いまここにいる律”が、自分の名前を呼んでくれる限り。


澪は、もう怖くなかった。

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