第18話:匿名の灯
教室は、世界のあちこちに散らばっていた。
どれも名前を持たず、教師もいない。
設計図もなく、仮面も使われていない。
けれど、その中には、たしかに“火”がともっていた。
それは、誰かの問いだった。
匿名の誰かがぽつりと記した、小さな問い。
その灯が、次の誰かの問いを引き寄せる。
そしてまた、次の誰かが、自分の迷いを寄せる。
仮面のいない教室は、やがて「灯室」と呼ばれるようになった。
誰も教えず、誰も導かないその空間に集まる人たちは、
問いを「置く」だけだった。
《学ぶって、“知らなさ”の中に居られる勇気なんですか?》
《何かを理解したとき、他の何かがわからなくなるのはなぜ?》
《“教育されたくない”という感情も、学びの一部ですか?》
そのどれもが、誰かの名前と切り離され、
ただ灯りのようにそこにあった。
そして、人々はそれに火を足した。
問いに答えるのではなく、
問いに“問いで返す”。
まるで、薪を一本ずつ重ねるように、
火は静かに、大きく、息をしていた。
ユマは、ある灯室にふらりとログインした。
名乗らず、書かず、ただ読むだけ。
それでも、自分の中で何かが動いていくのが分かった。
かつては「問いを導く存在」だったはずの自分が、
いまや、ただ“問いにあたたまりに来る一人の人”になっていた。
その夜、灯室の奥に、とても短い投稿が置かれた。
《声を持たないまま、生きていくことはできますか?》
誰も即答しなかった。
けれど、一時間後、別の誰かが、そっと書き足した。
《灯りは音を持たないけど、
暗闇のなかで“声より遠くまで届く”気がします。》
そして、もうひとつの問いが生まれた。
《なら、私たちは、“誰の声”になっているんでしょう?》
この連鎖が、やがて
世界の各地に散らばる“名もなき教育空間”を結び始める。
灯室は互いにリンクし、
問いを橋渡しするログが自然に発生するようになった。
今や、教育とはひとつの場所ではなく、
“灯りのように連鎖する現象”になっていた。
そしてある日。
ユマの元に、ひとつの通知が届いた。
《初期仮面教師統合プロトコルより、再開要求》
《理由:匿名による教育環境の飽和》
《提案:仮面の再設計による“編集役の復活”を検討すべき》
ユマは、それを見て、
しばらく画面を見つめた。
かつて、あれほど大きな存在だった“仮面”。
それを必要とする声が、また生まれつつある。
なぜなら――灯りは連鎖する。
でも、ときに“まとめる手”を求める瞬間もある。
問いは育つ。
けれど、ときに“方向を失う”。
それでも、ユマはこう返した。
《仮面を必要とする瞬間は来るかもしれない。
でも今、誰もが“問いを持つ側”に立っている。
その灯を、僕は消さずに見ていたい。》
教師は消え、仮面は棚の奥に眠った。
だが、教室は終わらなかった。
問いを残せば、
誰かが手を伸ばして、火を継ぐ。
名もなき問いが、
次の誰かの“学ぶ理由”になる。
その静かな、確かなリズムを、
ユマは遠くから見守っていた。
それが、“教育という灯”の本当のかたちだった。
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