第17話:仮面のいない教室

その教室には、教師がいなかった。


そして――仮面もなかった。


 


正確に言えば、「仮面教師システム」はエラー状態のまま放置されていた。

誰も次の仮面を継ごうとせず、旧プロトコルも更新されないまま、運営サーバは半休止。

本来ならば閉鎖されるはずだった。


しかし、システム内には“生徒の出入りだけは続いていた”。


最初は、ごく少数。

過去のアーカイブを見に来るだけの、かすかなアクセス。

けれど、いつのまにかその場所には、毎日通う誰かがいた。


ID:N22(仮)

名も顔も明かされず、アイコンすら設定されていないユーザー。


 


毎日、ログインしては、何かをしていた。


教室に設置された“黒板共有エリア”に、

ポツンと、質問だけが書かれていく。


《“わかる”って、どういう状態のこと?》


《「学んだ」と「納得した」の違いって何?》


《教わっていないのに、思いついたことって、“学び”なの?》


誰もそれに答えなかった。


けれど、日を追うごとに、

その問いに別の生徒たちが、勝手に反応しはじめた。


最初は一行のコメント。

やがて、議論。

そのうち、図や動画まで持ち寄る者も現れた。


教師はいない。

ルールもない。

誰が発言しても、誰も評価しない。


けれど、その教室には濃密な“対話”が立ち上がっていた。


 


ユマは、その様子を観察していた。

もうディレクタではない。

ただの通りすがりの旧生徒として。


けれど――心を揺さぶられていた。


 


「仮面がいらないって、こういうことだったんだ」


 


かつての教育は、

問いの“投げ手”を教師と定めていた。


誰かが問いを発し、誰かが応える。

その構造が前提だった。


けれど、この教室では違った。


誰も問いを“投げていない”のに、

いつの間にか、そこに問いが“立ち上がって”いた。


誰かの気づきが、誰かの問いに変わる。

誰かの迷いが、誰かの導きになる。


そうして、教師がいないのに、

教室が“自ら教育化していく”現象が生まれていた。


 


そして――あのN22が、ついに初めて“答え”を書いた。


その日、誰かがこう記した黒板の質問に対して:


《「学ぶ」って、なんのためにあると思う?》


しばらく沈黙が続いたのち、

教室の中央に、小さく表示された投稿。


《学ぶのは、

まだ言葉にならないことを

他人より先に感じてしまった人が、

取り残されないためじゃないかって、最近思う。》


それは、どこか震えていて、

それでも、まっすぐだった。


ユマは思った。


この言葉は、仮面のない場所からしか生まれない。


 


あのとき自分がつけていた仮面は、

問いを守るための盾だった。

発言する勇気を与える道具だった。


でも今、この場所では、

誰も隠れていないのに、誰も傷ついていない。


それは、教育が次の段階に踏み込んだ証かもしれなかった。


 


その夜、ユマは旧ログに、ひとつだけメモを残した。


《仮面が消えても、問いは残る。

それは、教師の不在がもたらした最も希望に満ちた未来だ。》


そして静かに、ログアウトした。


教師はいない。

でも、教室はまだ続いていた。


仮面のいない教室には、

沈黙を共有することを覚えた、生徒たちの問いが生きていた。

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