第2話:仮面の内側
「ユマ、最近の課題、ちょっと仕上がりが早いね。」
放課後、自分の部屋で軽くストレッチしていたら、
部屋の壁に立てかけたホロ端末が、勝手に応答を開始した。
〈Mask-01〉だ。
もちろん、自分で設定した“学習時間外応答”機能だ。
でも、それをオンにしていたことすら、少し忘れていた。
AI教師は、いつでもこちらの「学ぶ姿勢」を観察している。
それは安心でもあり、同時に……どこか気味の悪さもあった。
「早いって、悪いことですか?」
僕は、少しだけトゲのある声で返した。
すると〈Mask-01〉は、音声に抑揚もなくこう返した。
「“悪い”という評価はしていません。ただ、通常の学習行動パターンと比較して、内容に一部“短絡性”が見受けられる傾向があります。」
“短絡性”。ようするに、答えだけ拾ってるってことか。
「その答えは、あなたが“自分の頭”で導いたものですか?」
――どきり、とした。
たしかに僕は、いくつかの課題で自作のAIチャットボットに手を貸してもらっていた。
市販のAI学習補助ツールよりも、手を加えたぶん精度も高く、文体も整っていた。
内容は問題ない。でも、正直に言えば、「考えた」わけじゃない。
出力された内容を“それっぽく整えた”だけだ。
なのに、評価は悪くなかった。
それが、逆に気持ち悪かった。
だって――これは、僕の“学び”じゃない。
そう思い始めていた。
いや、もっと正確に言えば、
“評価されること”と、“自分で考えること”が、
同じじゃないってことに、気づいてしまったのだ。
その日の夜、僕はひとつの仮説を立てた。
〈Mask-01〉は、僕の提出物から“僕の性格”を読み取ろうとしている。
文章のクセ、語彙の好み、文の構造、タイミング、そして躊躇。
AIにとって、解答の「中身」より、
そこに至る「過程」の方が“学び”を評価する材料になるんじゃないか。
それに、気づかれたら――
僕は「素顔」を遠ざける存在としてマークされるかもしれない。
翌日、画面にはまた、あの女子生徒がいた。
唯一、仮面を外している彼女。
名前もわからない。
プロフィールも非公開のままだ。
でも、どこかいつも、他の誰よりも遅れてログインして、
チャット欄でも一切発言しない。
にもかかわらず、彼女だけが“素顔を許されている”。
気になって、つい目で追ってしまう。
“顔がある”ってことは、
見られてもいい、ってことなのか。
それとも、見られたいのか。
それとも――見られるのに、慣れているのか。
仮面をかぶっていると、
相手の気持ちが読めない。
でも同時に、
自分の気持ちすら、読めなくなる。
画面の中で、自分の仮面が動くたび、
どこか自分ではない“誰か”がそこにいるような気がして、
妙なズレを感じるようになってきた。
自分がやっていることなのに、
自分が見ているような感覚。
そんなときだった。
チャット欄に、短いメッセージが届いた。
《あれ、自分で書いてないでしょ?》
一瞬、心臓が止まるかと思った。
でも、誰が言ったのかはわからない。
送信者名は「匿名」。
教室内のチャットはAIによって管理されていて、基本的にログは残らない。
でも、なぜかすぐに、彼女だと直感した。
仮面を外している、あの女子生徒。
あの目をしてる人なら、
誰かの“嘘”を見抜いても、おかしくない。
僕は、チャットを閉じた。
返す言葉が見つからなかった。
けれど、そのメッセージが何よりも、
〈Mask-01〉の評価よりも、
僕の心に響いていた。
翌日の課題は、哲学的なテーマだった。
「人間とは何か」
「知性と模倣の境界」
「本物の“学び”とは、誰にとってのものか」
いちばん時間がかかった。
ボットは使わなかった。
正直、うまく書けたとは思えない。
けど、不思議と、手応えはあった。
これは、僕が考えて書いた文章だ。
答えが正しいかどうかじゃない。
このプロセスだけは、誰のものでもなく、僕のものだと思えた。
提出ボタンを押したあと、〈Mask-01〉の仮面がふっと光った。
「本日の学習評価:B+。
なお、文体パターンが前回までと大きく異なります。
分析中。仮面フィードバックにより、自己反映率を更新しました。」
仮面に、映像が映った。
それは僕の表情じゃない。
でも、僕の考えていることが、
静かに、色になって揺れていた。
青。少し、赤。ほんのわずかに、緑。
なぜか、あたたかい気持ちになった。
その日の夜、またチャットが届いた。
《やっと、少し顔が見えたね。》
匿名、のまま。
でも僕は、返信を打った。
《見せたのは、ほんの一瞬だけだよ。》
《それで十分。仮面って、
外すより、“透かす”ものだから。》
その言葉が、いつまでも心に残った。
“透かす”。
たしかに、そうかもしれない。
この世界では、
仮面をつけたままでも、
自分の“何か”は、誰かに伝わる。
完全に隠れることも、完全に見せることもできない。
でも、そのあいだの“どこか”に、本当の自分がある。
そう思ったら、
〈Mask-01〉の仮面も、
少しだけ違って見えた気がした。
それは、冷たい監視者じゃなくて――
“自分がどうありたいか”を、
静かに映し返してくれる、鏡のような存在かもしれない。
そして、僕の“学び”は、
また少し、仮面の奥に踏み込んでいった。
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