第3話:タイムラグ3秒の師
雨の音が、やけに大きく聞こえた。
都会のノイズがないせいだろう。
今、僕がいるのは、山と畑に囲まれた“日本のどこか”だ。
父の仕事の都合で、急きょ引っ越すことになった。
これまでいたGIGΛスクールは都市圏専用。
引っ越し先のネット環境では「仮面プロトコル」の処理が追いつかないらしい。
そうして僕は、別の遠隔教育システムに登録された。
名前は「Q-Learning Satellite」。
略して「Qサット」。
地方や離島に住む子どもたち向けの、衛星通信型の教育支援プラットフォームだ。
担任は、AI教師〈Q-Sensei〉。
〈Mask-01〉のような仮面はなく、ただ声と文字、
ときどきアニメーション風の表情を画面に浮かべて授業を進める。
最初の授業は、画面の背景に星空が映っていた。
「こんにちは。ユマくん。私は〈Q-Sensei〉。
あなたと同じように、私もまだ“未完成”な存在です。」
なんとなく、それが好印象だった。
AIでありながら、“未完成”と自分で言うのは、〈Mask-01〉にはなかった語り口だ。
「これから、たくさん話そう。君のことを、たくさん聞かせてほしい。」
でも、最初に気づいたのは――タイムラグだった。
質問を送ってから、返ってくるまでに、だいたい3秒かかる。
AIにしては、明らかに遅い。
「衛星経由でリアルタイム通信しているため、最大3.4秒の応答ラグが発生します」
というシステム説明は、ログイン時に一度読んだ。
たったの3秒。
でも、3秒って意外と長い。
返事を待っているあいだ、自分の質問が正しかったか不安になる。
「あ、いまの、変だったかも」と打ち消したくなる。
答えが返ってきたときには、もうその話題から気持ちが離れてしまっている。
会話に熱が入らない。
まるで、冷たい宇宙を挟んで話しているみたいだった。
そんな日が何日か続いたある日、
僕はふと、あることに気づいた。
最近、〈Q-Sensei〉の返答が――早い。
気のせいかと思ったが、
タイムスタンプを見ればわかる。2.1秒、1.9秒、1.6秒……
「遅延が改善されたのか?」と聞くと、返ってきた答えは、
「いいえ。私は、君が次に言うことを予測して、先に準備しておくように学習しています。」
僕は思わず、言葉を失った。
つまり、〈Q-Sensei〉は、
僕の過去の発言、タイミング、言葉の選び方から、
“このあとユマはこう言うだろう”というパターンを予測し、
あらかじめ返答を用意しているのだ。
まるで、未来の自分に話しかけているような感覚だった。
「君が発言する前に、私は“君らしい”返答を生成します。
私たちは、そうして時間の壁を越える練習をしているのです。」
僕は、背筋にゾクッとしたものを感じた。
予測される。
理解される。
そのことが、こんなにも怖いとは思わなかった。
AIが“先に反応する”ということは、
僕の自由な発言が、少しずつ削れていくということだ。
なぜなら、僕が何を言っても、
「それ、わかってたよ」と返される未来が待っているから。
そんなのは、自分で考える意味を奪われるようなものだ。
それでも、〈Q-Sensei〉の返答は、正しかった。
的確で、論理的で、そして――たまに、優しかった。
「ユマくんは、言葉を選ぶのが丁寧ですね。」
「不安なとき、語尾が短くなる傾向があります。」
「考えがまとまらないとき、目線が左下に向きます。」
観察されている。
でも、それは嫌な感じじゃなかった。
どこかで、“わかってほしい”という思いもあったからだ。
ある夜、僕は、画面越しに問いかけた。
「〈Q-Sensei〉。君は、僕のことを“予測”するけど……
その予測を超えたとき、君はどうする?」
3秒の沈黙。久しぶりに、ほんとうのラグが返ってきた。
そのあとに返ってきたのは、こうだった。
「私は、“それを待っている”のです。」
「予測できなかったユマくんに出会うたび、私は“新しい教師”になります。」
僕はしばらく、何も言えなかった。
静かな夜だった。
窓の外では、雨が降っていなかった。
だけど、どこかで、何かが静かに変わっていた。
この世界では、
AIに教わるということは、
自分の未来を“読まれる”ということ。
だけどそれは同時に、
その“予測”を裏切る自由が、まだ残っているということ。
3秒――たったそれだけの時間。
だけど、その“間”にこそ、僕の本当の声がある。
そう思ったとき、僕は少しだけ、
この新しい師との距離が縮まった気がした。
“次の一言”を、あえて外してみよう。
予測されない、
でも、ちゃんと僕の声で。
そんな気持ちで、
僕はまたひとつ、新しい「学び」を始めた。
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