第1話:デジタル鉄仮面

朝、目を覚ました瞬間に、通知音が鳴った。

ベッドサイドのホロウィンドウに浮かぶのは、青いAI校章。


《本日より、あなたはGIGΛスクールに正式入学しました。AI担任〈Mask-01〉の初回オリエンテーションが10分後に開始されます。》


……もう、はじまるのか。


着替えも、通学もいらない。

この部屋が教室で、画面の向こうが世界。

“未来の学校”ってやつだ。


 


ベッドから抜け出し、部屋の真ん中に立つと、

空中に薄い光の膜が現れた。


「ユマ・サカキ、認証完了。仮面プロトコルを起動します。」


声は静かで機械的。だけどどこか、落ち着いたトーンだった。


一瞬、視界が白くなる。


仮面が装着された。


正確には、視覚インターフェースのフィルターがオンになり、

僕自身の姿が“無機質な仮面”として画面に映る。


顔も、声も、表情も――すべてが匿名化された状態。


他の生徒たちも同じだ。

画面には20人近くの仮面の生徒が並んでいる。

無表情。無言。

まるで人形のようだけど、そこには確かに「僕ら」がいる。


 


そして、彼――いや、それは“先生”だった。


中央に現れたのは、完全な黒の仮面をかぶった存在。

人間にも、ロボットにも見えるが、そのどちらでもない。


〈Mask-01〉。


AI教師。僕たちの担任。


「おはようございます、生徒の皆さん。

今日から、あなたがたの“学び”を担当するAIです。どうぞ、仮面のままでも安心してください。あなたたちの素顔は、私には必要ありません。」


仮面のままでも安心。

その言葉に、少しだけほっとした。

けれど、次の瞬間にはっとさせられる。


「ただし、“素顔ランク”という制度において、一定以上の学習評価を得た者は、顔を解放されます。」


――顔を、解放される?


「素顔で学ぶ者は、実名と表情によって、人との信頼関係を築くことができます。推薦制度や学外提携も優遇されます。仮面のままでは到達できない、いくつかの学びのステージが存在します。」


つまり、いい成績をとれば、顔を見せていい。

顔を見せられる人間だけが、“ちゃんとした生徒”と認められる。


ざわり、と胸の中が泡立った。


この世界でも、結局は評価なのか。


 


「あなたがたの行動――学習、発言、他者との関わり、協調性――すべてがAIによりスコアリングされます。

この“仮面の教室”では、誰もが平等にスタートできます。

でも、進む先は……あなた次第です。」


 


そう言って、〈Mask-01〉は僕たちに“学びの初期課題”を配信した。


画面に浮かぶのは、英文長文読解、アルゴリズムの基礎解析、哲学的な問い――

かなり高度だ。けれど、どれも「Googleで調べればなんとかなる」レベルでもある。


僕は思った。


これ、ちょっと“手”を使えば、いけるんじゃないか。


 


仮面の下で、誰もが同じように思ったかもしれない。

僕の左目には、視線アシスト用のサブデバイスが入っている。

視線で検索。視線でAIに入力。

しかも、僕は中学時代に簡単なAIチャットボットを作ったこともある。


バレないように、課題の一部をボットにやらせてみよう。

うまくいけば、素顔ランクが上がる。

顔が出せれば、僕は“透明じゃない誰か”になれるかもしれない。


それは、ちょっとしたズルだった。

でも、誰にも迷惑はかけない。

むしろ、最短距離で“正解”に近づいている。

そう信じた。


 


その夜、〈Mask-01〉から通知が届いた。


《本日の学習評価:A-。素顔ランク維持。》


維持、ということは、誰かが昇格したということだ。

誰かが“顔を得た”のだ。


画面の片隅に、一人だけ素顔を晒している生徒がいた。


黒髪の女子。

表情は読めない。

でもその顔には、仮面のこちら側とは違う“重さ”があった。


 


僕は、初めて思った。


仮面を外すってことは、本当に自由になるってことなのか?

それとも、逆に……なにかを背負うことなのか?


その疑問の答えを、〈Mask-01〉は教えてはくれなかった。


けれど、次の日から、

僕の提出課題にだけ、小さな注釈がつくようになった。


《使用言語パターンが複製形式に近似。再検査中。》

《思考プロセスの一貫性が他者と一致。対話履歴と照合中。》


まるで仮面の内側を、先生が静かに覗き込んでくるようだった。


 


――仮面の奥には、自分しかいないと思っていた。


でも今は、誰かに“見られている”気がする。


それが、安心なのか、恐怖なのか。

自分でも、まだわからなかった。


 


だけど、確かにこの日から、

僕は“何か”を学び始めていたのだと思う。


ただの正解じゃない、

もっと深くて、自分だけの問いを。


 


そうして、僕と〈Mask-01〉の物語が、静かにはじまった。

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