京都祓録記
天城レクト
プロローグ
目が覚めたとき、部屋の窓からいつも通りの陽が差し込んでいた。
まだ肌寒い京都の春。カーテンの隙間から差し込む光は白く、障子の枠を静かに照らしていた。
祓い屋の家に生まれた──なんて肩書き、俺にとってはただの“古臭い設定”みたいなもんや。
朝ごはんの匂い。階下からは祖母の声が飛んでくる。
「悠真ー! 早よ起きんと学校遅れるでー!」
「わかってるって……!」
寝ぼけ眼で布団を抜け出して、洗面所へ向かう。
鏡に映るのは、目の腫れた自分の顔。髪は跳ねてて、口元には寝癖の名残。
……この頃は、まだ視えてへんかった。
「ほら、味噌汁冷めんで!」
「今行くってば!」
制服に袖を通しながらスマホを開く。通知の山は、クラスのグループLINEとフォローしてるお笑いアカウントの更新ばかり。
“普通”の朝。なんてことない、いつもの一日が始まる──
俺は、ほんまにそう思ってた。
***
学校は、相変わらずうるさい。
誰かが笑って、誰かが騒いで、誰かが疲れた顔で机に突っ伏してる。
そんな中で俺は、うまく混じらんようにしながら混じってる。
友達もゼロじゃない。けど、どこか一線を引いてる。
仲良しグループには入らず、誰とも深く踏み込まんようにしてる。
「安倍くんって、なんか落ち着いてるよなー」
「いや、ただの地味やろ」
茶化すような会話も、ただ流す。
適度に笑って、適度にうなずいて。敵を作らんように、目立たんように。
──これは演技やって、自分でもわかってる。
授業中、ふと目が黒板の上にある掲示物に向いた。
壁に貼られたポスターの角が、風もないのに揺れてる気がした。
(風なんて、吹いてへんのに……)
そう思って首を横に振る。
クラスメイトがSNSで「最近、金縛り増えてへん?」「伏見でまた人消えたんやって」と騒いでたのを思い出す。
けど俺は、“まだ”関係ない。ただの部外者や。
──そのはずやった。
***
放課後、チャイムが鳴って、教室を出た。
今日も、ひとりで帰るつもりやった。
昇降口の前。
ふと、目が鏡に向いた。
掃除されたばかりのガラスは澄んでいて、そこに映るのは俺自身だけ──のはずやのに、
なんでやろう、目を離せへん。
胸の奥が、ざわざわする。
何も映ってへんのに、“何か”を探してしまう。
そんなとき、誰かが階段を降りてきた。
視線だけを動かして見ると、黒髪の女子が通り過ぎていく。
橘沙耶──クラスは違うけど、名前くらいは知ってる。
成績優秀で、静かなタイプ。誰ともつるんでないけど、なんとなく孤独ではない雰囲気。
彼女とは、まだ言葉を交わしたことがない。
けど、時々、目が合う。
そのたび、なんとも言えんざわつきを感じる。
まるで──“同じものが視えている”ような、そんな感覚。
この日も、すれ違うだけやった。
けど、なぜか気になった。その背中が、どこか寂しそうに揺れてたから。
***
夜。テレビのバラエティ番組の音を祖母がリモコンで消した。
「悠真、ちょっと座りぃ」
「……なに? 急に」
「今日、社の方でまたあったんや。“映る鏡”の報せや」
「……また怪異?」
「せや。うちらみたいな家に、回ってくるもんがあるのも当然やけど……
ちょっと、あんたにも関係あるかもしれへん」
祖母は静かに湯呑みを置いた。
「なあ悠真、“晴明”って名前、どっかで聞いたことある?」
「……は? 平安時代の陰陽師のことやろ?」
「そ。あんたの名前、“安倍”やろ」
「偶然やん……」
「ほんまに偶然やと思うか?」
祖母は、真剣な目でこっちを見てきた。
「“その日”が、そろそろ来るかもしれへん。“視えてまう日”が」
「……見えへんままでいいし。俺、霊とか、そういうん苦手やし」
「そやろな。視えるようになったら、世界が変わる。
ほんまに怖いんは、お化けやのうて、視えてしまった自分をどう扱うかや」
「……」
「でもな、もし視えたときは──あんた自身で決めや。
逃げるか、受け入れるか。おばあちゃんは、どっちでもかまへんと思ってる」
その言葉は、どこか予言めいていた。
俺は頷けず、ただ黙った。
***
布団に入っても、眠れへんかった。
スマホの画面を見ても、LINEも更新も、何もおもろない。
窓の外から、ふいに風鈴が鳴った。
──風なんて、吹いてへんのに。
目を閉じて、深呼吸する。
隣の机の上に置いた鏡。昼間はなんとも思わんかったそれが、今は妙に気になる。
目を開ける。
鏡の中──何も映ってない。
けど、“向こう側”に何かがいるような気がしてならんかった。
視えるようになる前の俺。
“普通”でいたいと思ってた。
祓い屋の血も、安倍晴明の生まれ変わりとかも──全部、物語の外の話やと。
──そう思ってた。
けど、もうすぐ、全部変わる。
このときは、まだ知らんかった。
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