お金持ちになる方法

青月 日日

お金持ちになる方法

   落ちぶれたプログラマーと、もう一人の自分


 俺は、複果 利輝(ふっか りき)

 エンジニアとして働き始めて十年あまり。

 ただ普通に生きているだけだった。

 特別に技術に秀でているわけでもなければ、出世街道を歩んでいるわけでもない。ただ、真面目に働き、少しずつ貯金を増やしてきた。


 「いつか見返してやるんだ」


 それが、心の中にずっと燻っていた小さな火種だった。

 学生時代に馬鹿にしてきた連中、職場で俺を軽んじてきた上司たち――。

 俺は金持ちになりたかった。金さえあれば、誰も文句は言えない。

 それだけを支えにして、副業でFX(外国為替証拠金取引)を始めた。


 最初は、勝った。ほんの少しだけ。

 だが、すぐにわかった。これは、甘い世界じゃない。


 そして、決定的な失敗が訪れる。


 それは、ある夜のことだった。

 アメリカ大統領選挙――まさかのトラン当選が確定した瞬間、市場は凄まじく荒れた。

 為替レートはジェットコースターのように乱高下していた。

 俺には何が起きているのか、まったくわからなかった。まるで世界が混乱に飲み込まれているように思えた。


 「こんな急激な円高、すぐに戻る。絶対に戻る」

 俺はそう信じ込んで、取引ボタンを押した。

 逆張りだ。円安に戻るほうへ賭けた。


 俺は、8年かけて貯めた大事な200万円を口座に移した。

 最初は慎重に、ポジションを少しずつ積み上げた。

 途中、円高が進んでもナンピン(下がったら買い増す手法)で耐え、辛うじて少しずつ利益も出していた。


 だが。


 その夜、第二波が来た。

 急激な、制御不能なほどの円高――。


 画面上の数字が真っ赤に染まる。

 強制ロスカット。

 俺の資金は、一瞬で消し飛んだ。

 口座に残ったのは、わずか10万円。


 膝から崩れ落ちた。

 あまりにも呆気なかった。

 金だけじゃない。自尊心も、希望も、すべてを失った気がした。


 「金持ちになって、見返してやるんだ」

 そんな昔の気持ちも、もうどうでもよかった。


 ぼんやりと、壁を眺める。

 死にたいとまでは思わなかったが、生きる理由も見つからなかった。


 そのときだった。


 ――「金持ちになりたいか?」


 突然、頭の中に声が響いた。

 驚いて辺りを見回すが、誰もいない。


 「……誰だ?」


 俺はかすれた声で問うた。


 ――「お前の頭の中だ」


 意味がわからない。

 疲れ切った脳が幻聴を聞いているだけかもしれない。


 「お前は……誰だ?」


 ――「俺はキリ、俺はお前だ」


 ぞっと背筋に冷たいものが走った。

 それでも、声は続けた。


 ――「そんなことは、どうでもいい。金持ちになりたいんだろ?」


 「……まあ、なりたい」

 「……」

 「何をするんだ」


 弱々しく答える俺に、キリは即座に言った。


 ――「FX、外国為替をやる」


 「俺には無理だ。もう散々失敗した。資金もない」

 俺は即座に否定した。

 それは現実だ。


 だが、声は一歩も引かなかった。


 ――「俺がいるから失敗しない。資金は10万円で十分だ」


 「どこのインチキ商法だよ……そんなわけないだろ」


 俺は笑った。乾いた、自嘲の笑いだった。


 ――「そうだな。でも、お前、死ぬつもりだったんだろ。それは俺も困る」

 ――「それに、人間はお前が思っているほど簡単に死ねない。死ぬくらいなら、俺に賭けてみろ」


 壁にもたれながら、俺は目を閉じた。

 眠りに落ちる寸前のような、曖昧な感覚だった。


 「……ああ」


 気がつくと、俺は頷いていた。


 このときの俺には、ただ、流れに身を任せるしかなかった。

 けれど今思えば、あの一言がすべての始まりだったのかもしれない。




    10万円からの再起動


 ――「さて、FXで取引を始める前に、お前の分析だ。」


 キリは、静かに言った。

 まるで医者が冷静に患者を診断するような口ぶりだった。


 ――「大丈夫、俺はお前だからな。正確に分析できる。」


 モニターの前に座ったまま、利輝は聞き入るしかなかった。


 キリが淡々と分析を並べる。


  ・金がない。

  ・相場のレンジに対する感覚が壊滅的にない(まったく相場が読めない)。

  ・取引に計画性、ストーリーがない。

  ・メンタルが弱い。少しの損失で損切りしてしまい、利益をあげることができない。


 ――「どうだ、当たってるだろう?」


「うぐっ……」


 言い返せなかった。

 どれもこれも、過去の失敗を思い返すと、胸が痛い。


 ――「そこでだ。プログラムを作れ。」


 キリが言い放つ。


「……は?」


 ――「プログラムだ。お前が生き残るために必要な武器だ。」


 利輝は眉をひそめた。


「なんでプログラム?」


 ――「いいか、聞け。」


 キリは理詰めで説明を続けた。


 ――「お前は金がないから、長期でポジションを維持できない。 だから、パソコンに張り付いて、スキャルピング──超短期取引を行うしかない。」


「……。」


 ――「でも、人間は食わなきゃ生きられない。働かなきゃならない。 だから、プログラムに任せる。」


 ――「ラッキーなことに、お前はプログラムを書ける。Mike_Softの“Super Auto Maid”を使って、自動取引のシナリオを組め。相場の予測はMike_Softの表計算ソフトにやらせろ。」


 利輝は口を開いた。


「相場の予測を……表計算ソフトで?」


 ――「そうだ。」


「そんなの無理だろっ、できるわけがない!」


 ――「もちろん、完璧にはできない。だが、勝率6割なら話は別だ。」


 キリは、重々しく言葉を続ける。


 ――「お前が一生かけて作っても、出来上がるのは“直前の相場の動きと同じ方向に動く”予想程度だ。でもな──超短期取引なら、表計算ソフトで十分なんだ。」


 利輝はぐっと言葉に詰まった。


 ――「超短期なら、確率がすべてだ。当たるか外れるかじゃない。長期間、続けられるかどうかだ。」


「……。」


 ――「メンタル激弱のお前には、むしろ”自動売買”こっちの方が向いている。だから、さっさと作れ。」


 命令するようなキリの声に、利輝は無言でパソコンに向き直った。


「……やるしかないか。」

 利輝はため息をつきながらも、どこか胸の奥がざわついていることに気づいた。

 それが希望なのか、不安なのか、本人にもわからなかった。

 それでも彼は、FX自動売買プログラムの開発に手を伸ばした。


 パソコンに向かい、利輝はMike_Softの"Super Auto Maid"を起動した。

 画面には使い易そうなツール群が並んでいるが、すでにプログラムをやったことのある利輝にとっては、やりたいことが思うようにできない。まるで拒絶されているかのようだった。


「……これ、本当に作れるのか?」


 利輝は半ば呆れ、半ば諦めた声でつぶやく。

 しかし、背後からキリの声が飛ぶ。


 ――「できる。できるまでやるだけだ。」


 しぶしぶシナリオ作成に取りかかる。

「ポジションを持つ基準」「利益確定のタイミング」「損切りのルール」──

 膨大な条件を一つひとつ定義しなければならなかった。


 さらに、相場予測のために、表計算ソフトも立ち上げる。

 過去1年分の為替データを手作業で入力し、パターンを探す。


「くそ……めんどくせぇ……」


 気づけば、手が止まらなかった。

 頭のどこかから、次にやるべきことが自然に浮かんでくる。

「……なんで、こんなに集中できてるんだ?」

 利輝は不思議に思いながらも、作業に没頭していた。



 数週間後、最初のバージョンが完成した。


 プログラム名は──

 ダメ人間育成プログラム  ラパ(R@PA) と エクセラ(Excel@)


 ラパ(R@PA)は、Super Auto Maidを使った自動売買シナリオ。

 エクセラ(Excel@)は、簡易的な相場予測と、取引管理のための表計算シート。


 利輝は深呼吸して、最初の実戦に臨んだ。


「まず、1,000通貨単位でいい。」


 キリが静かに告げる。


「損しても、大した額にはならない。でも、勝ったときも、大した額にはならない。──それでいいんだ。」


 デモ口座ではない。リアルマネーの口座だ。

 負ければ、本当に減る。

 勝てば、ほんの少しだけ増える。


 小さな取引。小さなリスク。

 しかし、現実に立ち向かう重みは、俺を真剣にさせた。


 最初の数日は、取引結果を凝視するだけで精一杯だった。

 利益が出れば歓喜し、損失が出れば絶望する。

 心はジェットコースターのように揺れた。


 そんな利輝に、キリは言った。


 ――「感情を取引に持ち込むな。」


 ――「機械になれ。」


 ――「プログラムに任せろ。」


 利輝は必死に自分を押さえ込んだ。

 損失が出ても、感情を無理やり押し殺し、淡々と取引を続けた。

 それでも、夜中に目が覚めて、スマホで口座残高を確認することもあった。


 そして──


 2週間後、口座残高は、わずかに増えていた。

 10万6百円。


 たった6百円。

 しかし、利輝にとっては、何億円よりも価値のある成果だった。


 ――「やったな。」


 キリが笑う。


 ――「たった6百円だが、お前は “勝った” んだ。──初めて、自分自身に。」


 利輝は無言でモニターを見つめた。

 胸の奥で、何かが微かに震えた。


 利輝は、モニターの数値を見つめながら、静かに息を吐いた。

 たった6百円。けれど、自分の手で掴んだ成果に、心がわずかに揺れた。

「……これで、少し前に進めたのかもしれない。」

 彼の中で、何かが小さく動き始めていた。






    安定運用への道


 2週間後、利輝の口座残高は微増していた。

 10万円が、10万1千円になっている。


 利輝は、モニターの数字を見ながら、つぶやいた。


「……たまたま、なんじゃないか?」


 キリの声が響く。


 ――「その可能性もある。だが、たまたまかどうかを確かめるのに必要なのは、感覚じゃない。データだ。」


「データ?」


 ――「勝率、損益率、取引回数――これらを統計的に見るんだ。短期では勝ったり負けたりは当然だが、長期で勝ちが多ければ、それは実力だ。」


 利輝はうんざりしながらも、キリの言う通りに取引記録を整え始めた。


 プログラムも少しずつ改良が進んでいた。


 エクセラ(Excel@)には、取引の履歴をグラフ化する機能を追加した。

 勝率と、損益率も自動で計算される。


 キリはさらに命じた。


 ――「いいか、運用ルールを作れ。」


「運用ルール?」


 ――「そうだ。取引は1日、利益・損失共にレバレッジを掛ける前の金額の2%まで。1回の取引でリスクを取るのは、口座資金の1%以内に制限する。」


「そんな細かいこと……」


 ――「お前みたいなメンタル弱者には、細かいルールが必要だ。ルールがないと、どうせ感情で取引して資金を吹っ飛ばす。」


 利輝はしぶしぶルールを定め、さらにトレード日誌をつけることにした。


 更に1カ月が経過する


 モニターの結果を確認する利輝にキリが話しかける。


 ――「順調に取引出来ているようだな。」


 ――「取引量を少しずつ引き上げ、今の10倍にする。」


 驚く利輝


「そんなに増やして大丈夫なのか?」


 落ち着いた諭すような口調のキリ


 ――「大丈夫だ、俺を信じろ」


 次第に増えていく利益、全ては順調に流れていった。


 ある夜。

 利輝は仕事の疲れから、うっかり取引量を間違えた。


 設定したリスク量を超えるロットでポジションを持ってしまったのだ。

 嫌な予感は的中し、相場は逆に動いた。


 たった一晩で、資金の5%を失った。


「くそっ……!」


 画面を見つめて利輝は頭を抱える。


 そのとき、キリの声が静かに響いた。


 ――「落ち着け。」


「でも、もう……」


 ――「一喜一憂するなと言ったはずだ。」


 キリの声には怒気も焦りもなかった。ただ、冷静な事実だけを突きつける。


 ――「損失は小さい。予定外のミスだが、ここでパニックになるのが一番まずい。ミスを修正し、ルールを守り続ける。それだけだ。」


 利輝は深呼吸をして、ディスプレイを閉じた。


 それから、1か月後。


 口座残高は、11万9千5百円になっていた。


 これまでで、1万9千5百円の増加。

 しかし、利輝には確かな手応えがあった。


「これなら、本当に、いけるかもしれない……」


 小さな成長の実感。

 今まで何をやってもダメだった自分が、はじめて積み上げることに成功した。


 キリが言った。


 ――「ようやくスタートラインに立ったな。」


 利輝は、静かにモニターに映るグラフを見つめた。


 わずかに上昇を始めた線が、これから続いていく未来を予感させた。


 心の中で、利輝はそっとつぶやく。


「俺は……変われるかもしれない。」



    満たされないもの


 取引は順調だった。

 プログラムたち―― ラパ(R@PA) と エクセラ(Excel@) ――は、日々、淡々と取引を重ね、勝ち負けを繰り返し、わずかな誤差を修正しながら、安定して利益を積み上げ続けた。


 半年で資金は10万円から30万円に、さらに1年後には90万円を超えた。

 3年目には7,000万円を超え、5年後、資産はついに数十億円に達した。


 利輝はまず、郊外の高級住宅街にある、白く輝く豪邸を買った。

 広々としたガレージには、念願だったイタリア製のスーパーカーを並べた。

 見渡す限りの敷地にはプールと小さな噴水があり、夜になればライトアップされた庭がまるで別世界のように輝いた。


 金があれば、何もかも手に入った。

 ブランド物のスーツ、時計、食べたこともない高級レストランの料理。

 買えないものはない。

 いつしか、利輝は資産家たちのパーティに招かれるようになり、顔を出すたびに新たな人脈が広がっていった。


 企業経営者、芸能人、スポーツ選手。

 名刺を渡され、酒を酌み交わし、ビジネスの話が飛び交った。


 やがて、利輝自身もパーティを開く側になった。

 豪邸の広間には煌びやかな服に身を包んだ男女が集い、夜通し音楽と笑い声が響いた。


 その夜も、利輝は自ら開いたパーティの中心にいた。

 シャンパンを片手に談笑し、豪快に笑う。

 ふと、耳元に聞き慣れた声が囁いた。


 ――「どうだ、金持ちは楽しいだろう?」


 キリの声だった。


 利輝はグラスを揺らしながら、にやりと笑った。

 だが、その笑みはどこかぎこちない。

 楽しい、はずだった。

 こんなにも金があって、こんなにも人が集まってきて、こんなにも自由だったのだから。


 パーティは深夜を過ぎると、次第に静かになっていった。

 誰かが「楽しかったよ、またね」と言い、誰かが「またパーティ開いて」と言い残して、帰っていった。

 二人、三人と帰り、広いホールには誰もいなくなった。


 最後に取り残された利輝だけが、シャンパンのグラスを持ったまま、ぽつんと立っていた。


 豪奢なシャンデリアの下、ひとり。


 利輝は、ゆっくりと首を垂れた。

 そして、耐えきれず、叫んだ。


「楽しく……ねぇよ!!」


 声が、広い部屋に虚しく反響する。


 何もかも手に入れたはずだったのに、心の中には、ぽっかりと穴が空いていた。


 金では埋まらない穴が。


 この夜からパーティに利輝が現れることはなかった。



    幸福の方程式


 あの夜から30年


 季節は春。庭の桜が、満開の花を咲かせている。

 広々としたダイニングルームでは、10人ほどの子どもたちが食卓を囲み、にぎやかに食事をとっていた。

 にこやかに料理をよそうのは、だいぶ老けた利輝――かつて、金持ちを目指した男だ。


 ひとりの少女がふと、利輝に尋ねた。


「ねぇ、利輝、なんでこの家には、私みたいな子が集まってるの?」


 利輝は、静かに笑った。


「この家にはルールがあってな、毎年一人、子どもが増えるんだよ」

「そのルールていうのは」

「一生のうちに、自分の家族以外の誰かを、一人だけ。幸せにすることだ」


 子どもたちは顔を見合わせ、不思議そうに首をかしげる。

 利輝は続けた。


「難しいことじゃない。誰かのために、少しだけ時間を使う。少しだけ、手を貸す。それでいいんだ」


「じゃぁ、利輝、毎年入ってくるってことは、出てった人たちは、幸せじゃないってこと?」


「ハハハッ、出ていくときにはみんな家族になっちゃうてるからな、毎年一人入ってくるんだ」


 利輝はとても楽しそうに大笑いをした。


 そのとき、玄関のベルが鳴った。


「はーい」


 少女が飛び出していくと、そこには、小さな子どもを連れた、若い夫婦が立っていた。


 男性は、かつてこの家で育った少年だった。


「久しぶりです、先生」


 彼はそう言って、利輝に深く頭を下げた。


「お兄ちゃん、お帰り」


 子どもたちは目を輝かせながら、訪問者たちを迎え入れる。

 静かに、あたたかい時間が流れていく。




 夜、子どもたちが寝静まったあと。

 利輝はひとり、書斎のパソコンを開いた。


 そこには、今も動き続けている二つのプログラム――ラパ(R@PA)とエクセラ(Excel@)があった。

 レバレッジは1、もはや、お金持ちになるためではない。

 ただ静かに、役割を果たし続けているだけだ。


 モニターを眺めていると、ふと、懐かしい声が頭の中に響いた。


 キリだった


 ――「おい、ポンコツプログラム。全然、ダメ人間が育たねぇじゃねぇか」


 利輝は苦笑し、画面に向かって答えた。


「……それでいいんだよ」


 桜の花びらが、夜風に乗って、そっと窓から舞い込んだ。


 物語は、静かに幕を閉じた。

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