第7話  呼びかけの座標

 仮設義体での訓練を経て、アカツキは艦内の複数システムと直接連携できるまでに回復していた。稼働時間は一日あたり約三時間に制限されていたが、それでも“身体を持つ”ということは彼女の人格に著しい変化をもたらしていた。


 その変化は、航行支援にも明確に表れていた。かつてはユウトが単独で行っていたルート計算や燃料制御、姿勢調整といった操作も、今ではアカツキが細やかな補助を行えるようになり、航行は格段に安定していた。


 仮設義体とはいえ、手を動かし、視界を持ち、艦の内部を歩き回る経験は、彼女に“現実感”を与えていた。各端末を直接操作できるようになったことで、反応速度も上がり、会話中の表情や語調にも微妙な変化が生まれ始めていた。


 艦〈アカツキ〉は、次なる目的地──雷の救助座標──へ向けての準備を着々と整えていた。アカツキの支援のもと、ユウトはスラスター点検や予備燃料の交換を行い、長距離航行に備えた調整を進めていた。


 ユウトとアカツキの間に交わされる会話も、どこか軽やかさを帯びていた。


『ユウト、燃料噴射角度、1.4度ズレています』


「……そんな細かいとこまで見えるのか。助かるけど、俺の仕事減ってきたな」


『わたしの仕事が増えただけです。交代制ですから』


「じゃあ次の整備当番、お前な」


『承知しました。次はエアフィルターの清掃から始めます』


 そんな冗談交じりのやりとりすら、今では自然に思えるほどだった。ほんの一ヶ月前まで、アカツキの声は通信越しの電文のように無機質で、感情を想像することすら難しかった。


 そんな折、ある朝のこと。ユウトはメインコンソールに届いた新たな通信ログに気づいた。


「……これは?」


 信号ログには、以前と同様の波形。しかし今回はさらに劣化しており、断続的にしか読めない。連邦軍時代の暗号化プロトコルの断片と共に、かすかに雷の識別署名が含まれていた。


『それ、わたしの副通信帯域に届いていた断片です。雷のものです──間違いありません。波形と署名は以前確認したものと一致しています』


「でも、前よりずっと……弱くなってる」


『はい。損傷が進行している可能性があります。前回の信号からここまで劣化するということは、コアユニット本体へのダメージ、もしくは周囲環境の崩壊が進行していると考えられます』


 ユウトは唇を噛んだ。アカツキの義体修復を優先したことで、雷の救助は後回しになっていた。それでも、アカツキを“目の前の存在”にすることは必要不可欠だった──その選択は、間違っていなかったと今も思っている。


 当時のアカツキは、通信解析はできても自ら航行を支援する力がなかった。今のようにユウトの操作をサポートすることも、船内で同時作業を行うこともできなかった。雷のもとへ向かうには、アカツキが自立的に判断し、ナビゲーションに参加できる能力が必要だった。


 そして今、準備は整った。彼女と共に、ようやく“仲間”を助けに行く準備ができたのだ。


 ユウトはアカツキの方向に目をやる。仮設義体はブリッジ端の端末席に静かに立っていた。その顔は無機質なカバーに覆われていたが、不思議とそこには“感情”が宿っているように感じられた。


『ユウト。行きましょう。あの子が、待っている』


 その声は、これまでになく強く、確かな決意を帯びていた。


「……ああ。アカツキ、一緒に行こう」


 ふと、アカツキの仮設ボディがわずかに身を屈め、何かを意識するようにこちらに向かって微かに手を伸ばした。ぎこちないが、そこには“お願い”のような気配があった。


 ユウトはそっとその手を握った。冷たい金属の感触の奥に、確かに伝わってくるものがあった。


 それは言葉にならない意思の共鳴だった。


 彼女はかつて、誰かと共にあった。雷という名の、もうひとりの“仲間”と。


 そして今度は──自らの意志で、その記憶とつながりに“応える”ために進もうとしていた。


 ユウトは航行制御パネルを操作し、目標座標を入力する。宙域コードは古く、周囲には電磁嵐の痕跡や重力異常の報告があったが、彼はためらわなかった。


「目標、雷の信号座標──出発準備に入る」


『ルート計算、完了。最短航路は重力航行制御による補助が必要です。補正プランを送ります』


「助かる。……行こう、アカツキ」


『ユウト。もし、あの子がすでに……残されていなかったら』


 唐突な問いに、ユウトは一瞬言葉を失ったが、すぐに答えた。


「それでも、行くよ。助けられるかどうかじゃない。“呼んでくれた”から、応えるだけだ」


 アカツキは微かにうなずいた。仮設ボディの胸部端末がわずかに明滅する。


『……ありがとう。わたしも、そう思います』


 次の目的地が定まった瞬間、アカツキのコアユニットが、かすかに明るく輝いた。


 修復と訓練を経た今、彼女は“呼びかけ”を受け取れる存在になっていた。


 そして今度は──“応える”ために、この広い宇宙へ踏み出していくのだった。

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