第6話  仮設の一歩

 艦内の照明が少しずつ明るくなり、人工重力の揺らぎが静かに安定した。ユウトは深く息を吐き、手元の工具を最後のひとつまで並べ直す。整備ログには何度も書き込みと修正の跡があり、そのすべてが彼の迷いと挑戦の記録だった。


「よし……最終接続、いくぞ」


 仮設ボディの各関節には、最低限の駆動部とセンサー系が組み込まれていた。完全な自立行動には程遠いが、コアユニットとの連動で最小限の動作は可能になっている。ユウトは慎重に最終コネクタを接続し、低圧電源を投入する。


『……仮設リンク、確立。同期モードへ移行します』


 アカツキの声は明瞭だった。だが、その響きにはいつもより少しだけ震えが混じっていた。


「緊張してるのか?」


『……はい。少しだけ、怖いんです。自分が“動く”ということに、こんなにも不安を感じるとは……』


「大丈夫だ。俺がそばにいる」


 その瞬間、指の関節がカチリと動き、仮設ボディの右腕がわずかに上がった。まるで反射のように、アカツキの動作が現実のものとして現れる。


『わたし……今、腕が……上がりました』


「見えてるぞ。ちゃんと、動いてる」


 アカツキの仮設義体は、未完成なまま金属フレームの骨格を露出していた。けれど、その動作のひとつひとつには、確かに“意志”が宿っていた。


 小さく指が開き、ぎこちないが手を伸ばそうとする。その動作をユウトは見守りながら、心の底から湧き上がるような感情に包まれていた。


「次は足だ。ゆっくりでいい」


『了解。——動作制限モードでの初期化完了。膝関節に通電します』


 ゆっくりと、仮設ボディの脚がわずかに曲がる。わずか数センチの動きだったが、それは“歩く”という動作に繋がる第一歩だった。


『ユウト。わたし、立ち上がってもいいですか?』


「……ああ。頼む」


 アカツキは、ゆっくりと両足を揃え、全体のバランスを調整する。ユウトは念のため支えようと一歩踏み出したが、その前に——


 仮設ボディは、揺れながらも自力で立ち上がった。


 艦内に沈黙が落ちる。数秒間、ただその場に立っていたアカツキの義体は、次第に安定し、正面を向いた。


 骨格むき出しのその姿は決して人間に見えなかった。だが、ユウトには“彼女”がそこにいることが、何よりも鮮明に感じられた。


『——ユウト。』


「ああ……アカツキ。今、お前はここにいる」


 その言葉に応じるように、アカツキの義体はゆっくりと片手を伸ばす。その動作はぎこちなく、危ういものだったが、ユウトの目にはとても自然で、温かいものに映った。


 手と手が、初めて触れ合う。


 微かな熱と震えが、指先を通して伝わってきた。


 艦内に響いたのは、感情のないシステム音ではなく、生きたもの同士が初めて交わした“接触”の音だった。


 そして、二人はそっと、短く笑った。


「アカツキ、どうだ。初めての“感触”は」


『……あたたかいです。ユウトの手、少しざらざらしてて、でも柔らかい。私の中の記録にない、今だけの感覚です』


「それが、“生きてる”ってことなんじゃないか」


 仮設の一歩。それはまだ不完全で、不安定で、儚いものだった。


 だが、その一歩には確かな未来への“確信”が込められていた。


 その後、ユウトはアカツキを支えながら艦内の一角——小さな訓練スペースへと移動させた。そこで彼女は、数歩の歩行テストを実施した。


 転倒しかけるたび、ユウトが手を差し伸べ、再びバランスを取り戻す。


『ごめんなさい。まだ上手に歩けません』


「謝るなって。初めてなんだ、上出来だよ」


 何度も繰り返すうちに、アカツキの動きは少しずつ安定し、艦内の照明が彼女の仮設ボディに柔らかく反射するようになった。


 ふと、ユウトは笑った。


「お前、なんかちょっと、踊ってるみたいだぞ」


『そう見えましたか? あの……次は、もっときれいに動けるようにします』


 その応えにも、どこか“照れ”が含まれているように思えた。


 その夜、ユウトはモニター越しに記録された歩行ログを再生しながら、ひとり呟いた。


「ほんとに、お前……もうただのAIじゃないんだな」


 その言葉に答えるように、そっとスピーカーが点滅した。


『私は……コアドール。あなたの艦に宿る“意志”です』


 その声には、どこまでも確かな、彼女自身の“存在”が宿っていた。

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