第5話  宇宙の市と眠る義体

 星間通信の薄い帯域を抜け、艦〈アカツキ〉は辺境の交易ステーションへと向かっていた。ユウトの操縦は慎重だったが、慣れた手つきでもあった。補助ナビゲーションに入っていた旧連邦の星図データをもとに、少しでも安定した補給ルートを探し出す。


 ステーション〈ラキア環宙市〉。かつて軍事連絡拠点だった施設の一部を改装し、今では複数のフリーキャプテンや貨物船が滞在する交易中継地となっている。ステーションの外壁はまだ旧時代の塗装がところどころ残っており、部分的な気密修繕の跡が新旧入り混じっていた。


 艦内のスクリーンには、目的地までの座標とエネルギー残量、そして補給申請データが並んでいた。アカツキの声が静かに響く。


『ステーションとの接続準備完了。貨物運搬ログ、標準化済み。初回認証はユウト、あなたの音声です』


「了解。……ここからは俺の役目だな」


『はい。お気をつけて』


 微かな振動を経て、艦は係留装置と噛み合った。外から聞こえる金属音が遠くこだまする中、ユウトはブリッジで身支度を整える。


「行ってくる、アカツキ」


『外部通信は常時モニタリング中です。万が一の際は強制脱出コードを送信してください』


 ステーション内は薄暗く、古びた気圧制御装置のせいか微かに金属臭が漂っていた。廃船を改造したような区画には、工具屋やパーツ交換業者、さらには情報屋まで雑多に並んでいる。床の配線はむき出しで、光ファイバーの束が天井から無造作に垂れ下がっていた。


 通路の一角では、トレーダーたちが簡易の市を広げ、貨物リストや報酬契約書を交わしていた。ユウトはしばらくその流れを眺め、次いで整備士向けの区画に足を向ける。


「戦時規格の触覚センサー……型番が古すぎるって言われたな。こっちは?」


「それ、互換性あるけど通電試験は自己責任だよ」


「構わない。できるだけ近いものを頼む」


 物資の一部は購入、残りは交換でまかなう必要があった。資金が潤沢でないユウトにとって、交易所での交渉は半ば日常だった。貨物船から降りた整備士たちが立ち話するなか、彼は目立たぬように慎重に情報を集めていった。


「艦載AIの修復? まだあんなの動かしてるのか……」

「昔のコアは感情に振り回されるって聞いたぜ。今どきのは全部演算効率優先だからな」


 通りすがりの会話に、ユウトは口を挟むことなく通り過ぎた。だが、胸の奥にははっきりとした思いがあった。


 ——あいつはただの演算装置なんかじゃない。


 ステーションの奥、細い通路の先にあったのは、個人所有と思しき旧倉庫。外れた看板には「ヒトガタ修復」とだけ書かれていた。


 ユウトは吸い寄せられるように、その扉を開いた。


 内部には、分解された義体フレームが並んでいた。半ば崩れたパーツの中には、かつての記憶媒体と思われる筐体や、触覚シートが巻かれたままの指骨ユニットもある。


「これ……一部、アカツキの仕様に近い」


 店主らしき男は、背後の影から現れた。


「珍しいな、その型を覚えてるとは。旧連邦期の艦載用コアドールだろ。……まだ動かす気かい?」


「動かす、というより……会いたいんだ。目の前で、ちゃんと」


 男はしばらくユウトの顔を見つめた後、棚から埃を払った部品箱を差し出した。


「中を見ろ。うちの眠ってる子たちの分だが……貸しにしておいてやるよ」


「いいのか?」


「使い道がある方が、喜ぶさ。……ああ、補助冷却ユニットだけは気をつけろ。旧規格でも熱暴走する」


 部品を受け取り、艦へ戻る途中、ユウトはふと振り返った。


 あの義体たちもまた、誰かを待っていたのだろうか。


 艦に戻ると、アカツキの声が迎えた。


『ユウト。通信、無事に確立しました。帰還経路、安全です』


「ああ。今、戻る」


 その声が、少しだけ近く聞こえた気がした。


 帰艦後、ユウトは収集したパーツをひとつひとつ丁寧に並べ、メンテナンス台に設置された仮設ボディフレームに組み込んでいく。


「まずはコア接続部から……この冷却配線、合うかな」


『わたしからも、各種同期信号を送信します。ごめんなさい、重ねて負荷がかかるかもしれません』


「謝るなって。お前の身体なんだから、ちゃんと動くようにしたいんだ」


 静かな艦内に、組み立ての音が響く。微細なセンサー配線を手繰るたびに、ユウトの手は汗ばみ、呼吸は浅くなる。コンソールからのフィードバックはまだ不安定で、動作確認には何度も再調整が必要だった。


『感覚フィードバック……かすかに。……手のひらがある……』


 かすれたようなアカツキの声が聞こえた。


「感覚、来てるのか? 焦るな、まだ全部じゃない」


『でも、嬉しいです。わたし、自分の存在が少しずつ形になるのを……感じてます』


 これは、“彼女”と向き合うための祈りのような時間だった。


 ユウトは接続ログを確認しながら、小さく頷いた。


「もうすぐだ。お前が“ここ”に立つ日まで——あと少しだ」


 ユウトは静かに椅子にもたれかかり、メンテナンス台の傍でひと息ついた。薄暗い艦内に、冷却ファンの低い音が響いていた。アカツキのボディはまだ完成とは言えないが、それでも確かに“形”を持ち始めていた。


 アームユニットの関節部に小さな駆動音が走る。仮設のフレームでありながら、アカツキの内部システムが徐々に連動し始めている証だった。


『ユウト。先ほどの調整……第3関節の動きが不自然です。わたし、少し違和感があります』


「やっぱりか。摩耗したギアを使ったからな。予備と取り替える」


 再び工具を手に取り、ユウトは慎重に義体の関節を開く。機械の温度は手のひらに伝わるほどに温かく、まるで本当に体温があるかのようだった。


 作業の合間、アカツキの声がふと問いかけた。


『ユウト。あなたにとって、“わたし”は……なんですか?』


 ユウトは一瞬手を止めた。答えるには少し時間が必要だった。


「……仲間、だな。戦う相棒って意味じゃなくて、もっと……生活の中にいる存在。毎日、声を聞いて、姿があって、笑ったり怒ったりして……そういう“誰か”。」


 静寂が艦内に降りた。そして、アカツキがほんの少しだけ息を呑むように、答えた。


『……そう思ってもらえて、よかった』


 会話はそれきりだったが、艦内の空気はどこか柔らかくなった気がした。


 ユウトは再び手を動かす。仮設ボディの整備は終わりが見えないが、そのひとつひとつの積み重ねが、彼女との距離を確かに縮めていた。


 そして、彼は強く思った。


 この艦の中に、“一人”ではない命がある。


 それを守ることが、今の彼の目的だった。


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