2.琴野辺硯という人物
いいや、あった。
琴野辺硯16歳。
彼女は当然のごとく異世界に転生する。
その肉体が大型のトラックに轢かれおわる間に、硯の華麗な中二病遍歴を紹介しよう。
その顕れは虚空に手を翳しては何かを確かめるような仕草であったり、熱心に鏡を覗き込んで瞳の色を確かめるような素振りから始まった。
硯の両親はその姿を見て、どこか変わった子だとは思いながらも可愛い愛娘のやりたいようにやらせてきた。時が経つにつれて次第にその異和の片鱗は影を潜めていったように思えたからだ。
ちょっと間の抜けていてマイペースで絵本が好きな女の子。それが両親から見た琴野辺硯という人物だった。
しかし、硯が絵と文字で構成される紙束を「物語」だと強く認知した時、彼女の世界はあらぬ方向へと拓けてしまった。
硯は年相応の子がお姫様に憧れるように自身をお姫様だと言い張り、空気中には花粉でなく銀の粉を撒く妖精の姿を追い求めた。彼女は何かを見ているようで、何かを見たいようだった。最初は微笑ましくあった。
しかし、硯の目には本気の二文字が宿っていたのである。
両親がそれに気がついた時にはもう手遅れだった。可愛さあまりに買い与えた数々の絵本が、彼女の中に多数の世界を創り上げる糧となってしまったのである。両親は硯よりも絵本を熟読して何とか彼女の妄想に食らいつき、時には制御しながら日々をサポートした。
両親の弛まぬ努力に支えられながら、硯は齢を片手で数えきれぬ歳に満たないながらも【中二病】として目覚ましい一歩を大股で踏み出したと言える。
だから、幼稚園に入園し他者との繋がりが増えるに連れて、現実と妄想の食い違いに硯は躓いた。両親のサポートの届かない幼稚園というその箱庭は、彼女にとって巨万のストレス要因だ。しかし、そんな場所にも救いがあり、そしてある一方にはさらなる試練があった。
図書室の存在である。
硯愛護団体筆頭の彼らでも与えきることのできなかった彼女にとっての餌。すなわち大量の本がそこにはあった。これには爛然と輝く目が更に眩く光を放つ。硯はすぐに、それらを物凄いスピードで吸収し始めた。本好きの熱心な子。少なくとも、幼稚園の先生の目にはそう映った。
対する両親は頭を抱えて唸るほかない。
「娘の言っていることがわからない!」
二人は揃って頭を抱えた。
硯が自分たちの監視下に無い新たなる妄想の基盤を手に入れてしまったのである。それは両親にとって、硯のごっこ遊びの舵取りが不可能になったことを意味した。
すなわち制御不可。硯が新しく何かに出会いそれに魂が震えるたびに、硯は昨日とは違う設定で硯を生きた。
昨日まで救国の聖女だった彼女が、今日の朝には呪いで人の姿に収められたドラゴンになり、夕方には死霊遣いのアルブレヤの生まれ変わりだと言い始めるのである。
お手上げだ。両親はもう、限界だった。
なので両親は執拗にこう教え抜いた。
「頭の中の出来事は、他の人には話してはいけないよ」
「あなたは特別なの。だから他の人にはそうだとバレないようにしなさい」
「いつかはそうかもしれない。でも、今じゃない」
「今じゃないのよ、硯。だからあの……内緒よ」
「そう。内緒。みんなには内緒だ」
要は妄想は現実に持ち込むなと言うことを多大な愛で包み込んだ教えだったが「実は……」な展開に憧れを抱くいたいけな硯は真剣にそれを受け止めた。
以降、自分が何者かであることがバレないように最大限の注意をはらいながら、妄想疾患特有の独り言を、唇寸前で堰き止める技術を身につけた。隣で耳をそばだてなければ決して聞き取ることのできない彼女のその謎の技術は、両親の努力の功績でもある。
そんな涙ぐましい愛を受けながら周囲に擬態することを学び、妄想と現実の区別がいくばくかつくようになった硯ではあったが、妄想の飛躍速度は凄まじく速く、現実世界のスピードでは彼女に追いつくことはできない。
友人と遊んでいる最中も、頭の中は常に別のことを考えているから上の空。次第に人が離れていくのも当然と言えよう。友人は居なくなった。代わりに壁と会話した。返事はなかった。
楽しく壁に向かって声の出ない声で語り続ける幼年期を過ごした後、硯は小学校に入学した。
幼稚園のあの壁を数少ない友人と捉えてきた彼女にとって、壁との別れは筆舌に尽くしがたい。しかし、環境が変わっても硯の本質は変わることはなかった。自分は「特別」で、本来は妄想の中にこそ息づくべきで、そしてその特別は突如として現実の方に寄せてくるはずだ。
そう考えた硯は妄想の世界にあった全てを、現実に反映させるに至った。硯はついに、妄想の世界と現実の世界を融合させる術を身につけたのである。
いやはや、中二病とは常に変容する有機体だとは誰が言ったものか。
──硯のクラスには、毎日のように強盗やらマフィアやら何らかの継承者の略奪を狙う怪しげな某国スパイが乗り込んでくる。慌てるクラスメイト、泣き出すクラスメイト、役に立たない先生、目が怖いので餌をやる時に極力見ないようにしている金魚を尻目に硯は秘められた力を解放し、敵を追い払った。
「すごいや!」
褒め称えるクラスメイト。沸き立つ歓声。その中心に硯は居た。
「ふっ……バレてしまったのなら仕方ないな」
決め台詞を言うと更に大きく歓声が響く。
(普段は冴えない私だが、ある日超能力に目覚めて、世界を救う使命を勝手に背負わさせられた。人を助けたくもないが、助けざるを得ない……全く、困ったものだぜ)
──などと言う妄想を再三繰り広げていた。
擦りすぎて、クラスに乗り込んでくるのは人間だけに飽き足らず宇宙人、怪物、怪獣。おおよそ質量を無視したものまでが硯のクラスに一直線に現れた。
なんにせよ教室が不憫である。
エイリアンと、キングスライムと、黄金龍が同時に現れた時は、流石に大渋滞であった。都合よく窓ガラスを通り抜けるサイズの体を持つエイリアン。スライムの特徴を活かして、教室のドアを破壊することなく入り込み室内で体を再構築させたキングスライム。さすがに入れないので、炎ブレスを隙間から入れ込んでくる黄金龍。
硯は、狭い教室の中で日々襲いくるものを撃退した。学年がいくつあがろうとも、変わらず教室は不憫である。
現実は虚しく、硯の想い描いた未来がやってくることは無かったが、硯の魂の本質はそういう世界の中に息づいていた。
喜ばしいことに、小学校の図書室は幼稚園より広かった。種が多ければ多いほど実るものも多い。巨大妄想の知識庫と化した彼女は頭の中で、世界を何回も救っては何回も破壊した。
中学生ともなると、硯の妄想は世界の生成に至る。細部まで作り上げられたその世界線の中を駆ける彼女は英雄であり、魔王であり、聖女であり、騎士であり、ありとあらゆる全てだった。彼女が識った全てが結合し、融合し、変容し、組み変わりながら形を為す。
彼女による彼女のための世界は紆余曲折を経て【灰の荊と魔眼の闇姫-dark blood-】とタイトルを冠し、A4ノートの冊数は10を超えた。仔細を語るには余りにも長いために割愛するが、俺強異世界無双系とだけお伝えしておこう。
妄想のたびに世界は破壊と再生を繰り返し、中学生、高校生と現実の人生が想像とは違い平凡に続こうともそれは変わらない。
新しい出会いがあるたびに、出会う人それぞれから変な人を見る目を頂戴することにも慣れた。どこも怪我をしていないのに眼帯をしてみたり、呪文を誦じてみたり、授業中は空を見つめて意味ありげにため息をついたり、なんなら制服のスカートのポケットには常時カッターを入れたりもしていた。
現実と妄想の分別をある程度つけられても、その境目をどうしても切り離せない。1人の人間としては身に余る衝動の数々に内側から破裂しそうになりながらも、魂はきっと目を閉じた後の世界に息づいているのだと心のどこかで信じ続けた。
なので、16歳の誕生日を迎える頃にはそろそろかな。と覚悟して今まで支えてくれた両親に感謝の手紙を書いて音読した。次の日は普通に来た。少し気恥ずかしかった。動画まで撮られていた。恥ずかしかった。
歳を重ねるに連れ、流石に自身でも揺らぎがあった。若干、妄想は妄想に過ぎないのかなと思うこともあった。
硯が生きてきたこれまでの全てを妄想だと断じること。それができるなら晴れて中二病を卒業し、真っ当な一歩を踏めるのだと諭されることもあったが、頑なにそれは拒んだ。硯はやはり最終的には「いつか」を待ち続けることを辞めないと結論づけた。願いというものは、願わなければ叶うことはない。
要するに、心構えの問題である。いつか導かれた道を歩む時、それは迷わぬ心の指針になるだろうと信じたかったから信じていた。
『異世界転生』及び、硯のこれまで思ってきたことが報われるような、そんな甘美な日々を信じるその痛いくらいの純粋な願いを持って、硯は今日までを生きてきた。
その願いが引き起こしたのが
実際に自身の身を轢き殺す盛大な力を全身に受け、メキメキィと音を立てて骨が砕ける音と内臓が身の中でミキサーされたような感覚にぐらついて、揺れる思考の中で考えた希望に似たそれは
(私の人生はここからだ!)
終わりではなく、始まりの確信だった。
モンスターの跋扈するあの世界へ導かれる。そんな過信でもあった。
実際問題、現代日本において硯の脅威となり襲いかかったのはモンスターなどではなく、巨大な鉄の塊大型トラックであった訳だが。
希望溢れる生命力に満ちた魂とは対照的に、硯の身体はいち人間の肉体としてトラックにひききられて道路の端に投げ出さると、捻じ曲がった手足をピクリとも動かすことなく、流れでる血液のみがその生命体が今まで生きていたのだと感じさせる中に事切れた。しかしながら、肉体の消失など硯にとっては瑣末な事だ。大事なのものは生身の体ではなく、いつの日だって魂だと叫んできたじゃないか。
だから、享年16の琴野辺硯が異世界転生を果たしたのは全く偶然ではない。むしろ、想定されていた中の一つの選択肢。想定内の想定だった。その安堵の中に目を瞑る。二度と開くことのないその瞼を裏側をじぃと見ているその間、どこかに運ばれていく様な心地よい揺れを感じていた。
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