第16話「記録者の間《Observation Continuation》」
風間輝が足を踏み入れたその空間は、これまでのどのフィールドとも違っていた。
真っ白な床。壁はない。代わりに、四方に“記録の断片”が浮かび上がっている。
風間が過去に言った言葉、戦った相手、選んだ選択――それらが映像のように漂い、静かに空間を巡っていた。
「ここが……“記録者の間”か」
声がした。
「ようやく来たか、風間」
振り向くと、そこにいたのは――
黒瀬 鷹也。偏差値74、東都大学 首席。
中学時代の親友であり、かつて風間に“勝ちたい”と思った少年だった。
今は、漆黒の学生服に身を包み、背後には荘厳な記録装置――巨大な書架のような“観測装置”がそびえ立っている。
「鷹也……」
「お前は“記録される者”として、ここまで来た」
「そして俺は、“記録する者”として、ここで待っていた」
風間の目がわずかに揺れる。
「……お前が、このバトルロイヤルの主催者か?」
「主催者の一部だよ。この学歴領域を設計したのは、複数の“観測者”だ。その中でも、俺は“お前のための観測”を任された存在だ」
「俺の、ための……?」
黒瀬が静かに言う。
「俺は昔、お前に勝ちたかった。あの頃の俺には、風間輝は“超えるべき相手”だった」
「だから必死で勉強した。全国模試で上位に入り、東都大学に進んで……気がついたら、偏差値が74になっていた」
「でも、お前は……勝負から降りてた。途中で“戦いの土俵”を降りて、バカを演じ始めた」
「俺は、あれが――ずっと、許せなかった」
風間は眉をしかめた。
「……俺は逃げたんじゃねぇ。あの土俵が、もう“勝つための場”に見えなかっただけだ」
「偏差値が高けりゃ偉いのか? 記録されりゃ幸せなのか? “上に行くこと”しか認められないこの空間が、ただ息苦しかっただけだ!」
黒瀬は目を閉じる。
「だからこの場を作った。“記録の意味”を問い直すために。お前が何を選ぶのか、この空間で見届けるために」
⸻
【記録者の間:ルール】
・風間と黒瀬は、互いの“記録”を閲覧・公開し合い、言葉によって価値を問う
・最後に“記録者”としてこの空間を継ぐ者を、観測機構が選定する
⸻
黒瀬が言う。
「風間輝。お前は“自分を記録すること”に意味があると思うか?」
「……意味なんて、正直まだ分からねぇよ」
「けど、俺がここまで戦ってきたこと――誰かにとってバカみたいに見えても、誰かひとりでも笑ってくれたり、立ち上がるきっかけになったなら、残しておく価値はあるって思う」
「それが“偏差値”じゃ測れなくてもな!」
黒瀬は問いかける。
「なら聞こう。偏差値という記録を否定し、全てを“フラットにする力”を手に入れたお前に問う」
「――本当に、人は“平等”であるべきか?」
風間は黙る。
思い浮かぶのは、南野の汗。女塚の涙。猿渡の戸惑い。神宮寺の自己否定。
「平等ってのは、たぶん存在しねぇ」
「でもな、“違うってことを笑わない世界”なら作れると思うんだよ」
「誰かが上で、誰かが下って、もうその物差し自体が、腐ってんだよ!」
「だったら俺がやる。“みんな違って、でも一緒に笑える世界”――偏差値37のバカが、それをやったら面白いだろ?」
黒瀬は目を閉じ、静かに笑った。
「やっぱり……お前は、“風間輝”のままだな」
⸻
そのとき、観測装置が起動した。
空間全体に風間と黒瀬の“記録”が重なって浮かび上がる。
中学時代、ノートを並べて解いた数学の問題。文化祭で2人並んで撮ったピース写真。
そして、風間が“勉強をやめた日”、黒瀬が一人で進学塾に向かったあの日――
2人の過去が、重なる。そして分岐する。
観測AIが声を放つ。
《最終記録対象:風間輝》
《記録者承認権:風間輝 or 黒瀬鷹也》
《選択を、開始せよ》
風間が一歩、前に出る。
「俺は……記録される方で、終わってたくねぇ」
「誰かの記録を、残す側になりてぇんだよ。誰かが忘れられそうになったとき、“そんな奴がいたよ”って、バカでも語れる“記録者”になりてぇんだよ!!」
黒瀬は、ゆっくりとうなずいた。
「ならば、風間輝――お前が、“この領域を継げ”」
⸻
観測記録No.16
風間輝、“記録される者”から“記録する者”へ
新称号:《Observation Continuation》記録継承者
記録者権限、移譲完了
⸻
空間が光に包まれる。
最後に、風間は黒瀬に問う。
「なぁ鷹也。お前にとっての“勝ち”って、なんだった?」
黒瀬は答える。
「……お前に、“ありがとう”って言われることだったのかもしれない」
「バカが言うな。……でも、サンキュー」
2人は、小さく拳をぶつけ合った。
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