その4
十月で秋も深まってきたが、数日ぶりに暖かい夜であった。
夜宴で酒が振る舞われると、江若も劉双も顔を赤くして飲んだ。今日は上座に男二人が座り、月凛は夫人たちが並ぶ席についている。上座の手前、劉双の近く。他の夫人が上座につく時は月凛がそこに座り、月凛が上座につく時は隣り合う第三夫人の紹青雅が一つ向こうに詰める。
曹湖の真上に建つ広間は、風もなく水のさざめきもまるで聞こえてこない。聞こえるのは、江若が自身の武勇伝を劉双に語る大きな声だけだ。客人の話を聞くのではなく、聞かせるのが泰江若という男だ。金山を掘り当てて大成功を収めたこの男は遠慮というものを捨て去っている。
前にも聞かされた、鉱山の人夫たちと激しい給金交渉をした話を聞き流しながら、孫式もかなり薄くした酒を飲んでいた。
「劉双殿も禁軍屈指の猛将と聞いている。湖家の教育がよいのだろうな」
「いえいえ、子供の頃は農作業の手伝いばかりさせられましたよ。その傍ら、時間を見つけては兄と剣や槍の修行を重ねたのです。兄の腕がよかったのもありましょう」
「うむ、その話は聞いたが、暁国は惜しい人物を失ったものだ。ま、劉双殿と月凛が健在なのだ。優秀な後継者はいくらでも作れよう。俺はまだ子供を作る気はないが」
「おや、ないのですか?」
劉双は大げさに驚いた反応を見せる。
「まだまだやりたいことは多い。その時、子供がいるとどうしても行動が制限されてしまう。俺は将官と違って慌てて跡継ぎを作る必要はないから、もうしばらく自由にさせてもらうつもりだ」
「それではご夫人様方も困るのでは? 皆さん、跡継ぎを生家から期待されているはずでしょう」
「慌てなくもそのうちできる、と伝えてある。俺が余命幾ばくもないというなら話は別だが、この通り健康なのでな。――将軍、ここは後宮ではないのだぞ」
「そうでした。どうも、自分の知識だけで話してしまいますな。よくないよくない」
いきなり、水鶴が立ち上がった。
「お先に失礼いたします。少し、酔いが早く回ってしまったようです」
「おう、無理はするな」
水鶴は足早に広間を出ていった。
……不愉快なお話だったのだろうな……。
東江楼での主人が不在になり、とたんに孫式は居づらくなる。そんなことをまるで気にしていない江若は、夫人たちがいかに素晴らしいかを延々と語った。やはり兄妹はこんなところも似るのか、劉双は月凛並みに聞き上手であった。上手く相槌を打ち、合間合間に質問を入れるから、江若はすっかり上機嫌の極みとなってまるで話が終わらない。
「旦那さま、もう遅い時間になってまいりました。そろそろ切り上げ時では」
少し話が途切れたところで、月凛が見事な差し込みを入れる。江若は真っ暗闇の外を見て、大仰にうなずいた。
「……そうするか。今宵はここでお開きとしよう。劉双殿は向かいの灯藍へ泊まっていくといい。名乗れば部屋に案内してくれるよう手配をしておいた」
「かたじけない。では明日の朝にあらためてご挨拶し、都へ帰るとしましょう」
江若が立ち上がるのを見守ってから、それぞれに席を立つ。江若は第三夫人、紹青雅の元へ近づいた。
「今宵はお前がいい」
「はい」
青雅は江若に寄りかかるように体を触れさせ、広間を去っていった。
「その日の気分で相手を選ぶのだな。あれは自分の部屋へ呼ぶのか?」
「そうですよ」
月凛の返事に、劉双は苦笑した。
「皇帝陛下ですら自ら渡るというのに……まったく、金持ちにしかできないことを平然と見せつけてくれる」
「旦那さまは酔っ払うと恐れ知らずになってしまうので……劉兄様、ご気分は悪くありませんか?」
「ああ、平気だ。酒も飯も美味かった。久しぶりに贅沢させてもらったよ」
「
「うむ、助かる。飲み過ぎたかもしれぬ」
「蓮雨、劉兄様をお願いできる?」
「はい、お任せください!」
「危ない!」
孫式はとっさに近づき、二人を支えた。
「ご、ごめんなさいね……えっと、水鶴様の家の人」
蓮雨は小声で言った。同じ小間使いでも、孫式はほとんど雪羅としか話さない。名前を覚えられていなくても仕方がないことだった。
「宿までお手伝いいたしましょうか?」
「平気です。今のは思ったより重たくてよろけただけ。もう心配ありませんから」
「重たいか……。今日は鎧を着ていないのだが……」
「あっ、し、失礼いたしました! けっして批難したわけではありませんので!」
慌てる蓮雨を見て月凛が微笑んでいる。
「この子はちょっとあわてんぼうなのです。怒らないであげてくださいね」
「ははは、安心しろ。俺はそんな狭量な人間ではない。……よし、では蓮雨、もうしばらく肩を貸してくれ」
「お任せを。参りましょう!」
張り切っているらしく、蓮雨の声はずっと大きかった。彼女が劉双を連れて広間から消えると、ますます周りは静かになる。
「水鶴さんがいなくなって落ち着かなかったでしょう」
水鶴の対面に座っていた第五夫人、張花悠が孫式に声をかけた。紋蜂の毒に倒れたのもすでに遠い昔の話のようになっている。
「は、はい。自分だけ残っていてもよいものか、不安でした」
「あなたはここと水鶴さんのご実家をひたすら往復しているそうね。であれば、贅沢できる時にしておくべき。水鶴さんが早めに席を立っても、あなたが慌てることはないわ」
「そうだね、せっかくのお料理を残して帰っちゃうのはもったいないよ。関頼さんも悲しむ」
景嵐も同意してくれたので、孫式は気が楽になった。
「では、次からも同じようにさせていただきます」
「そうしなさい」
「まあ水鶴さんが帰ったのもわかるけどね。跡継ぎを作る作らないって話はあんまり聞きたくないんでしょ」
「江若様は客人に毎回説明しているのですよね」
「そうだよ。旦那さまは珍しい考え方の持ち主だからね。もう何度も同じ話をしてるんだし、いつも嫌がるのもどうかと思うけど」
花悠は杯に残った酒を空にした。
「水鶴さんは色恋沙汰や跡継ぎの話に縁がなかったのよね。まだまだ純情ということよ。少しずつ変わっていってほしいけど」
「旦那さまのものになってだいぶ経つはずだけどねえ」
まだ話している二人に挨拶をして席を立つ。
宿に帰る前に、念のため水鶴の様子を見ていこう。孫式は決めた。
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