とまり

なちゅぱ

第1話

 ピューっという甲高い音に目が覚める。強制浮上した意識の船をなんとか岸に上げ、目脂の貼り付いた瞼を開く。途端に網膜を焼く光に目を細めながらも上体を起こすと、そこには見慣れていた筈の母の顔があった。手に持ったやかんは、さっきまでの叫びも素知らぬ振りでお湯を吐き出している。

 「久々に会ったと思ったらゴロゴロして。ほんと幾つになっても変わらんね」

 食事の準備を進めるその手つきの合間に、目の前に湯呑みが置かれる。何もせずとも飲み物が、食事が出てくる幸せを噛み締めてもいいのだが、その度に降ってくる小言が唇に蓋をしてしまう。結果出てくるのは、

 「酒は?」

 「いるん?」

 「いらん」

 こんな無駄口ばかり。我ながらガキっぽいなとも思うが、うじうじ反省会してても時間しか過ぎない。

 スマホを開き、SNSで勝手に流れてくる漫画やパクスレに目を落とす。相変わらず、毒にも薬にもならない。

 「ふぃーさむさむ」

 ガラガラと引き戸の音がしたと思えば、幾つもの壁を抜けてしゃがれた声が届いた。そうして一目散の勢いで居間の戸が開かれ、こちらも一年振りとなる祖父の顔が見える。その頬は寒さで悴むまま、赤く照り輝いている。そう言えば。

 「りんごある?」

 「そこ」

 首でクイっと示されたのは廊下。あるから取ってこいと。

 「へいへい」

 自分で聞いといて不服そうに立ち上がる。充電器もついでに取ってこよう。

 「おぅどした」

 「りんご」

 「おぅ」

 その頬からもぎ取ろうとも思ったが、どうせなら食べれるのがいいので脇を通るだけにしておく。

 廊下に出ると、昔見たままのポスターが貼ってあった。名前の知らないアイドルが笑顔を浮かべている。曲がり角に置かれた電気ストーブも、コードを巻かれてそのまま。この季節でも出番がないということは、壊れてそのまま放置してあるんだろう。なんだか惨めに思えてくる。

 りんごはすぐ見つかった。カゴの中に積まれたそれを一個拾い、服の裾で拭きながら齧る。乾いた喉に果汁が沁みる。昔見た映画に憧れて真似したものだが、味は変わらないのにどうしてこうも満足感を得られるのだろう。

 ふと時計を見る。時間はまだ午後五時前。常なら夕食には早過ぎる。まだお昼がお腹に残ってるのに、若いからとやたら食べさせたがる祖母を、しかし憎めないのは、大人になったからか。

 「お皿運んでー」

 母の声に肩を叩かれ、りんごをもうひと齧りして居間に戻る。元の位置に座り直すと、目の前にはチューハイの缶が置いてあった。

 「飲めってか」

 断った筈なのに。これじゃあ今日はもう帰れないな。プシュっと音を立てて、一気にあおる。苦味と甘さが、やはり好きにはなれない。それでもどこか特別な感がした。

 さて。何が出てくるのか。

 ポケットに仕舞ったスマホは、充電が切れかけていた。

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とまり なちゅぱ @2ndmoonsound

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