第4話 ちょっとしたトラブル?
絶句はしたものの言いたいことは飲み込んでくれたらしい彼は、またため息を一つ吐いて「ったく、世話のかかるヤツ………」とぼやきつつブレスレットと私の手首の間にすっと指を通す。「支えててやるから、金具は自分でやれ」
「皆様どうぞお近くでご覧ください、初めてのッ……共同、作業ですっ……! え、待ってこれどうすればいいの!?」
「くだらないこと言ってっからだろ集中しろっ」
ツッコミのキレもよくなったところで奇跡的にブレスレットは外れた。相手はそれを懐から出した小さな巾着袋にさっさと仕舞って、代わりになにかを取り出す。「右手」出せ、ということだろうか。不親切だなあとは思いつつもあんまり警戒せずに従うと、彼の手がそっと私の手を取る。そして、
「えッ……」
シルバーの指輪をひとつ、人差し指に嵌めた。
狼狽える私にわかりやすく顔をしかめて「変な反応すんな。お守りだ」と言ってくるけどいや、いくら恋愛センサー低い私でも「えっ」ってなっちゃうよ!?
「て……天国のお父さんになんて紹介したらいいのッ!」
「しなくていい」
ていうか名前も知らないしまじでなんて紹介したらいいんだろう。ブレスレットも返してもらえるんなら連絡先聞かなきゃいけないかな、と思っている間に「じゃあ、またな」と去っていく黒髪の少年。またな!? いやそうなんですけど!
「急にそんな彼氏面されても!」
「彼氏面じゃない!」
遠くからもツッコミを入れてくれるので通りがかりの看護師さんに「ここは病院ですよ!」と叱られてしまった。琴たちのことなんにも言えなくなってしまったぞ。首を引っ込めながら謝って、気づいた頃には彼はいなくなっていた。いや怖。ブレスレット強奪して(してない)プロポーズしてって(してない)去ってくとか、そういう結婚詐欺?
「なんなのもう……」
少し口を尖らせながら指輪を見つめる。模様が彫られた真ん中に、彼の瞳のような青い石が煌めいている。
それから、私は二人の人物の言うことを考えた。一人はさっきのあの黒髪男子だけど、もう一人はブレスレットをくれた女の子だ。あの子にも不幸に気をつけなさいって言われたわけだけど、ブレスレットの方がお守りだったなんてことはないのかな。だとしても、うーん………。
うん、わかんないや。もう交換しちゃったものは仕方がない。あの人が希代の嘘つきではないことを祈ろう。
しばらくして琴のママと純が病室から出て来て、家まで車で送ってもらうことになった。バスで来ないといけない距離だからありがたい。ミニバンなので、自転車で来た純もまとめて詰め込まれて扉が閉まる。
「よろしくお願いしまーす」
「まーす」
「はーい。シートベルト忘れずにね」
トンデモ空間になっていただろう病室は平穏を取り戻していると思うけど、琴のコミュ力ならたぶんそう遠くないうちに他の患者さんにも惚気を始めると思う。健闘を祈るよ皆さん。私もたまには遊びに……咳払い。助けに行くからね。
車は滑り出すようにして発進する。「琴が元気そうでよかった」と純が安心したように言って「本当に」と琴ママがまた深く頷いた。
「半年……ってことは、留年扱いになっちゃいますかね」
「うーん、そうねえ。オンライン授業でどれだけカバーできるかなって、先生とも話してみるけど」
「俺、毎日通ってその日の授業内容教えますよ」
「あーん本当に琴の彦星様! ありがとね〜」
慌てて「私も!」と付け加えると、「うれし〜、ありがと」とバックミラー越しにニコニコしてくれる。これは授業真面目に受けなきゃな。心の帯をきゅっと締めて、自然と背筋が伸びる。
「柚実も無事でよかったな」
「うん、琴のおかげでほんとに無傷だったの」
「ああ、俺もなんか鼻が高い。その身体大事にしてくれよ」
「まかせて」
「たくさんご飯を食べて、夜はお風呂入って歯磨いて十時には寝るんだぞ」
「父親?」
うんうん、と腕を組みわざとらしく頷いている純にちょっと笑えた。みんな前向きだ。私はなんだか安心してしまう。
「そういえば、柚実が指輪つけてるのってなんか珍しくないか?」
「えっ! 珍しいよ! ほんとに!? 見逃した〜!」
琴ママが騒ぐのも無理はない。なにしろ私、彼女に会うたびにもっとおしゃれしなよ、もっともっと可愛くなれるよ!と言われ続けていたのだ。というか見つかっちゃったな……。「これは、うん。なんでもない」と濁してみるけど完全に悪手で、「えっ、柚実がモジモジしてんのもなんか珍しくない?」「うそっ! 彦星なの!? 柚実ちゃんにもついに彦星ができたの!?」と車の中は大騒ぎになってしまった。今更だけど七夕、もうとっくに過ぎてるよ琴ママ。
「誰かに貰ったんだ?」
「いやっ、貰ったっていうか……もら……うーん。貰ったけど……」
「誰〜!? 紹介して♡」
「そうだな、一旦事務所通して貰わないと」
「はしゃぎ方の方向性統一して……?」
貰ったというか、交換したというか。思い返すとまた指輪を嵌められたときの指先の温度が蘇ってしまって、難しそうに目を閉じたところで「照れ」は無慈悲に再現されてしまう。
「やばいガチのやつだ! 琴に教えよ」とか純が言い出すから「やめて! 本当によく知らない不審者に貰ったやつだから!」と止めるけど、「それはそれで問題だよ、柚実ちゃん! もっかい警察の人とお話しする!?」なんて琴ママがヒートアップしてしまい、家に着くまでてんやわんやは止むことがなかった。
結局琴からも「彼氏できたなら教えてよ!」なんていうメッセージが入ってしまって、火消しが大変そうだ。その実、名前も知らないんだけど、あの男子もこの病院によく来るみたいだから再会することはできそうかな。できた暁には指輪のことめちゃくちゃ文句言ってやろ。
そうしてにぎやかな日曜日は幕を閉じた。眠る前にベッドサイドに指輪を置くかどうかだけ迷ったけれど、お守りだって言ってたことを思い出して一応それに従順に、大事に嵌めたままにしておいた。
§
無くしちゃったんだ。
可哀想にね。
ねえ、取り返してきて?
嫌だよ、僕は方正謹厳な信徒で通っているんだから。
あ! ナータンが嘘をついている! きっと悪いことが起こるのね。
あはは! なんのことだろう? わからないな!
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