第5話 第二の不幸
ゆらり、影がゆれる。それは炎のゆらめきによるもので、室内はその他の灯りが排されている。
一人の少年――柚実に指輪を与えた彼が、ひとつの祭壇に供えられた桐箱の中で、ゆっくりと燃える火に何かを差し入れる。
「『その
ぱち、と音がするが、中で燃えるのは紙片のみ。箱はまだ無事で、炎にまかれたものはその様相を変えたのか、そうでないのか判別できない。けれども少年はしばらくその火を眺めたのちに、小さく息を吐いて箱に蓋をした。(聖句は、駄目か)考えに入りながら物品はそのままに部屋を出る。廊下には灯りがあるが、それでもやや薄暗い。軋みのある床を踏みしめながら、彼は迷わずにとある部屋を訪れる。
「母さん」
「入りなさい」
許可を得て入った室内には同じく祭壇があるが、先ほどとは違い左右二つずつと中央に一つ、火の燈った明かりがあった。彼の母親は羽織を着て、動かぬ山のようにそこに在る。
「どうですか」
「俺じゃなんとも。確かに強い悪魔の
「対処は」
「相剋の火と、聖句は使徒八章二十節より」
ふむ、と彼女はやや俯く。それからこの部屋の祭壇を振り返り、四つの壺のうちの一つから、鉄片を取り出した。
「
言葉を発したのち、鉄片が音を立ててひしゃげる。彼女はその形状に眉を顰めた。
「大過が起きている」
「は?」
「火の始末はしましたか。……ああ、いや、これは違うな」
まさか、と彼も、同じように顔を曇らせた。術者の手の中にないまま、次の不幸が起こっている? あのブレスレットはそういった性質のものとは違うと聞いたはずだった。――とはいえ、母が言うならそうなのだ。「見てくる」彼は急ぎ部屋を出ていく。それを見送りながら、彼の母親は忌々しそうに目を閉じた。
『棚』よ、我らに超えられぬ試練を与えるのですか。
形を持たない言葉は果たして天上まで届いているのだろうか。彼女は時折、考える。
§
月曜日、琴がいないので一人寂しく登校すると、一年生のクラスはどこもなんだか騒がしい。お喋りくらいみんなするけどそういう感じじゃなくて……どよめき?みたいな、なんだか不穏なかんじのする騒がしさだ。不思議に思いながら自分のクラスに到着して、ちょっと控えめにおはようを言いながら入っていく。私の姿を見てはっとした人たちが何人もいてびっくりしちゃったんだけど、すぐにみんなよそよそしく目線を逸らしてしまった。えぇ、何なに?
やがてクラス委員長の
「おはよ。なんか今日、みんなどうしたの?」
「あ、えっとね。……その、琴ちゃんは?」
「琴は、土曜日に事故に遭っちゃって。入院中なんだ」
私がそう言うと、四方からほっとしたようなため息が聞こえてくる。本当になんだろう。不安な気持ちが顔に出ていたのか、同じく少しほっとした様子でいた亜里紗ちゃんがきゅっと口を引き結んで、それを勇気としたように、こう言った。
「二組の浜田くんの家が、火事になっちゃったらしくて」
「…………え?」
亜里紗ちゃんの唇は、もう既に震えかけていた。
「無事だ、って話、誰も聞いてないみたいで」
「ま……待ってよ。嘘でしょ?」
彼女は俯き、わかんない、とだけ呟く。いや、ちょっと、悪い冗談すぎる。嘘でしょ。そんなはずないよね。
「だ……誰か知らないの? みんな知らない? 純、無事だよねっ?」
クラスメイトのみんなに呼びかけてみるけど、みんな口を閉ざして誰ひとり視線をくれない。まってよ。だって、昨日までさ。昨日まで元気にしてたのに、そんなの……あ、そっか、純も運ばれて琴と一緒に入院してるのかも。きっとそうだよね。ああ、大変だな、同室のおじさんたちも――……。
「うそだよね…………」
しんと静まった教室内に私の声が落ちた。それを拾ったのは男子のうちの一人で、そんな趣味悪い嘘つくわけねぇじゃん、とどこか吐き捨てるようだった。
「ねえ、その言い方はなくない?」「そうだよ、大丈夫って信じない方が趣味悪いじゃん」堰を切ったように次々と声を投げかける子たちが出て来る。「うるせえよ、親しくもないくせに!」「親しい親しくない関係ないでしょ!」「やめてって、喧嘩しないで!」ついには泣き出す子まで出て来て、騒然となる。その渦中で私はまだ信じられずにいた。ひとりひとりの不安や苛立ちが、全部の答えのような気もしてしまうのに。
純が、死んでいたら?
――私は琴に、なんて言ったらいいの。
騒ぎが収まったのは先生がやってきて、激しい喧嘩が起こっている子達を引き離したころだった。「みんなの聞きたいことに答えるから、まずは座りなさい」と、半年間見守ってきてくれた先生に静かに言われて、もうそれだけでみんな全部を察したように、静かになった。
詳しい事はまだ学校にまで知らされていないけれど、一軒家の家屋は全焼、意識不明の重体が二、その他の居住者は誰にも連絡がつかない状態だそうだ。純がそのうちのどちらに該当するのかはわからないみたい、だけど。
啜り泣く声がこの場を満たしていた。女子が数人と、男子もたぶん、何人か。そうでない人もきっと呆然としているか、暗い顔をしていただろう。私にはもう、他の人の表情をみる余裕なんかなかった。だってまだ嘘だって信じていたかった。みんな無事でラッキーだったって、言って欲しかった。言ってあげてほしかったよ。
「琴…………っ」
涙が止まらない。こんなのってない。事故に遭って怪我して、ウェディングベアにするんだって言ってたぬいぐるみも駄目になっちゃって、その上。私はまだ恋をしたことがないけど、それでも少しはわかってあげられる。
だけどこんなの、分かりたくなかった。
それから授業は――受けはしたけど上の空で、ねえ私、琴のために授業頑張んなきゃなって思ってたのにね。そう考えていたらまた涙が出てきて、だけど純がいないぶん、絶対私が板書取らなきゃって思ったら、涙でぐしゃぐしゃになってもなんとかノートを取りきることはできた。内容は、本当に全然頭に入らなかったけど。私は琴のために、ほかに何ができるだろう。
(できるわけ、ないか……)
だって純は世界でただ一人だし、琴にとっては尚更だ。本当に唯一の、愛しい人だったに違いない。
そうして時間はあっという間に過ぎて――放課後には、クラス全体の雰囲気は少しだけいつもと同じ優しさを纏い始めている。琴の彼氏だったから、このクラスに純のことを知らない人はたぶんいない。放課後の教室でだっていくらでもバカップルしてたんだ、二人って。だからそうか、今朝は琴に聞かせられないかもってみんな、気を遣ってたんだ。あはは、気づくの遅いね、私……。
何度目かの涙を拭う。拭うたびに金具も顔を撫でるのに、一日中、そんなことにかまけてはいられなかった。右手も左手もそういう意味では塞がっていたな、と考えて――ふと気がつく。
右手人差し指には銀色のリング。
そして、左手首には金色のチェーンが光っている。
――どうして?
私、確かにあの男子にブレスレットを預けたはずだった。この指輪が証明だ。なのに……一体、いつから?
記憶をひとつひとつ遡っていく。掃除のとき、あった。お昼休みにも、あった。授業中……ノートに広がるようにして横たわっていたチェーンを覚えている。朝は?
そしてぞっとした。私は朝、目が覚めた時に
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