第3話 レッツおみまい!

「あたしのウェディングベア……ッ」


 ご機嫌ようみなさん。こちらで悲嘆に暮れている乙女は琴です。ご覧の通り元気です。

 翌日、聴取漏れということで警察の方から家の固定電話に連絡が入ってて、昼から病院で琴と一緒に事情聴取を受けた。やっぱり琴が咄嗟に私を庇ってくれたらしく、トラックのタイヤに足を轢かれて複雑骨折、だから元気百点満点というわけではなくて、完全治癒するまで半年以上かかるらしい。けれども今の琴はそんなことよりも、事故で亡くしたテディベアの片方が惜しくてたまらない様子だった。なんてタフなんだ。


「買ったその日に……買ったその日によ!? しかも片方だけ全ロストなんて、縁起も悪いッ」

「そ、そうだね……あの、落ち着いて」

「落ち着けないよ……っ! あたしこんなことに負けないから。じゅんチャンとの愛は永遠なんだから!」


 ちなみに、病室は相部屋だ。周囲の視線がやや痛い。確かにこんなことに負けてないね、私は今すぐ負けそうだけど!

 さらに追い討ちをかけるように、病室に一人の人物が飛び込んでくる。「琴っ!」


「じゅんチャン………!」

「生きててよかった……心配したんだぞ」


 熱いハグ。私は後ろ手にちょっとずつカーテンを引く。「もう♡ 心配だなんて……じゅんがいるのに、あたしが元気なくすことなんかないよ♡」ハグした時に「いたたっ」って小声で言ったの多分みんな聞こえてるよ。でも元気でよかった本当に。「あはは、そう言われたら俺だって♡」「じゅんチャン♡」「こと♡」いや元気すぎるかも、わーちょっとキスしそうじゃんこらこら!


「すとっぷすとっぷ! 病院だよ!」

「ネェちゃんうるさいよ」

「すみません!」


 隣のおじさんに叱られてしまったしあとの二名にもなんだか憐憫の声で「まあまあ」とフォローされてしまう。というかみなさん、お願いだからそんな哀れみの目で見ないでください……。

 生暖かいご近所づきあいが始まってしまっても、そんなものどこ吹く風で二人の世界は止まない。でもね、私は知ってるんだ、この二人が誰の手にも負えないことなんて……。

 かくなる上は。


「……じゃ、後はごゆっくり!」

「あっこら逃げるなネェちゃん!」

「いたたまれないからここにいてっ!」

「すみません強く生きてください!」


 他の患者さん方に惜しまれつつ、私は敗走を喫することに決めたのだった。

 実際は走ってなんかいないのに病室の外でぜえぜえと息を整えていると、「おつかれさまー」と華やかな声がする。顔を上げると、そこには琴のママが立っていた。


「琴ママ……わかっててケモノを野に放ったでしょ!」

「獣だなんて〜、じゅん君は品行方正でいい子だと思うよ。ただちょ〜っと内に秘めてる情熱がアツアツなだけで」

 

「じゃあなんでママも病室入ってきてくれなかったの!」と問いただせば、「柚実ちゃんがいるから大丈夫だと思って〜」なんてうふふと笑っている。彼女とその旦那さんである琴のパパは、琴の一人暮らしを容認しながらもきちんと溺愛しているし、その彼氏である純にもド甘い。そして私のことも会うたび随分と甘やかしてくれているんだけど、純ことfamの熱さにいまいち耐えかねてしまうのを面白がっている節もあった。これが大人の余裕ってことなのか、くそう。

 仕切り直して、「元気そうでよかったですけどね!」と病室を見遣る。琴ママは一変して「本当に! 連絡来たときは心臓止まるかと思っちゃった!」と眉を下げた。


「先生がいうにはこのまま何事もなく、リハビリもちゃんとすれば全快するんだって。本当に運がよかったなって思うよ。柚実ちゃんも怪我なくて」

「………すみません、私のせいで、琴だけ……」


 そう謝ると、琴のママは少し厳しい声音で「柚実ちゃん」と私を呼んで、それから目元を和ませた。「柚実ちゃんのせいじゃないでしょ」


「柚実ちゃんに怪我なくて、私本当によかったなって思ってるんだから」

「うん……」

「こういうのを不幸って言うんだろうね」


 不幸、と私は繰り返す。なんだか最近聞いた単語だ。


「不幸って、誰かのものではないと思うんだよ。何かの偶然がちょっとずつ重なって、誰かに分けられるものっていうか……今回は琴が一番貰っちゃったけど、柚実ちゃんだって、他の怪我した人だって、みんなそれぞれ怖い思いや痛い思いをしたんだから」

「うん」

「それでも、誰も死ななかったんだからラッキーでしょ?」

「……そうかも」


 ね、と彼女は微笑んだ。うーんさすが琴のママ。安心して私の顔も緩む。

 病室の中から「ネェちゃんこのバカップル止めてくれ!」とさっきのおじさんの声が響いて、琴ママは「あらあら、大変。それじゃあ行ってくるね、事情聴取お疲れ様」と神話になろうとしている娘とその彼氏を止めに病室へと入っていった。中からは「こんにちはデネブで〜す。天の川作りに来ました♪」と聞こえてくる。さて、毎日七夕の二人はおとなしく引き離されてくれるんだろうか。

 ほっと一息ついた私は、なんとなく病棟を見渡す。病衣を着た患者さんや、看護師さん、私服の見舞い人たちがぱらぱらと行き来していて、怪我や病気の人って普段気づかないだけでたくさんいるんだろうなあと思う。すこしずつ分けられた不幸か……。それと幸運や幸福って別のことだって言いたかったのかな、琴のママ。そう思うと、ちょっと安心するかも。病院にいたら悲しい気持ちでいなきゃいけないわけじゃないんだなあって……。

(……ん?)

 ふいに視線を感じて振り返る。それがこの階の談話スペースの方から歩いてくる一人のものだと気づくと、私ははっとした。昨日の男子だ。私は咄嗟に左腕を後ろに隠した。だって、ほら、ねえ。今日もつけてるんだよね、ブレスレット。彼はこの仕草に一度ぴたりと足を止めたんだけど、隠蔽成功しちゃったかも……なんてことがあるわけもなく。

 

「お前……まだ外してなかったのか」

「……何を?」

「ブレスレット」


 隠していることも一緒に咎めるみたいに眉根をきゅっと寄せる。美人の眼光って迫力あるな。でも私だって負けてられないぞ。綱引きでフェイントかけるのと同じように、会話にだってそういうのがある。つまりは――。


「柚実わかんない☆」


 ――ボケをかます、ということ!

 なんとも言えない表情になってしまった彼は、呆れたように「昨日俺が言ったこと聞いてなかったのかよ」と返してくる。「ぜんっぜん聞いてなかった♡」「その割にはそれ、隠しただろ」腕を掴もうとしてか、距離を詰めてくる相手に僅かに立ち位置を変えながら「隠してないよ」と誤魔化す。「……ないならそんなこと言わないだろ、出せ」「ないよっ」くるくると方向転換をして軽い追いかけっこを発生させながらさらに誤魔化す。二、三回は相手も右から左から追って来たけど、すぐに諦めたようにため息をついた。「お前な……」


「いいかげんにし」

「どうも、ありがとうございましたー☆」


 よし、台詞遮りも大成功! こんな漫才向けの台詞言ってくれるなんて才能あるね君!

 なかなかいいセッションができた満足感に私はニコニコ。一方の彼は頭を抱えていた。ふふふ、私に勝負を挑もうなんて百年早いわよ。


「……ブレスレットを……外せって言っただろ」


 それでも折れない鋼の心を持っているのか、彼は重たそ〜に言葉を綴る。そんなに気に食わないのかと思うとちょっと悪い気がしてくるけど、次に続く言葉は私の想像から逸していた。


「それは、呪われてる」

「…………え?」

「呪いのブレスレットだ」


 しにがみのくさりにじぶんのちを

 (なに………?)

 ぶれすれっとをもったひとにはかならず

 じゅうにのふこうが


 おかあさん?

 昔の優しかったお母さんの声がする。読んでもらったお話はたくさんあるけど、あの話は、なんだっけ……。


 それはのろいのぶれすれっと

 のろいの……


「違う」


 自分でも気づかない内にこぼれ落ちた音は相手の言葉を否定した。「違う、だってこれは……」何というわけでもない。でも何故か反論してしまう自分に、まるで自分ではないような感覚を覚える。何を根拠に、と言う彼の瞳はいっそう鋭かった。混乱と萎縮で無力になってしまった私の左手を取る。「やめて」


「現に友人の一人が事故で怪我してる。他の・・やつも・・・同じ目に遭わせたいか?」


 彼は琴のいる病室の扉に視線を遣った。なんでそんなこと知ってるのかとか、根拠なんてそっちにもないんじゃないかとか、色々な考えが頭を巡ったけれど一番胸にひっかかったのはさっきの琴ママの言葉だった。つまり、私たちは不幸を分け合ったばかりだっていうこと。


「やだ………けど」

「一度預かる。祓える程度のものなら無力化してすぐ返すから、術者の・・・お前が外せ」


 術者ってなんのことだろう。とは思ったけれど、目下問題にするべきはそこではなくて……。


「……外せない」

「お前、まだそんなこと」

「私、不器用すぎてこういうの外せない………」


 彼は絶句した。

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