第2話 第一の不幸
「そーそれでさぁ、迷ってたわけよこれまで」
「写真入れるやつ?」
「そう!」
なんの話かというと、琴の今回の戦利品について……もとい彼女の純への愛の形についてだ。怒涛の勢いで語り続ける琴はもう十分にフリーマーケットを楽しんだようなので、なんとか言葉の合間を縫って帰路へ乗せることに成功した。えーとここまでの物語は……うん、要はペアキーホルダーとペアアクセサリーをどちらも買ったという話なんだけど。デザインがすごく良かったみたい。あと琴は純ちゃんが大好き。春だなあ(秋だけど)。
「見てほら! テディベアの耳にプリ入れられるソケットついてんの!」
「えっかわいい」
「しかも近づけるとちゅーすんの!」
「かわいい!」
キーホルダーにしては大きい、ハンドメイドらしい二体のミニテディベアは吸い寄せられるようにぴたりとキスをした。磁石入ってるってことなのかな。これはちょっと冗談抜きでかわいすぎるぞ。
琴はまたトリップした上でこの子達は将来服を仕立ててもらってウェディングベアにするのだと熱く語っている。恋バナって夢いっぱいだ。
「それで、二つもどうするの?」
「んふふふよくぞ聞いてくれました〜♡ ペンダントは今日のお土産にあげるでしょ。ねぇ見て結構シンプルでさあ、あたしの分はハートになってて、じゅんの分は窪みになってるのね。違和感ないでしょ? くっつけるとこう! キャー! 離してもほら、なんかこう、あたしの心の一部はいつもじゅんチャンが持ってくれてるんだな……♡って思わない!?」
「わかったよ、浮かれ具合をもうちょい下げようか?」
琴は「えぇアンタも恋しなさいよっ! わかるって浮かれる気持ちが!」とジタバタしてからペンダントを仕舞う。私は恋愛には疎いので、「そのうちね」と曖昧に濁すと「いつするの!」と肩をバシバシ叩かれた。いつと言われましても。ていうか痛え。
「それでそれで、テディベアは?」と話を無理やり戻せば「誕生日プレゼントにあげるの♡ 」と再び夢見る乙女の喜びが頬に満ちる。
「へえ、誕生日もうすぐなんだ」
「ううん、五月十二日♡」
「何もかも気が早い………」
みんな、気を保ってね。これが最近の琴の通常運転です。陸上部だからなのか速いし持久力も高いんだよね。だからきっと二人も早々に結婚した上で、きっと末永く続くんだろうななんて思っているけど。
そんなふうに感嘆の思いを噛み締めていたところで、なんだか道の向こうが騒がしいことに気がつく。「なんか向こううるさくない?」「なにが〜? あたしとじゅんチャンの恋の鼓動の音じゃない?」じゃなくてよ。
――日常に影が差すのはいつもあっという間だ。
冗談を言っている間にそれは飛び込んできて、鮮烈なクラクションの音に巻かれて私たちを目掛けてくる。それがトラックなのだと気づいたころにはもう、身体がうまく動かなかった。
衝撃がひとつ、耳元で琴の叫びと、なにか鈍い音がしたのを、それよりも暴力的な衝突音が響く中でも確かに聞いた。
何が起きたの?
私が地面に倒れたのは、わかる。身体を打ったけど無事だ。琴が私に覆い被さってるのも、わかる。今は足のあたりにだけど、はじめは……そっか、琴が押し出して庇ってくれたんだ。琴は? 無事なの?
はっとして彼女の様子を見ようと身体を起こす。その瞬間、うぅ、と琴が呻いた。
足が、見たこともない形で頽れていた。地面に流れ出る赤。それが何なのかを、私は覚えている。
「琴………琴!」
ひび割れた声は何も変えてくれなかった。これは悪い夢ではなく、現実ということだ。いたい、という呻きが続くのを、私は何もできない。自分が何を言っているかももうわからなかった。ただ勝手に涙がぼろぼろと溢れていくことだけしか、わからなかった。
気がつくと私は病院のベッドの上にいた。たぶん、入院するようなところではなくて、処置のために一時的に寝かされるようなところだ。私は無事なのにどうして、と混乱しているところに看護師さんが一人通りがかって、「よかった、目が覚めたね」と忙しそうにしながらも親身な様子で話しかけてくれた。
「あの、琴、琴は?」
「お友達ね、大丈夫だよ。今はまだ処置中だけど、失血のショックもないし、致命傷もなかったですからね。安心して」
自然と早くなってた呼吸が落ち着いて、それと一緒にまた涙がぽろぽろと出てくる。「怖かったね、よく生きてたよ、二人ともえらかったね」と慰められてしまって、どうしようもなく泣きながらも私はなんともなかったのに申し訳ないな、なんてどこか遠くで考えていた。
やっぱり忙しいのか、「もう少しゆっくりしてて。親御さんに連絡しましたから、お迎えが来たら帰ろうね」と言って看護師さんはカーテンを引いて離れて行った。私はまだ鼻を啜りながら、自分の身体のどこにも大きな怪我がないことを確かめて首を傾げた。なんで寝かされてたんだろう。気を失っちゃったのかな。
そこまで考えて、それからはただ琴のことが心配でいろんなことがぐるぐると頭を巡っていた。本当に大丈夫なのかな。私を庇ったせいで琴が怪我したのかな。直前まであんなに楽しそうにしてたのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろう。琴が買ってたペアアクセやテディベアはどうなったのかな……。
私の腕にはフリーマーケットでもらったブレスレットがきちんとついている。けど今は石の赤さが何だか怖くて、それを隠すように腕を抱いた。
やがてお母さんが到着したというので、私は看護師さんに付いて病院の待合まで向かった。予想はしてたけどお母さんはしかめ面で、私を見るなりため息を吐く。……心配はしてくれないか、そっか。
声もかけずにくるりと踵を返してしまう母親に、「ねえ待って」と追い縋る。
「友達が心配なの、少しだけ様子見に行けないかな」
「あのね、私忙しいの。こんな時間に呼び出されて、これ以上待てません」
にべもない。これ、いつも通りなんだけど、友達が怪我したときくらいは
エントランスまで来ると、車を回してくるからと言って彼女は行ってしまった。これもいつも通り。あんまり私と一緒にいたくないみたいなんだよね。さっき見かけた時計は六時過ぎを指していたから、お仕事は早退したんだろう。申し訳なくはあるけど。
居心地の悪いまま、僅かな待ち時間にも焦れて私は病院内に引き返したくなってしまう。琴の手術、終わったかな。元気かな。琴のパパやママは駆けつけてくれてるのかな。純には連絡、行ってるのかな……。琴は今どのへんにいるんだろう。そんなふうに未練がましく診療棟を見上げていたら、「お前」と急に声がかかった。
見上げていた視線を戻すと、正面に同じくらいの歳の男子が立っていた。漆黒、といった感じの深い黒色の髪に、吸い込まれるような青い目をしている端正な顔の男の子だ。邪魔なところに立ってたかな、とか思う間もなく、彼は「そのブレスレット、外したほうがいい」と口にする。そして、戸惑って何も返せない私にまだ物言いたげな表情を向けていたものの、そのまま行ってしまった。
知り合い……では絶対にないんだけど、なんだったんだろう。ブレスレット、と思って左腕を見る。夕暮れに照らし出されるそれは、赤色も先ほどより馴染んでもう怖くはない。……病院にこんなものつけてくるな、ってことかな?
なんだかますます落ち込んじゃうけど、せっかくの私の運命だ。大事にしてあげようね、と右手で包んで額を寄せた。きっと琴も大丈夫。私はちょっとずつ今日の楽しかったことだけを思い返して、夕べのかげで、一人の時間の中で祈った。
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