第4話 結
その日、俺は一人で給餌の準備をしていた。
今日は土曜日。アルバイト実習生は土日休みなのだが、俺達は技術員と同等のシフトを組まれており、土日も交代で作業に当たっている。その代わり、平日に休みを取るのだけど、結局就活や卒論の準備で休まる事は無かった。
俺の場合、院に進むので、就活にはまだ猶予がある。簡単な試験と面接を受ければよいだけだから、多少は楽かもしれない。
俺達の同期も、蓋を開ければほとんどが院に進む者ばかりなので、就活に走り回るムードではなかった。ただ、公務員を目指す者や他の大学院を目指す者は休日も部屋や自習室に籠りっぱなしになっていた。
実習生のほとんどは、朝から近くの観光地に遊びに行っているようだ。
美海が言うには、女子はこの近辺出身の子が多く、実家に帰ったらしい。但し彼女と祥子は実家とはかけ離れているのでわざわざ帰ったりはしないそうだ。
二人は観光地巡りに出掛けるらしい。
他の男連中と一緒に行くのかと聞くと、二人だけだと言う。
『気になりますう? 誘われましたけど、断りましたよう! 』
彼女の悪戯っぽい笑みが苦笑を誘う。
何でも、先日見た少女の霊の追跡調査をするらしい。
あの日、俺は彼女に今までの出来事を全て話したのだ。勿論、毎夜見る夢の事も。
彼女は怪訝な表情一つ浮かべず、真剣に耳を傾けてくれた。
驚いた事に、彼女には霊感があるらしく、その気になればいつでも霊が見れるらしい。
だがそれは、霊からしても分かる訳で、自分の存在を分かってくれると気付くと、付き纏って来るのがいるので、いつもは霊力にロックを掛けているそうだ。
その辺の理屈が俺にはよく分からないのだが、これって能力者あるあるらしい。
因みに祥子にはその力は全くないものの、無類のオカルトフリークで、美海の良き理解者らしい。近々、二人でオカルト系の動画チャンネルを旗揚げするとこまで計画しているそうだ。
先日の少女の霊は、美海が霊力を封じていた拘わらず、それをこじ開けて彼女にも訴えかけて来たのだという。
『何かを伝えたい事があるんでしょうね。それが分かれば先輩も夢を見なくなりますよ』
いつになく力強く語る美海に、俺は驚きつつも頼むことにした。
休日当番を誰かに変わって、貰って俺も同行すると言ってみたのだが、彼女にあっさり断られた。
多分、少女の霊にかなり魅入られている様だから、向こうの世界に引き込まれたらまずのでやめた方が良い――そう、はっきりと釘を刺された。
『ひょっとして、今もそばにいるの? 』
『いないんですよね。何故か。このパターンだと、大抵は憑りついていてもおかしくないから、直接話がきけるのに』
美海は残念そうに首を傾げた。
俺としては有難い事なのだが。
「よう、お勤め御苦労」
みると、デニムに黒いカットソー姿の川上がにやにや笑いを浮かべていた。
そうか、奴は今日休日だったんだ。
「祥子ちゃんと美海ちゃん、今日は二人で観光地巡りだってさ」
「へええ、よく知ってるな」
「うん、昨日、一緒にどこか行かないか声を掛けたらそう言って断られた。他の男連中もそうらしいな。残りの女子四人は実家に帰ったってことになってるけど、実はうち二人は彼氏とデートらしい」
口元には笑みを浮かべているものの、眼は寂しげな泣きの色を浮かべている。
「お前の情報網、無駄にすげえよな」
いったいどこからそんな話を仕入れて来るのか。
「おーい、お疲れ! 」
背後から快活な声が響く。技術員の田村さんだ。
長い髪を無造作に束ね、ニヤニヤ笑いを浮かべながら近付いて来る。
「川上、お前女の子に声掛けてたけど、一緒に遊びに行くんじゃなかったのか? 」
「げっ! 見てたんすか!? 見事に振られました」
川上はバツが悪そうに頭を搔いた。
「田村さん、今日ってお休みだったんじゃあ」
田村さんの格好、いつも作業する時に着ているベージュのツナギ姿だったのだ。
「ああ、やることないんでさ。何か一日一回は魚の顔を見ないと落ち着かないんだよな。職業病やね。てより、仕事が趣味の延長線にあるし」
確かに、田村さんの答えは納得のいく説得力があった。
田村さんの趣味はアクアリウムなのだ。部屋にでっかい水槽を置いて熱帯魚を飼っており、前に見せてもらったことがある。
「川上、これからどっか行くの? 」
俺は川上に問い掛けた。
「うん、隣街のハンバーガー屋で、一人寂しくジャンキーな飯でも食って来る」
土日は賄いのおばさま達が休みなので、俺達は外食か、近くのスーパーで何か買ってきて済ます事が多いのだ。
「じゃあ、俺にも何か買って来てよ。お金は後で払うか――」
声が、出なかった。
出せなかった。
それ以上の言葉を紡ぐ思考が、瞬時にして麻痺していた。
俺は両眼を見開き、川上と田村さんの背後を凝視する。
あの娘が、いた。
毎夜、俺の夢に出て来るあの少女が。
セーラー服姿の、あの少女が、表情を硬く強張らせながら、俺をじっと見つめている。
あの二人が危ない
私と一緒に来て
彼女の声が、俺の頭の中に響く。
消えた。
一瞬きもしないうちに。
俺の眼の前から、彼女は忽然と消え失せた。
「今の、見たか・・・」
川上が驚きに頬を強張らせる。
「ああ、見たし、聞こえた」
俺は頷いた。
「俺もだ・・・」
田村さんが蒼褪めた表情で呟く。
あの二人が危ない――彼女は、俺にそう語り掛けてきた。
あの二人って、まさか!?
「行ってこい! 当番は俺が変わってやる」
田村さんは俺にそう言うと、車のキーを握らせた。
「俺の車、すぐそこにあるから使えっ! 」
田村さんはいつになく真面目な表情で叫んだ。
「有難うございます! 川上! 」
「おうっ! 」
俺と川上は田村さんの車に向かって走った。
車は白いハイブリッドのハッチバック。
俺達は車のシートに飛び込むと、っシートベルトを装着。
俺はハンドルを握りしめ、アクセルを踏んだ。
「行先は分かるのか? 」
川上が不安げに俺に声を掛ける。
「大丈夫、彼女が案内してくれる」
「え? 」
俺の答えに、川上は訝し気な表情を浮かべた。
彼女が消えた瞬間、俺はその存在を自分の中に感じていた。
緊迫した彼女の感情が、ダイレクトに俺の思考に流れ込んできたのだ。
彼女は今、俺の中にいる。
その先を右
次の信号を左
ナビゲートする彼女の声が、俺の頭の中で響く。
俺はそれに従い、ステアリングをさばいた。
住宅地を抜けると、人気のない山中へと向かって行く。
もう少し
彼女の声が、緊張に震えている。
山道を上がると、人気のない森林公園が現れた。
雑草の生えた駐車場に、紺色のミニバンが一台停まっている。
着いた
急いで
車から降りてこっちへ
彼女は叫んだ。
それは、刻々と迫る危機への警鐘だった。
俺は車から降りると、彼女の指示に従い、駆け出した。
公園の遊歩道に入る。
すぐそばの薮の中で、何かが動いた。
人だ。
四人の若い男達。 派手な柄のカットソーにハーフパンツ。足元はサンダル。海水浴客か。
その奥に、抱き合う美海と祥子の姿があった。
二人は恐怖に表情を強張らせている。
瞬時にして、俺はその状況を呑み込んだ。
「何やってんだっ! 」
俺は叫んだ。
一斉に振り向く男達。
「何だてめえ」
「邪魔すんじゃねえよ」
男達は罵声を上げながら俺を睨みつけた。
「先輩、助けて・・・」
美海が悲痛な叫びを上げ、俺を見つめた。
「へええ、お前ら知り合いかよ」
男の一人がニヤニヤ笑いながら、俺に近付いて来る。金髪で、両耳に幾つもピアスをつけ、むき出しになった腕にはよく分からない柄のタトウーを入れている。
「怪我したくなかったら、とっとと帰りなっ! 」
奴はヤニ臭い息を吐きながら、俺を威圧した。
「ああ帰るよ。二人を連れてな」
俺は毅然とした態度で奴に言い返す。
「なめてんじゃねえっ! 」
奴は目を吊り上げると。俺に殴りかかって来る。
大振りの右ストレート。
ボディはがら空き。
俺は体をやや斜めにずらす。
空を切る奴の右拳。
俺はそれを左掌で叩くように躱すと、体軸を崩して前のめりになった奴の喉元に右手刀を突く。
声も上げずに男は倒れ、激しく咳き込みながら地面にのたうち回った。
「や、野郎! 」
もう一人、体格のいい男が殴り掛かって来る。
が、俺の前に影が立ち塞がった。
川上だ。
男の左拳が川上のボディに炸裂。
「うぎゃあっ! 」
悲鳴を上げたのは男の方だった。手首を抑えながら、苦悶の表情を浮かべている。
「殴ったつもりか? 効かねえなあ」
川上は涼し気な表情で余裕の笑みを浮かべた。
決して痩せ我慢じゃない。俺達は日々三十キロ近い給餌用の容器を船に積み下ろししている。日々の作業がハードな筋トレのようなものだから、俺達の身体は筋肉の鎧で出来ていると言っても過言じゃない。
「女の子を泣かすんじゃねえっ! 」
川上は怒りの咆哮を上げると、目の前の男の頭を引っ掴み、腹に思いっきり膝蹴りを喰らわせた。
男は躰をくの字に折り曲げると、地に沈んだ。
「おい、お前ら動くんじゃねえっ! 」
奴らの仲間の一人が、美海の顔の前にナイフをちらつかせている。茶髪に鼻ピアスの痩身痩躯のその男は、眼を細めながらにやりと笑った。
「動いてみろ。かわいい顔が傷物になるぜ」
形勢逆転と見たのか、俺達を警戒していたもう一人の金髪の男が俺に近付いて来る。
「なめた真似しやがってえっ! 」
奴は拳を結ぶと思いっきり振りかぶった――刹那。
奴の動きが止まった。
俺と奴の間に、忽然と人影が現れたのだ。
セーラー服姿の、あの少女だった。
「お前は・・・」
奴の顔が恐怖に引き攣る。
同時に、少女に身体から、無数の触手状の黒い影が立ちのぼり、四散した。
それは、蛇の様に中空を蛇行しながら男達の手足にぐるぐると絡みつく。
「や、やめろっ! 」
俺に殴り掛かろうとしていた金髪男が、悲痛な叫び声を上げる。
奴の四肢は黒い影に拘束され、身動きが取れずにいた。
触手はじたばたする男を軽々持ち上げると、俺と川上の反撃で地に沈んだ二人の上に叩きつけた。
「うわあああっ! 来るなあ! 」
金髪男の背後で、茶髪の男がナイフを振り回しながら触手を蹴散らそうとする。
が、触手は容赦なく男に絡みつくと、手からナイフを叩き落した。
「やめてくれ! 助けてくれ」
触手は金髪男を頭上高く持ち上げると、天空に放り投げた。
金髪男は緩やかな放物線を描きながら俺達の頭上を越えると、重なり合っている男達の上に頭から落下した。
鈍い打撲音と共に、金髪男の身体が弛緩する。
「逃げろっ! 」
男達は意識を失った金髪男を担ぎ上げると。よたよたとおぼつかない足取りで駐車場に逃走した。
もう大丈夫
後は私に任せて
少女はそう俺に語り掛けると、満足そうな笑みを浮かべ、消えた。
呆然と立ち尽くす俺。
が、次の瞬間、俺は我に返った。
「美海っ! 」
立ち竦む彼女の元に駆け寄る。
「先輩・・・」
腕の中に倒れ込む彼女を俺はしっかと抱き締めた。
「大丈夫? 怪我は無い? 」
「うん、大丈夫・・・有難う」
美海は安心したのか、俺の腕の中で激しく泣き始めた。
ふと川上を見ると、祥子も彼の胸に顔を埋めていた。
二人が落ち着いたのを見計らって、俺は警察に通報した。
到着した警察に、俺は奴らの車のナンバーと車種を伝えた。
一瞬チラ見しただけなのに、何故かはっきりと覚えていたのだ。
俺が覚えていたと言うより、あの少女が俺の記憶に書き綴ったのだと思う。
警察はすぐに捜査線を張り、追跡を開始した。
奴らの足取りがはっきりしたのは、地元の警察署で事情聴取を受けている最中の事だった。
が、その結果は予想外のものだった。
奴等は車ごと岸壁から転落したのだ。
目撃者の話では、警備員の静止を振り切り、車は駐車場を突っ切って柵を倒し、転落したらしい。
その間。ブレーキを踏むことも減速する事も無く、むしろ加速して突っ込んだようだった。四人の乗った車は大破しており、恐らく生存者はいないだろうとの事だった。
幸いだったのが、観光客や現地のスタッフが巻き添えにならずに済んだことだ。
転落した車の車種とナンバーが、俺の証言した内容と一致したため、逃走した犯人である事が判明したのだ。
奴らはあちらこちらで強制わいせつを繰り返していたらしく、警察もマークしていたが、なかなかしっぽが掴めなかったらしい。
事情聴取が終わり、警察署を出た俺達は車で研究所へと向かった。
車の中でも祥子は川上にぴったりくっついて離れない。助手席の望結も俺の肩にもたれかかったままだ。
不謹慎かもしれないが、まんざらでもなかった。
でも、引っ掛かる事がある。
あの少女は、何故美海達の危機を俺達に伝え、助けに向かう様に仕向けたのか。
あの触手の力を使えば、俺達がいなくても、簡単に奴らを撃退しただろうに。
ひょっとしたら、俺達が美海達とこういう雰囲気になるのを望んだのだろうか。
自分が経験出来無かった幸福の時を、俺達に託したのだろうか。
事実はどうか分からないけれど。
俺は、これからも美海を守っていく。
川上も同じ気持ちを祥子に抱いているに違いない。
あの少女が紡いでくれた今を、俺は大切にしていこうと思う。
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