第2話
「グインエルさまは、どんな方だったのですか?」
白い息を吐きながら、メリクは軽い足取りでリュティスの背を追って来た。
「アミア様が話して下さいました。ここの庭園がお好きだったって……」
雪が降るな、とリュティスは歩きながら思っていた。
「優しい方だったって、皆言っています。お会いしたかったなあ……」
小一時間も外で待たされ、すっかり凍り付いたようになった指先を、長いローブの袖に隠し腕を組んだ。
これはまたいらぬ所で寄り道でもしているアミアを、一度叱りつける必要がありそうだ。
「ぼく、とうとうお会い出来なかったから」
何より――。
最近のことだ。
やたらとメリク、このうるさい子供の口の端にグインエルの名が挙がるようになったとリュティスは思った。
グインエルがどんな人間だったのか、そんなことをやけに聞きたがる。
兄が死んですでに二年、ようやくその現実に慣れだしたところに、忘れかけたその名をメリクが呼び起こすため、リュティスは最近否応も無くよく幼少時代のことを思い出してしまう。
父、母、そしてグインエル……何一つ上手く重なり合わなかったその頃のことを。
そんなことを聞いて何になるのだとリュティスは思った。
グインエルは死んだのだ。
もうこの世にはいない。
「グインエル様とはどんな話をされたのですか?」
グインエルはとにかく、ふらりとリュティスの奥館にやって来ては、とりとめも無い話を何時間も話しているような兄だった。
何度邪魔だと言っても笑いながら聞き流している。
色とりどりの花、鳥。
お前はあまり外に出ないから、と言ってそういうものを置いて行った。
「グインエルさまはお母上様によく似ていらっしゃるのですね」
メリクは目を輝かせて言った。
リュティスは鬱陶しく輝くその翡翠の瞳が、ひどく嫌いになった。
雪が積もった。
人の気配が去るこの一面の白い景色がリュティスは好きだった。
ふらりと外に出てみれば、石柱路の所に猫を抱えたメリクの姿があった。
リュティスは条件反射のように眉を顰める。
生前、グインエルがよく雪の降った日の朝そこに佇んでいたからだ。
まるでリュティスが来るのを見越したように、偶然だなあなどといいながら近づいて来る。
たまたま通りかかってねと呟く兄が差し出して来た指先は、いつも凍ったように冷えきっていた。
「ここに猫がいるんです。いつも、寒くなると丸まって動かなくなるから……」
言いながらメリクは、リュティスの術衣の裾におずおずと手を伸ばして来ようとした。
まるでそうするのが当然だとでも言うようにだ。
リュティスは厳しい目で睨みつけた。
するとメリクはハッとしたように慌てて手を引っ込めて俯く。
リュティスは所在なげなその小さな指先が大嫌いになった。
自分の姿を見つけると走り寄って来ようとする。
だから遠目に見つけるメリクの姿、栗色の髪も嫌いになった。
「なんか貴方最近やけにささくれ立ってない?」
「分かるならあのうるさい子供をどこかにやれ。私に近づけさせるな」
「何なのその言い草。犬猫じゃないんだから。
いい加減に慣れてよね、リュティス。もう私達は家族なんだから」
……頭がひどく、痛み出した。
夜ごと【
奥館に向かい歩いていると、遠くに今一番見たくない栗色の頭が見える。
「あっ、リュティスさま! おはようございます……アミア様が朝の公務の前にお会いしたいと、言付かって参りました」
メリクの顔を見る事無くリュティスは歩き続ける。
「どこでだ」
「公務室でお待ちです。【斜陽殿】にいらしたのですね、奥館には戻られなかったと聞いて、心配しました」
「……。」
「リュティスさま……、どこかお加減でもお悪いのですか?」
リュティスが足早に歩くので、メリクはほぼ真剣に走りながらついて来る。
心配そうな声で横に張り付いた。
「別に悪くなどない」
「でも……、お顔が……」
リュティスは立ち止まった。
「メリク」
メリクは足を止める。
リュティスは背を向けたまま、一呼吸置いた後、短く言った。
「……貴様、ひどくうるさい。静かにしろ」
言われて翡翠の瞳を大きく見開く、その表情でさえ見ずとも感じ取ることが出来るのだから、よくもまあ望まぬ時を重ねたものだと思う。
近くにいすぎたとしか言いようがない。
いたいと思ったことは一度も無いのにだ。
「でもリュティスさま、ぼく心配なんです、もし体調が優れないのでしたら……アミア様に」
メリクが一、二歩小さく歩み寄ったその時だった。
――パンッ!
撫で付けて来るようなメリクの声を断ち切るように、振り向き様にメリクの頬にリュティスの平手打ちが飛んだ。
「――――貴様如きが軽々しく『その名』を呼ぶな!」
突然平手が来るなどと思っていなかったメリクは、何の身構えも当然なくそれを受けて、固い石路の上に倒れ込んだ。
驚いたように見上げたリュティスの顔を見て、ハッとする。
リュティスの瞳の色が、常は琥珀色をしているその瞳が不思議な色を発していたのだ。
一瞬リュティス自身が目を見開いて、すぐに自分の手で目を覆った。
(リュティス様の瞳が……)
顔を隠すように俯く。
「リュティス⁉」
アミアの声がした。
すぐに走りよって来る。
彼女は倒れているメリクの方に先に駆け寄った。その姿に驚いたようだ。
一撃受けた頬ははっきりと赤く染まり、唇の端から血が滲んでいる。
「リュティス、メリクに何をしたの」
メリクを助け起こしながら、怒りを含んだ声でアミアがリュティスを睨みつけたが、第二王子は片手で顔を覆ったまま、一瞬見せた狼狽など忘れたかのような、ひどく冷ややかな声で言ったのだった。
「躾のなってない犬を躾けたまでだ」
彼はそのまま振り返りもせずに、憮然とした足取りで去って行った。
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