第20話 赤原家の姉

  ◇



 ……とある木曜日。


「……」

 俺―――赤原みのるは、目の前の惨状に言葉を失っていた。

「ん? 何か用?」

 その惨状を生み出した張本人―――実姉の赤原すみれが、俺のほうを見て首を傾げている。

「……廊下に服を脱ぎ散らかすなよ」

 そんな姉に、俺は何とか苦言を呈した。……今、我が家の廊下には脱ぎ散らかされた服が散乱している。この服は当然、この姉が脱いだものだ。

「はぁ……あんたが拾っておきなさいよ」

 下着姿となった姉が、溜息交じりそう言ってくる。……この姉は下着姿で平然と家の中を歩く。家族の目があってもお構いなしである。さすがに全裸ではないだけマシだが、目に毒なので止めて欲しい。

「だから、そもそも廊下で脱ぐな! 脱衣所で脱げ!」

「なんであんたに指図されないといけないわけ? いいからさっさと片づけてよ」

 俺の苦情を姉は一切聞かず、脱衣所へと入っていく。そのまま入浴するのだろうか。

「ったく……」

 仕方なく、俺は姉が散らかした服を拾うことにする。……拾った制服はどれもぐっちょりと濡れていた。外は大雨だし、恐らく雨に降られて濡れたのが気持ち悪くて廊下で脱いだのだろう。だからってその辺に脱ぎ捨てないで欲しいが。

「……これ、どうするか」

 そうやって制服一式を拾い集めた後、俺は廊下で呆然と佇むことになる。……今、脱衣所には姉がいる。もう風呂に入っているかもしれないが、もしまだ下着を脱いでいる途中だったらまずい。あんな奴の裸なんて見たくもないし、そのことで騒がれても面倒だ。かといって、濡れた服の置き場なんて他にない。

「……あいつの部屋に放り込むか? いや、それはそれでうるさいだろうな」

 結局、風呂場から水音が聞こえてくるまでの間、俺は廊下であーでもないこーでもないと呟きながら時間を潰す羽目になるのだった。



「ふぃー……さっぱりした~」

「……いや、服着ろよ」

 それからしばらくして。風呂から出てリビングに入ってきた姉に、俺はすかさず突っ込んだ。裸体にバスタオルを巻きつけただけのあられもない恰好の姉。これが見ず知らずのお姉さんなら興奮の一つでもするところだろうが、生憎と実の姉では目が腐るだけである。

「うっさいな……童貞なんだから、むしろありがたく拝めばいいじゃん」

「いや、拝むか!」

「どうせ、あんたなんて姉ちゃんの裸くらいしか見れないんだから。あ、金払うなら全部見せてあげてもいいけど?」

「要らん要らん」

 童貞煽りをしてくる姉をあしらいつつ、俺は自室に戻る。……うちの姉はいわゆるビッチである。金銭目的のパパ活でも、そうでない遊びでも、どちらの目的でも平然と男と寝る。とにかく股の緩い女として地元では有名である。どれくらいかといえば、友人に仲介を頼まれる程度には、といった感じだ。勿論仲介なんて全部断ってるが。

 この姉は昔から自由奔放で自分勝手な性格だったが、小学校を卒業する直前辺りから男と関係を持つようになった。当然、両親は姉のことを何とかしようと色々頑張っていたみたいだが、結果はご覧の有様である。今では男関係に関しては基本ノータッチ、避妊だけちゃんとしてくれればいい、というくらいには寛容になっている。諦めたと言うべきか。

「はぁ……」

 ベッドに倒れ込み、溜息を漏らす。……俺は姉のことが嫌いだ。小さい頃から横暴で我儘で、俺のおやつを勝手に食べたりゲームをパクったりは日常茶飯事。それがやがてビッチになり、家族に不和を齎すようになったのだ。これで嫌いにならない道理がないだろう。

「ちょっとー、アイス切れてるんだけどー? 買いに行ってよー」

 すると、俺の部屋に姉が勝手に入って来て、意味不明なことを言い出した。確かにアイスの在庫はなくなっていた気がするけど、それを俺に買いに行けとか、何様のつもりだ? というかまだ服着てないんか。

「外は大雨なんだが?」

「それが?」

 しかも外は大雨で、今から買いに行けばずぶ濡れ必至である。それを指摘するも、姉は首を傾げるだけだった。

「……自分で行けよ」

「はぁ? 風呂上りのレディに雨の中歩けって?」

「誰がレディだこのクソビッチ!」

 姉のあまりにも横暴な言動に、俺は思わずブチギレた。風呂上がりで雨に降られたくないのは分かるが、俺に買いに行かせようという時点であんまりだ。その上、股緩女がレディを自称しているのは噴飯ものである。

「うっさい童貞! いいから買ってこい!」

 だが、俺の意志はガン無視されて、そのまま姉に家を叩き出される。傘とスマホは持ち出せたが、殆ど着の身着のままである。

「ったく……」

 あまりにも理不尽だが、このまま帰っても姉がうるさいだけで何にもならない。財布はないが、コンビニならスマホの電子決済が使えるし、残高もアイスを買う程度なら足りるので問題ないだろう。

「……」

 大雨の中、頼りない傘で出来る限り濡れないようにしながら、近所のコンビニを目指す。徒歩五分ほどの距離だが、土砂降りの中だと靴も肩もぐしょ濡れである。

「……ふぅ」

 何とかコンビニに辿り着いて一息吐く。後はアイスを買って帰るだけである。

「……げ」

 そう思ってアイスコーナーに足を向けるも、壁際のアイスコーナーの前には一組のカップルが陣取っていた。おまけに肩を寄せ合ってイチャついているので、割って入るのも憚られる。……こいつらが離れるまで待つか。

「結局どれにするんだよ?」

「うーん、やっぱりチョコジャンボモナカかな~。でもゴリゴリ君も捨てがたい……」

「美紅姉、どっちでもいいから早くしてくれ。何なら両方買ってストックしておけばいいだろ」

「でも、家にあればあるだけ食べちゃうし……」

 隣の雑誌コーナーを物色しながら待っていたら、カップルの会話が聞こえてきた。いや、どうやらこの二人はカップルではなく姉弟みたいだ。そんなベッタリくっついてて、恋人じゃないとかあるんか……。

「じゃあ、俺がチョコジャンボモナカ買うから、美紅姉がゴリゴリ君買えよ。それで後で半分こすればいいだろ」

「あ、それいい! 名案!」

 カップルっぽい姉弟が買うものを決めて退いたので、俺もアイスコーナーに赴く。……姉が好きなアイスはダッツだが、高いので買いたくない。あの姉のことだから、後で清算しろと言っても応じないだろう。勘定を俺持ちにするのは容易に想像できる。売り切れてたとか何とか適当な理由をつけて、安いゴリゴリ君でも買っておくか。

 俺はゴリゴリ君をカゴに二つ入れると、レジに向かう。丁度さっきのカップル姉弟が会計を終えたところで、すぐに俺の番が回ってきた。スマホでサクッと支払いを済ませると、店を出てまた雨の中を歩く。

「……さっきの姉弟、めっちゃ仲良かったな」

 帰路の途中で思い出すのは、先程のコンビニで見かけた姉弟。明らかに俺より年上だろうに、あんな恋人と間違うくらい仲睦まじい姉弟がいるというのが驚きだった。俺は姉とあんなに仲良くない。というか、いつも一方的にいびられているだけだ。これは今だけでなく、幼い頃からずっとだ。お陰で、この世の姉弟は皆俺たちのようなんだと思っていたので、あのカップル姉弟にはカルチャーショックを受けた。

「うちの姉貴もあの一割……いや1%くらいは優しくなって欲しい」

 あそこまでベタベタしなくていいけれど、その数%くらいは見習ってくれれば、もうちょっと穏やかに日々を過ごすことが出来るのだが。

「ただいまー」

「遅い!」

 ぐしょ濡れになりながら帰宅した俺を、姉の罵倒が出迎えてくれる。相変わらず酷い。

「ほら、買ってきたぞ、アイス」

「お疲れー……って、ゴリゴリ君じゃん! 何でダッツじゃないんさ!?」

 レジ袋からアイスを取り出して渡してやると、案の定文句を言ってきた。買いに行かせておいてこの言い草は本当に酷い。

「売り切れてたんだよ」

「それなら他の店に行くとか、せめてもっと別なの買うとかあったでしょうが! ゴリゴリ君なんてただの氷じゃん!」

「知るか」

 ゴリゴリ君に対する偏見を放つ姉をあしらい、俺は自分用のアイスを持って自室に引っ込む。あの姉は弟に対する態度が終わってる。身内で女じゃなかったら殴ってた。

「……はぁ。せめてもうちょい優しい姉と交換して欲しい」

 先程コンビニで見かけたカップル姉弟を思い浮かべながら、俺はゴリゴリ君を齧るのだった。

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