第10話 姉の友達

  ◇



 ……とある土曜日。


「あれ? 明日香じゃん」

「……げ」

 明日香姉と出掛けている時。見知らぬ女性が、俺たちに声を掛けてきた。その女性を見て、明日香姉は顔を顰めている。知り合いだろうか?

「男連れなんて珍しいじゃん。恋愛アンチの癖に彼氏作ったん?」

 その女性は、非常に馴れ馴れしい態度で明日香姉に近寄ってくる。やはり知り合いだろうか?

「……弟よ」

「……え?」

「こいつは私の弟よ」

 そんな女性に対して、明日香姉は不機嫌そうにそう言った。先日美紅姉と一緒にいた時もだが、姉と出掛けていると恋人に間違われることが多々ある。その場限りの人なら一々訂正しないのだが、知り合いであればそういうわけにもいかない。

「え、そんなことしてるのに、弟……?」

 しかしその女性は、俺たちを―――というか、俺たちの腕を見ながら、疑問の声を上げた。明日香姉は俺の右肘を掴んでいて、エスコートの状態である。

「何よ、弟にエスコートさせて何が悪いのよ?」

「別に悪いとは言わないけど……ふぅん?」

 明日香姉の返答に、女性はニマニマと笑い、それに反比例するように明日香姉の機嫌が見る見る悪化していく。というか、肘を掴む力が強くなってきて、ちょっと痛い。

「明日香姉、この人は……?」

「ただの同僚よ」

「ちょ、酷くない? 高校時代からの付き合いじゃん!」

 俺に問われて、すげなくそう答える明日香姉。しかしその女性は、ただの同僚と紹介されて、不満げに明日香姉の肩を叩いた。そのせいで俺の体まで揺れる。

「っていうか弟君めっちゃイケメンじゃん! ね、ね、何歳? 大学生?」

「え、えっと……高一です」

「うっそ若ーい! いいなー高校生! 学校でも絶対モテるでしょ!」

「はいはいその辺にして頂戴」

 俺に質問しながらテンション高めに顔を近づけてくる女性を、明日香姉が押し退ける。初対面でこのノリはちょっとついて行けなかったので助かる……。

「ったく……人の弟に変なことしないでよ」

「別に変なことなんてしてないじゃん!」

「あんたは存在自体が有害だから、近づくだけでもアウトよ」

「ひっどーい! 友達いなかったあんたと、ずっと一緒にいてあげたのに!」

「あんたが付き纏ってきたんでしょ……頼んでもないのに」

 明日香姉の塩対応にも、女性は一切臆していない。美紅姉ともまた違ったベクトルでの人懐っこさだな。ここまでくると正直鬱陶しいけど。

「ほら、行くわよ。こんなのに付き合ってたら日が暮れるわ」

「ちょ、待ってよ! 弟君に自己紹介くらいさせてよ!」

 俺の腕を引いてこの場から立ち去ろうとする明日香姉だが、女性は先回りするように進路を塞いできた。

「はぁ……手短に済ませなさいよ」

「分かった分かった。……えっと、じゃあ改めまして。どもー、友崎裕子って言いまーす! 明日香とは高校、大学、会社までずっと一緒のズッ友やってまーす!」

 女性―――友崎さんは、かなりのハイテンションで自己紹介してきた。これが陽キャか……俺の周りに陽キャは全然いない(強いて言うなら、どこぞのビッチがやや陽キャよりなくらい)ため、どうしても身構えてしまう。

「えっと、白神焔です。姉がいつもお世話になってます」

「うわー、顔だけじゃくて名前までカッコいいじゃん! 私もこんな弟欲しーい!」

 俺も自己紹介を返すと、友崎さんがズィっと距離を詰めてきた。マジでこの人、距離が近い。美紅姉は家族だから慣れてるけど、初対面の年上女性にこの距離の詰め方をされるのはちょっときつい。

「はいはい、その辺にして頂戴」

「えー、いいじゃんちょっとくらい~! ケチ~!」

「弟に悪い虫がついたら困るもの」

「人のこと悪い虫扱いすんなし!」

 幸い、明日香姉がすぐに割って入ってくれた。友達というだけあってか、扱い方をよく分かっているみたいだな。

「それじゃあ、もう行くわね」

「あ、ちょい待ち!」

 今後こそ立ち去ろうとするも、友崎さんはまだ食い下がってきた。

「明日香、今夜空いてる?」

「……は?」



「あ、こっちこっちー!」

「はいはい」

 夜。私―――白神明日香は、裕子に呼び出されて近所の居酒屋に来ていた。

「ったく……当日に誘うの、止めてくれない?」

「いいじゃん、せっかく会ったんだから。同じ職場なのに全然顔見ないし」

「当たり前じゃない」

 愚痴る私に、裕子は相変わらず自由気ままだった。美紅とはまた違ったマイペースさが、私は昔から苦手だった。でも、そんな彼女だからこそ、長年縁が切れずにいるんだとも思う。私がどれだけ不愛想でも、気にせず傍にいようとしてくるから。

「じゃあ、とりあえず……カンパーイ!」

「乾杯」

 注文したビールが来て、私たちは乾杯した。正直お酒はあんまり好きじゃないけど、付き合いで飲むくらいは出来る。

「ぷはー! やっぱ、明日香の顔を見ながら飲む酒は最高だわー!」

「え、気持ち悪い」

「ガチトーンで引くの止めろや! 綺麗な顔見ながら飲む酒は美味いの! 性別とか関係なく!」

 裕子の趣味はいまいち理解に苦しむけど、人の顔を酒の肴にされるのはあまり気分が良くない。

「聞いてよー! 最近、班長が無茶振りばっかでさー!」

「何? 炎上案件でも押し付けられた?」

「仕事量が増えたー!」

「……あんた、私の普段の仕事量知ってて言ってる?」

 裕子の愚痴に、私は思わずキレそうになった。……自分で言うのもなんだけど、私は結構仕事が出来るほうだ。そのせいで、まだ二年目なのに、同期より遥かに多い仕事を与えられていた。尤も、それでも大抵は定時で終わってしまうから、余計私に仕事が回ってくるんだけども。

「ぶー……明日香はどうしてそんなに優秀なのさ。ほんとに同期?」

「あんた、高校大学時代の記憶飛んでるの?」

「だってさー! うちの会社って独自の言語使ってるじゃん! しかもめっちゃ分かりにくいし! 何であれで普通に仕事こなせてるのさ!」

「プログラミングなんて極論、求められてる機能をどういう形で実装するかってだけの話でしょ? 言語の違いなんて、ちょっと文法や単語が違うだけなんだから、大したことないじゃない。英語のほうがよっぽど難易度高いわ」

「これだから天才は……」

 裕子が恨みがましい視線を向けながらそう言ってくるけど、私は別に天才なんかじゃない。単純に、こういうことに適性があったというだけだ。理系分野全般に必須の論理的思考が、私と相性が良かっただけ。……例えば、美紅は座学が苦手だけど、あの子は別に馬鹿じゃない。あの子の思考プロセスは勉強よりも、人とのコミュニケーションや、体を動かすことと相性が良いというだけだ。人間関係を適切に保つ方法を考えるのも、体を思った通りに動かす方法を導き出すのも、それなりの知能がないと不可能なのだから。その知能の使い方に、向き不向きがあるだけなのだ。

「それで? 仕事の愚痴を言うために呼び出したの?」

 とはいえ、そんな話をしたところで、この子は真面目に聞こうとしないだろう。だから、適当に流して本題を喋らせることにした。

「そうそう、それよ。例の弟君、めっちゃイケメンじゃん!」

「あいつの顔面偏差値がどうしたのよ?」

 裕子の本題は、やはり焔のことだった。それ自体は想定内だけど、あいつのことでどう弄ってくるつもりなのか……。

「いやー、明日香にめっちゃ仲が良い弟がいるって話は聞いてたけど、あそこまでイケメンだとは思わなかったなー。もうちょい歳近かったら彼氏にしたかったんだけど」

「駄目に決まってるでしょ」

 人の弟に手を出そうとする友人に、私は即座に突っ込んだ。なんてことを言い出すのか。少しは自分の年齢を考えろ。相手は未成年なんだけど。

「えー? 仮定の話だよー? 別にほんとに付き合うなんて言ってないじゃん」

「仮定でも駄目よ。何であんたに大事な弟をあげないといけないのよ」

「ふ~ん」

 私の反応に、裕子は両手で頬杖をついてニマニマと笑っている。ムカつく態度だ。

「何よ?」

「もしかしてとは思ってたけど、明日香ってやっぱりブラコンなんだなって」

「ブラコンって……」

 裕子に思いっきり馬鹿にされた気がする。どうして私がブラコンなのか。

「いや、ブラコンなんてもんじゃないか。……だってあんた、弟君のこと、彼氏の代替品扱いしてるでしょ?」

「……」

 裕子が、酒を飲みながら、とんでもないことを言い出した。酔っ払いの戯言……そう流せたら、どんなに良かったことか。

「明日香って恋愛アンチだけど、男を侍らせたいって気持ち自体はあるでしょ? 彼氏は欲しい、でも恋愛はしたくない。そんなあんたからしたら、弟君の存在ってめっちゃ都合が良いじゃない。恋愛しなくていい、傍に侍らせても安心できる男。しかもおまけに顔が良い。……弟を彼氏代わりにしてるなんて、ブラコンじゃなかったら何なのって話」

 裕子の言葉に、私は反論が出来なかった。……私は高校時代の経験が原因で、恋愛が嫌いだ。対して接点もないのに好意を向けてくる男子や、理不尽な怒りをぶつけてくる女子のせいで、私の青春は結構酷いことになっていた。美紅や裕子がいなかったら、高校中退も視野に入っていたかもしれないくらいだ。そうなっていないのは裕子のお陰でもあるので、その点だけは素直に感謝してもいい。

 そんな私だからこそ、真っ当に彼氏を作るつもりなんて1ミリもない。でも、彼氏が欲しいという願望そのものはなくもなかった。だから、焔を彼氏の代わりにしていると言われたら反論できない。……少なくとも、「もしかしたらそうなのかも?」くらいの自覚はあるのだから。

「まあ、あくまでごっこ遊びみたいなもんで、別に恋愛感情とかはないんだろうけど……」

「……当たり前じゃない」

「まあ、そこの一線をちゃんと守ってるなら、外野が口を挟むことじゃないけどさ。……あんまり弟君を束縛しすぎると、嫌われちゃうぞ?」

 焔を束縛……そう言われると耳が痛かった。先日も、焔がバイトをしたいと言い出して、私と美紅で協力して阻止した。それも、あいつと過ごす時間が減るのが嫌という、身勝手な理由で。あれだって、見方によっては束縛と言えるかもしれない。

「他所の家庭事情に口出すのは野暮ってもんだけどさ。弟君だって高校生なんだから、学校での付き合いとかもあるだろうし、あんま明日香の事情で振り回さないほうがいいよってこと。……こんなお節介、素面だと言いにくいからね」

「……」

 言いながら、グラスに残ったビールを煽る裕子。そんな彼女に対して、私は自分のビールをちびちび舐めることしか出来ない。

「そんな顔しなさんなって! 別に弟君と距離を取れって言ってるわけじゃないんだから! でも、あんたって人間関係狭いから、たまに外野が声掛けてあげないと忘れちゃうでしょ? ほんとにそれだけだから」

 私が無言になったのを気にしてか、裕子はそう言いながら私の背中を叩いて来る。……昔から、こいつはこういう余計なお世話が大好きで。それを煩わしく思ったものだけど、そんな裕子だからこそ私から離れないでくれたのだろう。今日だって、私が暴走しないように釘を刺そうと余計な気を回した。でもそれは、私のことを思っていたからこそ行動したのだ。この子はこういう、他人に嫌われるような行動であっても、そいつのためになるなら平気でやる。そういう女なのだ。

「ほらほら、夜はまだ長いんだから、もっと飲もうぜー!」

「……分かったわよ。あんたが潰れるまで付き合ってあげるわ」

「うひょー! さすがはザル、言うことが違うねー!」

 それから私は、この賑やかな友人と飲み明かすのだった。



「うぅ……じゃあね~」

「はいはい。……気を付けて帰んなさいよ」

「うわー、明日香がデレた」

「ぶっ飛ばすわよ」

 それから数時間後。私たちは居酒屋の前で別れた。まだ日付は変わっていないけど、これ以上遅くなっても困るし。

「……ふぅ」

 夜風に当たりながら、思い返すのは裕子との会話。……私は弟のことを、彼氏の代替品扱いしてると、彼女から指摘された。そうやって、あいつのことを束縛していると。ほんとは、ただの姉弟なのに。

「あ、いたいた。明日香姉」

「焔……?」

 そんなことを考えていたからだろうか、目の前に焔の姿があった。……お酒には強いはずなんだけど、幻覚が見えるほど酔ったのだろうか?

「なんであんた、こんなところに……」

「迎えに来たんだよ」

 返事を期待せずに発した問いに、焔が答える。……どうやら、幻覚ではなく本人だったらしい。

「よく分かったわね。場所も、時間も」

「この辺の居酒屋なんてそんなに多くないし、明日香姉なら日付変わる時間まで飲まないだろ」

 私の行動はバッチリ把握されていたみたいで、なんだか癪だった。……でも、私のことを理解してくれてるというのは、嬉しくもあった。

「別に、迎えに来なくていいのに」

「女の子をこんな時間に一人で出歩かせるわけにはいかないだろ……」

「あら、女の子扱いしてくれるんだ?」

「しろって言ったのは明日香姉だろ」

 言いながら、私たちは並んで歩く。……私の言ったことを覚えてくれて、実行してくれる。私を心配してくれる。それがとても嬉しい。我ながら、なんてチョロいんだろうか。

「ちょっと……肩貸して」

「明日香姉?」

「こっちは酔ってるの。少しくらいいいじゃない」

 私は思わず、焔の肩にもたれ掛かった。……ほんとは殆ど素面なのに、酔いを言い訳にして。裕子にあんなことを言われたばかりだってのに、何してるんだろうか?

「明日香姉が酔うなんて珍しいな」

 でも、焔が私を理解してくれていると思うと、不思議と心が軽くなる。……私は悪いお姉ちゃんかもしれない。でも、今だけは。そんな悪いお姉ちゃんのままでいさせて欲しい。そう思った。

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