第11話 姉と動物園

  ◇



 ……とある日曜日。


「わー! 可愛いー!」

 美紅姉が歓声を上げる。俺たちが来ているのは、近場にある動物園だ。今いるのはカバの檻の前。……カバって可愛いか?

「ほら、見てよ、ほむちゃん! カバだよカバ!」

「見てるっての」

 まだ入ったばかりなのに、美紅姉のテンションは既に最高潮である。こんな調子で最後まで保つのか……美紅姉なら余裕で保ちそうだな。体力お化けだし。

「ほむちゃんもカバになればいいのに……」

「なんで俺がカバになるんだよ……」

「だって、撫で撫でし放題になるでしょ?」

「撫でるな」

 俺の頭を撫でながら、美紅姉がそんなことを言い出した。カバの皮膚とかぬめぬめしてて撫で心地最悪だと思うんだが。

「ほら、カバばっか見ててもしゃーないだろ。そろそろ次行くぞ」

「はぁい……」

 美紅姉は名残惜しそうにしながらも、俺に手を引かれて次の檻へ向かう。美紅姉って、こんなにカバ好きだったか?

「わー! キリン可愛いー!」

 そんな風に首を傾げていたが、違った。単純に、視界に入る動物全部に惹かれているだけだった。普段動物っぽい癖に動物大好きかよ。いや、犬とか猫が好きなのは知っていたけど、カバもキリンも、あらゆる動物が守備範囲なのは知らなかった。

「ほむちゃん見て見て! キリンさんだよ!」

「はいはい」

 俺の腕を引っ張り、まるで子供のようにはしゃぐ美紅姉。これでは姉というより妹みたいだ。

「ほむちゃんもキリンみたいに首伸びないかな?」

「俺の首が伸びたらただのホラーだろ……」

「えー? 可愛いよ?」

 美紅姉はそう言うが、絶対絵面がホラーになるだけだと思う。ろくろっ首である。さすがに勘弁して欲しい。

「あ、こっちはゴリラだー! 可愛いー!」

「マジで可愛いしか言わないな……」

 今度はゴリラに可愛いって言ってる……十年以上姉弟やってきて、まだ新たな発見があるとは。この姉のことは一生掛けても完全には理解出来ないのかもしれないな。



「わー! うさぎさんモフモフだー!」

 昼食を挟んで。俺たちは触れ合いコーナーにいた。美紅姉がうさぎをひたすらモフってる。美紅姉は見た目だけはかなりの美人だし、白うさぎを抱える彼女の姿はとても絵になる。写真に残して適当なフォトコンテストにでも応募すれば、割と上位入賞しそうだ。いやまあやらんが。

「いいよね、うさぎ。可愛いし、モフモフだし」

「美紅姉、犬とか猫にも同じこと言ってるだろ」

 美紅姉は昔から、野良犬や野良猫をモフり倒すのが趣味みたいなところがあった。今でもたまに野良猫と遊んでるし。それに比べれば、動物園の触れ合いコーナーならまだマシかもしれない。野良は汚いし、衛生的な意味でも。

「でもでも、うさぎってなかなか触れ合えないじゃん! 小学校のうさぎ小屋くらいでしょ? うちの小学校にはなかったけど」

「まあ、そうだな」

 俺らの母校にはそういう飼育施設みたいなのはなかった。だから、うさぎ小屋なんてものは話に聞くだけで実物を拝んだことはない。そうなれば、うさぎと触れ合う機会なんて当然皆無だ。

「いいなーうさぎさん! うさぎカフェとかないかなー? 猫カフェみたいな感じで!」

「猫カフェでも、うさぎカフェでも、美紅姉が行ったら出禁になりそうだな……」

 美紅姉は昔から野良猫をモフりすぎて、結構な確率で嫌われている。うさぎは今のところ大人しくしてるけど、猫だったらそろそろ暴れてる頃だろう。少なくとも猫カフェなら出禁を食らいそうだ。うさぎカフェでも多分同じことになると思う。

「というか、そんなに気に入ったなら、うちで飼うか? 確か、うさぎって飼えたよな?」

 あまりにも美紅姉がうさぎにお熱だったので、俺はうさぎの飼育を提案してみた。今までは家で生き物を飼ったことはなかったが、今は親もいないし、明日香姉の許可さえ取れば問題ないだろう。

「うーん……それはいいかな」

 だが、美紅姉の反応は芳しくなかった。どうしたんだろうか、てっきり食いつくものだと思っていたのに。

「ほむちゃん、知ってる? ……ペットってね、人間より先に死んじゃうんだよ?」

「美紅姉……」

 美紅姉は儚げな表情でうさぎを撫でながら、そんなことを言う。台詞も表情も、美紅姉らしからぬもので、俺は思わず戸惑ってしまう。

「あれは、ほむちゃんが産まれる前……まだ幼稚園の頃だったかな? 縁日で取ってきた金魚を飼ったことがあったの。餌やりとか、水の入れ替えとか、いっぱい頑張ってお世話したけど……でも、すぐに死んじゃったの」

 それは、俺が知らない過去の話だった。美紅姉の、俺が知らない幼少期の話。八歳も歳の差があると、こういうこともあるんだな。

「金魚が死んじゃって、わんわん泣いて……すっごく悲しかった。後にも先にも、あんなに悲しかったのは、あの時だけだった。だから、だからね……ペットはもういいの。また死んじゃったら、今度こそ耐えられないと思うから」

 初めて、死というものに触れた美紅姉。当時の彼女を俺は知らない。でも、美紅姉が凄く悲しんだということだけは嫌でも伝わってくる。

「ごめん、美紅姉……嫌な話させて」

「ううん、大丈夫だよ。……それに、その後しばらくしてから、ほむちゃんが産まれてきてくれたから。だから、私は大丈夫なんだよ」

「美紅姉……っておい」

 美紅姉の言葉にしんみりしていたものの、その後半を聞いて思わず突っ込んでしまう。……その言い方だと、俺がペットの代わりだと言っているように聞こえてしまう。

「だからね、ほむちゃん……ほむちゃんは、死なないでね」

「お、おう……」

 だが、美紅姉から寂しそうな声でそんな風に言われてしまえば、突っ込みを入れるタイミングを失ってしまう。……人間の寿命は、日本だと女性のほうが男性より五、六年ほど長い。俺と美紅姉は八歳差だから、寿命を迎えるとしたら同じくらいの時期になるか。勿論、病気や事故で天寿を全う出来ない場合もあるが、言うだけ野暮だろう。

「……大丈夫だよ。美紅姉を、美紅姉たちを置いて死んだりしないから」

 だから、俺は美紅姉にそう言った。事故や病気は気を付けたところで防げるものでもないけど、それでも、可能な限り美紅姉の傍に居続けよう。いや、美紅姉だけじゃない。当然、明日香姉も一緒に、だ。

「ほんとに……?」

「ほんとだって。そんな簡単に死んで堪るか」

 不安げな美紅姉に、俺ははっきりと答えた。あんな話を聞いて、はいすぐ死にますとは言い難い。というか、そうでなくても死にたくはないし。

「じゃあ、ほむちゃんはワンちゃんね!」

「……は?」

 だが、さっきまでシリアスな話だったはずなのに、急に頓珍漢な話題になった。文脈どこ行った? 何故俺が急に犬扱いされたんだ?

「はい、お手!」

「……」

 美紅姉はそう言って、手を出してくる。これは、俺は応じてお手をするべきなのか。でも、それをやったら人間として終わりな気がする。え、これどうするのが正解なんだ……?

「むぅ~……ほむちゃん、ノリ悪い!」

「無茶言うな」

 不機嫌になる美紅姉に、俺は口答えしながら。……前々から思っていたけど、この姉、俺のことをペットか何かだと思っていないか? さっきもカバやキリンになって欲しいとか言ってたし。やっぱり俺のことをペットだと思ってるから、急に犬になれとか言い出したのでは?

「もぅ、いけずなんだから……ねぇ?」

 美紅姉は頬を膨らませながら、膝に乗せたうさぎを撫でてそう問い掛けていた。そんな彼女に返事するように、うさぎが首を傾げた。そんな気がした。

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