第2話 おー家を出る


おーも中学3年になり、

高校受験なるものを考えなければ

ならなくなっていた。


親も含め周りはみな、姉が行った

地元の普通校に行くと思い込んでいた…

と言うか決めつけていた。

中3になってすぐから、その高校の制服のお下がりが回ってきたり、「偏差値は足りてるのか」とか、「そこを卒業したら、地元に就職だね!」って、おーの気持ちや考えは、聞かれることもなく、話が進んでいた。


でも、もし地元の高校に行けば、小中校といじめられてきた子達と、また3年一緒な訳で…

なにより、毎日のように雰囲気の悪い両親と過ごし、おーなりに気を遣い、オマケに「産むはずやなかった」と「あんたやなくて姉ちゃんならね…」と言われ続けながら、ずっとこの家に

居るのかと思うと、ゾッとした。


なのに、おーの心の奥底には「親はおーが面倒みなきゃ」という気持ちは、ずっと根を張っていたから、とても複雑で辛かった。


自分の考えや気持ちもだが、進路について相談出来る人は皆無に等しかった。

でも、たった1人中学の仲のいい先生だけは、おーの思いを、バカにするでもなく、必要以上に慰めるでもなく聞いてくれていた。だから、思いっきって「家を出る方法はないのかな?」と聞いてみた。

おーの時代は、自衛隊をはじめ、中卒で手に職つける為に、就職するのもまだ珍しくなかった。で、色々考えて、おーは医療系に行きたいと先生に伝えた。その時代は、医療系といえば、「看護婦」「医師」「薬剤師」「検査技師」「歯科衛生士」くらいだったかな。

「介護士」や「理学療法士」が出来たのは、ずっとあとだった。

ホンマは、おーは今で言う「介護士」になりたかった。祖母と暮らしていたからか、元々高齢の方々と話すのも好きで、良く色々教わったり可愛がってもらっていた。だから、どうせならそういう人の役にたちたいと思うたのだ。

けれど、「介護士」はない。では、どうするか…一番近いのは「看護婦」だと思うた。


医療行為をするから、内容は随分違うのだが、勤める病院や科によっては、おーの思う様な形に近い仕事も出来る。それに、「医師」や「薬剤師」なんてのは、学力的に無理だったから。


「看護科」のある高校に行く!と決めたら、行動は早かった。相談にのってくれた先生にも手伝ってもらい、先ずは地元の中学からは行った人が居ない高校を探した。その次は、奨学金制度を調べ、育英会(今は名前が変わったはず)と卒業後働く事を条件に、学校の費用の殆どを奨学金として出してくれる病院を探した。

それが、見つかったら、とにかくひたすら勉強した。

おーは、1話にも書いたが、多分自閉症気味だったから、得意分野と不得意の差が恐ろしい程違い、それは勉強だけでなく、日常生活や人間関係でもそうだった。今考えれば、その時から生きづらかったんだよね…「やらないから…努力が足りないから出来ない」と言う言葉で気づかなかっただけで。


得意分野と不得意分野の差が大きいとなると、五科目の受験だとかなり厳しい。そもそも、その高校の偏差値に届いていなかったしw

でも、ひたすらやれるだけやった。推薦をもらえるようになる為に。夜中まで延々勉強し、夏休みは学校に行って、苦手な所を徹底的に習った。


と、ここで皆さん疑問点があるのではないだろつか? 「何故塾に行かないのか」と

それは、お金の問題ではない…母の教育方針と言う、それだけの理由だ。

「学校でちゃんと話を聞いて、分からないことは聞いてかえってくれば、勉強は出来ないはずは無い」と言う理由。

「学校の先生達は、そのためにお給料もらって、勉強教えてるんやから…」「わかるまで聞いて来なさい!そうすれば、塾は要らない」と

言う、いまのご時世の先生が聞いたら、卒倒しそうな考えの人だったのだ。極めつけは、「私の子だから、姉ちゃんもできたし、あんたが出来ない訳が無い」ときたもんだ。


そんなこんなで、なんとか推薦はもらえた。


そして、あの恐怖の三者面談がやってきた。


おーは、三者面談の当日も親には何も伝えてなかった。だから、親は当たり前のように、地元の高校を受けると思って三者面談にきた。


三者面談が始まった…


(担任)親御さんは、おーさんの進学についてどうお考えですか?

(母)地元の普通校に行くんやないんですか?

(担任)……えっ〜と。何も聞いてらっしゃらないんですか?

(母)は?何がでしょうか?


もうこの時点で、空気はピリつき、おーは母の顔どころか担任の顔も見れず、下を向いていた。


(担任)あ〜じゃあ、ちょっと𓏸𓏸先生☆相談してた先生☆にも同席してもらいますね?

(母)はぁ…?何故その先生が同席されるんでしょうか?地元の高校に行くだけなのに。


母の疑問を、スルーして相談していた先生を、

担任は連れてきた。相談していた先生は、元々部活の顧問で、母とも顔見知りではあった。


(顧問)ご無沙汰しております。あの〜今日は、おーさんの進学について、お話がありまして。

(母)強ばった表情とキツイ声色で…一言「なんでしょうか」

(顧問)実は、おーさんからは、ずっと進学について、相談を受けておりまして…

顧問が言い終わらないうちに、

(母)なんで親でもなく先生に?と、

もうケンカ腰だ…


その時おーの目には、拳を膝の上で握りしめ、既に涙が溜まってきていた。どこに行きたいのかとか、何を相談してたのかとか…ではなく、自分に相談してなかった事を怒っている母をみて「うちの事よりやっぱり自分が、先なんな」と思うたから。


(顧問)おーさんは、看護科のあるM高校に行きたいそうです。そこは、私立で寮生活になります。

(母)聞いた事もない高校なんですけど?

近所の娘さんが、何人か看護科のある高校に行かれましたが、そこでは何故ダメなんでしょうか?

(顧問)それは、おーさん自身が色々考えて決められた事ですし、実際そこの高校に受かった際に必要な奨学金制度や育英会の事も調べて決められています。その当たりが、他の高校では難しかった理由のひとつだと思われます。


(母)あんた、いつの間に…勝手にそんなん決めたん?私立とかお金なかし、出さんよ。

どうしても、看護婦なりたいなら、夜間高校行きながら、先に准看取ればよかやんね。近くの病院でも何人かそうしてやってあるやん。

(おー)私立いうても、お金はお母さん達には出してもらわんでいいように、先生と考えた。高校に受かれば、育英会も病院の奨学金も出してもらえる様に話もしとる。せやから、どうしてもM高校に行きたい

(母)そこまで、あんたが勝手に決めたんなら、なんも言わん。行きたかなら行けばよか。母さんは今後一切、アンタの事はなんも知らんし、なんの相談も乗らん!


部屋の空気は最悪…母は、話も終わってないのに帰ろうとし始めた。


(担任)あ!お母さん…まだ、ちょっとお話が…座っていただけますか?

(母)なんをこれ以上話すことがあるとですか?

聞く気もない母…冷や汗をかき困り顔の担任


(担任)それで、M高校を一応推薦で受けられる事になってるんですけど、おーさんの偏差値だとやはり心配が残りまして…地元の公立を滑り止めとして受けられることをオススメしたいのですが…

(母)さっきも言いましたけど、この子が勝手に受ける高校も、そのあとの事も全部相談無しで、決めたことですから。わたしはなんも知りませんし、もし落ちたなら浪人でもすればいいんやなかですか?兎に角、滑り止めやら受けさせるつもりはないです。受ける高校を勝手に決めたんですから、落ちた後のことも自分で決めればよかでしょ。ね?おー 勝手に受けて、勝手に落ちるんやけん、お母さんには関係なかよね?


この言葉に、担任は流石に言葉を失い…

まさに絶句していた。


おーは、母の言葉には勿論悔しかったけど、大体想像がついていた。母に相談すること無く、勝手に物事を決めれば、面白くない母は間違いなくキレるだろうから。

それよりも、担任の「滑り止めを…」の言葉の方が、おーにはショックだったし、ヤル気に火がついた。


M高校は、偏差値もそこそこ高いで有名だった。普通科なんかは、進学コースもあり、有名大学に行く生徒が毎年多くいるとか。そんな高校の看護科とはいえ、推薦入試でおーが受かるなんて、「奇跡」と思われても仕方ないことだったんだけどね。


でも、担任の言葉と母に浪人しろ!と言われた事で、今までおーをいじめバカにしてきた人達…おーは姉ちゃんより出来が悪いと決めつけてきた人達…おーは要らない子だと言うた母…M高校は無理と言い切った担任。


全員にギャフンと…いや、腰を抜かす程の衝撃を与えて、受かってみせる!とこの三者面談でおーは心に誓ったんだ。



そして、月日は流れ…年が明け受験の日がきた。推薦入試の子ばかりが、集まっているのだが、色んな科の色んな地域の子達が沢山いた。


同じ中学からも1人受験に来ていた。とても緊張しているのがわかった。

他の子達は、同じ中学や塾が同じなのか、グループになって話していて、緊張感は伝わって来なかった。

で…当のおーはと言うと、何故か知らない中学の知らない子に話しかけられ…受ける科も違うのにだ。そんな感じで、緊張やプレッシャーなんてものを、感じたり思い出す暇もなく、受験開始の時間になったのだった。


私立の受験は、公立とちがい1月半ばから2月くらいに行われていた。類に漏れず、おーも1月半ばくらいに受験を受けた。そして公立受験の前には、合否が分かっているという算段だ。


今思い出せるのは、相変わらず英語は死ぬほどダメだった事だ。数学も、大の苦手なのだが、夏休みに姉の事が大好きな、あのおーを「姉の妹」と呼ぶ先生に、猛勉強してもらったおかげか…はたまた、姉より出来が悪いなりに見返したかったのか、意外と解けた気がした。


受験は、なんとか終わり…半月後くらいに合否が、学校に電話で知らされた。近ければ、高校に発表を見に行くのだが、遠方の生徒には学校から連絡が来るのだ。しかも、何故か合格の順位(ある程度の)まで、伝えられたから、ビックリした。


まぁ無事受かったのだが…受かっただけでも、学校・担任・同級生・親…と信じられないと言わんばかりの顔だったのに、さらにそれなりの順位で受かっていたらしく…みんな何も言えなかったのを憶えている。


合格が決まったので、早速育英会や病院の奨学金の手続きをしたり、制服や教材以外で、寮生活に必要なものを買い揃えたり、荷造りをしながら、卒業式を待った。

卒業式の少し前に、制服の寸法測りや教材の予約、寮の見学に行った。その制服や教材代も奨学金で賄われ…寮費も含まれていたので、母に文句のひとつも言われることなく…準備はすすめられた。

余談だが、その母は人に会う度ニコニコしながら「うちの子やっぱ凄いわ…私の子やもん」なんて、言いふらしていたっけな…


ただ、2月に入って問題が発生した。


3年と言う約束で就職した姉…が、就職先でいい人を見つけ、3月に結婚する運びとなったのだ。付き合って5年は経っていたかな。ホンマは、もっと早く結婚したかった2人だったのだが、名家でもないのに、長女は跡取りがあたりまえ!と言う我が家の両親と、れっきとしたお店屋さんの長男の相手のご両親が、延々と揉め…お付き合いの挨拶から3年もたって、やっと我が家の両親が折れ、無事結婚となったのだ。

それは、誠にめでたいことでよいのだが、姉は

「父ちゃん子」だったらしく、結婚するなら父の誕生日に!と常々思うていたのだとか。


そんな事とは、露知らずのおーは私立を受験し、2月半ばには合否も出てのんびりしていた。姉には、特に聞かれもしなかったから、M高校を受験する事も合格したことも、勿論話してへんかった。

姉からすれば、母と同じく「地元の普通校に行くに決まってる」と思うていたのと、まさかうちの両親が私立に行かせるなんてありえへん!事やったから、特に聞く必要もなく、結婚式は公立の合否発表後となると、3月末やとなんの疑問もなく決めていたのだ。


が、しかし…2月の半ばに、合否発表があった後、母がわざわざ姉に連絡したから、さぁ大変……

「そんな私立受けるん知ってたら、お父ちゃんの誕生日に式挙げられたやんか!」てか「なんで、ウチは進学すら女の子やし行かんでええって、行かせてもらわれへんかったのに、おーは高校から私立やねん!」

と結婚式の1ヶ月程前に、合否発表日を教えなかった事と私立を受けたことにより、おーはまた姉から恨みを買うこととなったのでした。


そんなゴタゴタな気持ちや、複雑なやり取りがありながらも無事結婚式は終わり、おーは

14年住んだ我が家に別れを告げて、寮生活へと旅だったのでした。


この続きはまた次回。高校生活から…始まります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る