1-17 途切れた耳鳴り

 ─先輩。私はここにいますよ、先輩。ですから安心して眠ってください、先輩。

 まだ、夕暮れすら知らなかったあの頃。明るい日の本しか知らなかった、幼き日。全てが輝いていた。全てが、生きていた。魂は贖罪を知らず、蠢く有象無象のなかで踠くだけの蟻は、世界を知れば知るほど、心のどこかに穴が空いているように感じていた。雨が降り、巣の中が水で溢れ。同族が死んでいく様を眺めていた。

 忘れてしまうのは、なぜだろうか。この腐りきった身体を動かす衝動は、なんなのだろうか。神が与えた罰なのか。どうして神は目の前に希望をチラつかせるのだろうか。

 夢を、見ていた。遠き日の、夢を。そして世界はまた、ループする。夜明けが訪れ、夕暮れを知らないままに。寒く、孤独な夜を知らない、楽園の夢を。

 ─先輩。夜が訪れるのはどうしてだと思いますか?

 …わからない

 ─夢なんて無いんだぞって、神様が見せるいちばんの現実なんですよ。夜って。


 「…………」


 久しぶりに、夢を見た。視界に広がるは白い天井。騎士団の保健室のベッドの上で、横たわっている。ベッドの質感、白い天井。窓から流れ頬を撫でる冷たい夜風にどこか懐かしさを覚える。


 「─なんで…生きてるんだろ」


 隣を見れば、ノエルとアスタロトが寝ており。自分の腕には輸血用の管が通っている。見逃されたわけでもなく、殺されたわけでもない。ただいつもチステールで過ごしている日常のように、ここで寝ている。

 しばらくぼうっと天井を眺めていると。こんこんと優しくノックする音が響き、ドアが開いた。


 「今日は起きてる人いるかなぁ…。…うーん?…あっ‼︎いた!…って、すぅ…」


 口を押さえ、そっとドアを閉じて。カイムのベッドに座り、笑顔を向けた。


 「おはよう、カイム。四日ぶりだね。びっくりしたよ〜?ファレストロイナ様、カイムのことを急に聞いてきて出てっちゃったと思ったら数時間後には血だらけのカイムたちを担いで帰ってくるんだもの。はあ、なにがあったかは聞かないけど、言ったよね、無茶はしないって───」

 「よかった…ほんとうに良かった…っ」

 「え、か、カイム?どうしたの?あれ、私のほうが心配されてた感じ?」


 突然抱きつかれたウミアは、ぱちくりと困惑しながらもカイムの背中をとんとんと優しく撫で続けた。数分後、落ち着きを取り戻したカイムはウミアの持ってきた食事を口に運びながら、雑談を交わした。


 「─え?ファレストロイナ様が私を人質に?あっはは!そんなことしないよ。そりゃあのお方は怒ったら怖いけど、ほら、言ったでしょ?チステールの民にとっちゃ頼りになるお婆ちゃんみたいな存在なんだって。だから安心して、なんにもされてないよ。ただカイムと任務に行ったはずだがどうしたと聞かれただけ」

 「でも…なんで私を生かしてくれたのかしら…あなただって、私が契約者だってこと、気付いていたんでしょう?」

 「うぅん、気付かなかったよ!生体反応から団長くらい強い人なんだって感じたくらいで、契約者なのは四日前に知ったよ。まあ、最初に会った時は団長レベルに力のある人がなんで片脚失ってボロボロになっているんだろうとは思ったけど」

 「じゃあ、なんで余計に」

 「わからないよ。神の考えなんて凡人には計り知れないし。あのお方は普段ふざけた素振りしているけど、結構思慮深いんだ。きっともうひとりの契約者の場所を知りたかったからわざとからかったんだと思う」

 「か、からかい…?腕を切り落としたのが…からかい…っ?」

 「私も何度か集落の殲滅任務に赴いたことがあるけど、魔王はすごいね。生体反応が桁違いだよ。ファレストロイナ様がカイムはアスタロト様より生体反応が強いって言ってたけど私ら普通の人にはわからないよ。カイムのことは強い人だなって思うくらいだけどアスタロト様はここ、本部の横にある離れなはずなのに本部にいても感じるもん」

 「もはや一種の災害じゃないの」

 「災害でしょ、魔王の力なんて」

 「それもそうね」


 他愛無い会話をしながら数十分が経過し。「あそろそろ集合の時間だから」と急いで部屋を出ていくウミアを見送り、カイムは再びベッドに倒れ天井を眺めた。

 ─先輩。私はここにいますよ。

 あれも、エナの記憶なのだろうか。


 「ここにいるって…どこにいんのよ…。…さっさと、姿現しなさいよね…」


 夢の中のエナに問いかけるも、返事など返ってくるはずもない。いまだ寝ている二人の顔を見ながら夜風に当たりたいと思い、静かに外へと出た。しばらく外を回り、騎士団の高層にある中庭に出たとき、そこには夜空を見上げるファレストロイナの姿があった。

 

 「─やぁやぁ。お目覚めかい?」

 「ええ」

 「っはは、なんだいその目は。まだ警戒しているのかい?」

 「そりゃそうですよ、腕切り落とされましたし」

 「戯れじゃないか、気にしないでくれよ」

 「その戯れで死にかけたんですよ。…なんで、私たちを生かしてくれたんですか」

 「あ〜。聞いちゃう?そうだねェ。…夜明けを見たくなった…なんて、言ったらいいのかね」

 「夜明け…?」

 「お前も知っているだろう。この国にもう百年近く夜明けが訪れていないことを。ずっと星空か、たびたび来ては去る嵐しかない。…人類とは逞しいものだよ。ものの数年でエネルギー源を獲得し、夜に適応した栽培や自然の観測システムなどを開発、実用化した。挙げ句の果てには通信システムやら魔術で動かす複雑な機械なんかも作りやがった。アタシはこの国の神なのにさァ、なにもしてやれてない。人類は嫌いと言ったが、それはただ、アタシが嫉妬しているだけなのかもねェ」


 遠く浮かぶ月を見つめ、いつかの旧友との思い出を懐かしむかのように語るファレストロイナに、カイムは不器用な自分を重ね、隣に立ち口を開いた。

 

 「私も一緒です。いつも城を抜け出しては遊んで、お父様に叱られる日々。今でも国が滅んだことが夢で、覚めたらいつもの日常があると心のどこかで信じていて、まるで…夢の影法師。二柱の魔王と契約したことも、叛逆者になったことも…お父様は私に国を導けと言ったけれど、この旅路の終着点が贖いの死と覚悟をしていても。身体は怖くて震えて仕方がないのです」

 「アタシもお前も未熟ってことさ。そも、アタシは十六なんざ大人にゃ早いと思うよ。ウミアちゃんは立派な騎士だが多感な子だ。年相応って言うんだろうかね。泣いたり笑ったり、うるさいったらありゃしない。…お前、エナと契約したときどんな気持ちだった?」

 「…複雑でした。蹴り飛ばし踏み付けて首筋に剣を当てがい罵声を浴びせたくらいに。敬虔な信徒でいようとした今までの自分の全てが否定されたように思えました」

 「だろうね。実に人間らしく、それでいい。…だから、そんなお前となら夜明けを見れそうだって思ったんだ」

 「…?よく、わかりません。会話の繋がりが私には見えないのです」

 「…この国の民は今はもう太陽を知らない。夜の無い国になって、太陽を失って初めてわかったよ。あんだけ鬱陶しかった朝が、霞む視界が、輝く朝露が。全てが色鮮やかでかけがえのないものだったんだ。お前も突然国を、信仰を失った。残されたのは忌むべき力と叛逆者という肩書きだけ。互いに大事なものを失った者どうしだが、お前とアタシには大きな違いがあった」

 「違い…ですか?」

 「運命に抗う意思さ。例えその意思が父から託された願いだとしても、それが無ければ命を投げ打っていたのだとしても。夜のない国を受け入れたアタシとは大違いだ。ああ…ほんと、度し難い。ほんとうに…羨ましい」


 己の左腕に描かれたアスタロトとの契約の証である紋章を撫で。ふっと微笑み、ファレストロイナに軽く肘で小突く。


 「─なるほど、抗う意思…私の腕を切り落としたのはそれが理由ですか?」

 「ははっ、いいねぇ。そうだよ、なんか文句あるかい?」

 「いや…ふふっ。ウミアの言ってたことがわかった気がします」

 「へえ、なんて言ってたんだい?」

 「頼りになるお婆ちゃんみたいな存在」

 「あの小娘。次会ったらただじゃおかないよ」

 「ねえ…ファレストロイナ様」

 「なんだい」

 「私にそれを話したってことは…なにか夜明けを迎えるための考えがあるってことですよね」

 「──ああ、ほんと。度し難いね」


 カイムへ向き直り、ファレストロイナは口を開く。


 「アタシはふたつの部隊を編成した。ひとつはお前らを監視するための、もうひとつはエナを捜索するものを。別行動をとっていると予想し各地を捜索したものの、まさかお前らさえ場所を知らないとは思わなかった。それでも、なにも成果が無かったわけじゃあない。この永夜になってから国を襲った数々の異常気象。それが起こると同時に強大な生体反応が観測された」

 「それって…」

 「元から魔族の反応があることはわかっていたが、まさかソロモン部隊だとはな。お前らの倒したオセとアミーがこの国で起こる異常なほど濃い霧の原因だった。同時に発生する肌を切り裂くような猛烈な嵐の中心にも強烈な生体反応が観測された。このことから永夜含め異常気象には必ずソロモン部隊が関わっていると仮定し、お前らの監視部隊を合流させ嵐を追跡した」

 「…結果は?」

 「その霧と嵐は崖の村周辺の地域によく現れ、去るとそこには焼けた草原が広がっていた」

 「アスタロトの…魔術ですか」


 カイムの言葉に、ファレストロイナは頷いて続ける。


 「そいつらがなぜ森に潜み、崖の村を襲撃していたのか。よくわかったよ。正体がオセとアミーだと知って納得しちまった。あそこは戦前、アスタロトがよく訪れていた月の揺籠の群生地だったのさ」

 「──っ⁈」

 「─なあ…今日は、静かな夜だよな」


 再び街を見下ろしながら、ファレストロイナは言う。急に話が変わり戸惑いながらカイムも柵に手を置き街を眺める。


 「ええ…そう、ですね。…にしても…静か、すぎるような…。………ッ⁉︎まさか」

 「─ああ…。その、だよ‼︎」

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