第2章 語りの残る村

光が示した先にあったのは、草に埋もれたような小さな村だった。

木々に囲まれ、鳥の声と風の音しか聞こえない。

村の入り口に立てられた看板には、「アーレ村」とだけ書かれていた。


ジーンは装置を両手で包み込むように抱えながら、村へと足を踏み入れる。

装置はもう光っていなかったが、確かにここを示していた。

“誰か”がかつてここにいた——そんな確信だけが胸の奥に残っていた。


広場の片隅に、ひとつの石碑があった。

風雨にさらされ、文字は擦れてほとんど読めない。

けれど、ほんのわずかに残る刻みが、ジーンの目に留まった。


——誰かのために剣を振るった者へ。

名を刻むことなく去った、名もなき“勇気”に。


ジーンはそっと指先でその文字をなぞった。

誰かの記憶。けれど、名前はない。

だけどそれでも、誰かが忘れなかったという証が、ここにあった。


「……ここにも、いたんだ」


声に出してみると、不思議と胸があたたかくなった。


そのとき、背後から声がした。


「その碑文を読んだのは、何年ぶりだろうなぁ」


振り返ると、腰の曲がった老人が立っていた。

柔らかく笑いながら、石碑の隣に腰を下ろす。


「ここにはな、むかし“あの人”が現れたんだよ。村が魔物に襲われたときにな。

 逃げ惑うみんなの前に、ひとりで立ちはだかって……剣を抜いた」


「“あの人”? 名前は?」


「誰も知らん。名乗らなかったんだよ。

 でも、真っ直ぐな目をしてたのは、よく覚えてる。……不思議な人だった」


ジーンは、装置を取り出して石碑の前に置く。

球体がかすかに脈を打つように光り始め、納屋で見たような青白い輪が地面に広がっていく。


そして、記憶が再生された。


炎上する家屋。

慌てて逃げ出す村人たちの中で、ひとりの青年が、誰かの手を引いて走っている。

剣は木でできていて、盾もない。

それでも彼は、泥まみれの体で、村人を次々と助け出していた。


最後に、息を切らせて祈るように振り返ったその顔には、

飾りも称号も、誇りもなかった。ただ、「守ろう」という意志だけがあった。


光が収束し、再び静寂が戻る。

そして、装置の中心から青い針のような光が浮かび上がり、空中でくるりと回りながら、次の方角を指し示す。


ジーンはその光を見つめながら、ゆっくりと装置を拾い上げた。


「ほんとにいたんだ……ひいおじいちゃん」


オレンジのバンダナを、額で締め直す。

その理由は自分でもよくわからない。けれど、旅が少しだけ意味を持ち始めたような気がした。


「……ありがとう、おじいさん」


「おう。気をつけて行きな。

 あの人も、そんな顔して旅に出てったんだよ」


ジーンは小さく会釈をし、針が指す方角へと歩き出した。

名もなき勇者の、次の足跡を辿るために。

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