Chrono Echoes ~語り継がれし勇者〜

豚骨

第1章 旅立ちの風

風が、草原を走り抜けた。

季節は春。新しい芽吹きの香りが漂う午後の、少し遅い時間。

村の広場では、誰も使わなくなった訓練場にひとりの少女がいた。


「……ふっ!」


乾いた音とともに、少女が木剣を振り抜く。

何度も繰り返された動作は美しく、そして少しだけ、ぎこちない。

少女の名はジーン。年の頃は十六。

背は小柄だが、男の子に混じっても臆することはなかった。


彼女の額には、色あせたオレンジのバンダナが巻かれていた。

何度も洗われ、端が少しほつれているそれは、いつからか彼女にとって当たり前の存在になっていた。


「ジーンー! また木切れ振り回してんのかい!」


宿屋の婆さんが笑いながら声をかけてくる。

ジーンは顔をしかめて返す。


「違うし。これは“タイムウッド”っていうの。ひいじいちゃんの形見だから」


「またその話かい。まったく、あんたのお爺さんも話を盛るのが好きだったからねぇ……」


「ほんとなんだってば……」


ジーンはため息をつきながらも、笑った。

そして頭のバンダナをきゅっと結び直す。


——祖父が言っていた。

「おまえのひいじいちゃんは、世界は救わなかったけど、ちゃんと誰かを守ったんだぞ」って。


でも誰も信じていない。

彼の名前すら、この村には残っていない。

記録もなければ、語る人もほとんどいない。

ジーン自身、ただの“昔話”だと思いかけていた。



その日の午後、ジーンはふとした気まぐれで村の納屋に入った。

使われなくなって久しい倉庫の奥、農具と古道具の山の下に、

何かが“呼んでいる”ような気がした。


棚の裏で、古びた布にくるまれていた金属の物体が目に止まる。


「……なにこれ」


両手で抱えられるくらいの円形の装置。

中央にはくすんだ球体、周囲には不規則な刻印のような溝。

村の誰が作ったものでもなければ、見たこともない機械だった。


何気なく触れた瞬間——


装置が震え、球体の奥から青白い光がにじみ出した。


「わっ、うそ……動いた!?」


空気が変わる。埃っぽい倉庫の空間が、静かに締めつけられるような緊張を帯びる。

次の瞬間、装置の内部から声が流れ出した。



「——この記録が、再生される頃には、

 私のことなんて、もう誰も覚えていないでしょう。」



女性の声だった。落ち着いていて、どこか寂しげな響き。


「これは、ある“名もなき男”の記録。

 彼は英雄ではなかった。歴史にも名は残らない。

 でも私は知ってる。

 彼は、確かに誰かを守った。剣を握り、前に立った。


 もしあなたがこれを見つけたのなら、

 きっと、それは偶然じゃない。」



声が途切れた瞬間、球体の中で一筋の光が生まれた。

その光はスッと宙を走り、納屋の壁を突き抜けて、東の方角を指し示す。


ジーンは思わず息を呑んだ。


「……示してる?」


誰に見せられたわけでもないのに、心臓が高鳴る。

これはただの記録なんかじゃない。

“どこかに続いている何か”の始まりだった。


彼女はバンダナを結び直し、背中の木剣“タイムウッド”を肩に担いだ。

装置をしっかりと抱え、光が消えた方角に視線を向ける。


「語られてないなら、あたしが見に行く。

 忘れられてるなら、あたしが覚えてくる」


そして、ジーンは納屋の扉を開けた。

そのまま、まだ誰の地図にも載っていない物語の道へ、一歩を踏み出した。

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