月の光はレモンの香り
ハープ
月の光はレモンの香り
友達のあみこから突然電話がかかってきたのは、もう夜の九時近い時間だった。私もあみこも、明日も学校があるというのに。とはいえ彼女がこういった突発的な行動をとるのはそう珍しいことではない。おそらく内容もどうでもいいようなことだろう。私は自室でスマホを手に取り、通話ボタンを押して口を開いた。
『もしもし』
『もしもし!』と大きく元気な声が返ってくる。夜だというのに。
『ねえ、ふと思ったんだけど、月ってどんな香りがするのかな?』ほらやっぱり、あみこが話すのはどうでもいいことだった。
『月の香り? ……うーん、月って石とかいっぱいあるんだよね、だから石の香りがするんじゃない?』とよく分からないながらも一応話にのってみる。
『石の香りって、どんな香り?』と返され、確かに石の香りなんて嗅いだことがないな……と私もどうでもいいことに気づいた。
『あとさ、月の光ってどんな香りだと思う?』と続けて問われ、一瞬私の頭の中にクエスチョンマークが浮かぶ。こういうことも、あみことの会話の中ではよくあることだ。
『光に香りなんてあるの?』
『わかんないけど』
『それに、もし光に香りがあったとして、月の香りと月の光の香りは違うの?』
『わ、わかんないけど……』と自分からわざわざ電話をかけてきて話を振ったくせに、あみこはあやふやな調子だ。深く考えずに喋るからこうなるのだが、私はあみこのそんなところが嫌いではなかった。
これ以上理詰めであみこと会話しても彼女がこんがらがるだけなので、私は話の論点を変える。
『しかし、月の光の香りがどうこうなんて、なんだか今日のあみこはロマンチックなことを言うね』
『そ、そうかな……』
『うん、なんだかポエムみたい』
『そうかな……!』
人によっては馬鹿にしているのかと怒りだしそうなことを言ったのに、あみこは私の言葉を素直に受け取って照れている。私はあみこのそんなところが好きだ。本人には絶対に言わないけれど。
『ところであみこ、あみこの今使ってるシャンプーって何だっけ?』
『えっ何急に』
『いや、あみこっていつも髪さらさらだからどんなシャンプー使ってるのかなって』
『え〜普通にシトラス系のやつだよ、レモンとか?』なんで語尾が疑問系なのか……。それはいいとして。
『じゃあ、きっと月の光はレモンの香りだよ』と私は私だけの確信を込めて言った。
『え、なんで?』
『あみこは夏目漱石って知ってる?』
『夏のソーセージ? なにそれ美味しそう』
『……』
どうも私が言いたいことは伝わっていないようだったけど、一々説明するのもなんだか癪だ。
その後、あみこは月は黄色いからチーズの香りがするんじゃないかとか月にはうさぎがいると言われているから意外と獣臭いかもしれないとか好き勝手に話した後、私が明日も学校だしもう寝ようという忠告をしたのをきっかけに『おやすみ、また明日学校でね』と電話を切った。
騒がしい会話が終わり、私は静かな自室で一人になった。電話がくる前から既に私はパジャマ姿だったからそのままスマホを置き、寝る前の歯磨きに向かう。
夏目漱石はI LOVE YOUを『月が綺麗ですね』と訳したらしい。あみこはそのことを知らなかったみたいだけど、恥ずかしいからむしろ彼女が知らなくて良かったのかもしれない。歯を磨きながら私はそう思った。
歯磨きとうがいを済ませ、私は自室に戻る。電気を消して、ベッドに入る。
また明日、学校であみこと会って今日の話の続きなのかあみこがまた突発的に思いついた話なのか分からないけれど、とにかく私たちはどうでもいいことを話すのだ。それは私にとって幸せな未来予想だった。
月の光は、電気を消した私の部屋にも届いていた。もし今その香りを嗅いだら、きっとレモンの香りがするだろう。
月の光はレモンの香り ハープ @ori_yuri
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