第15話完璧な執事の憂鬱

ダメだ、やる気が起きない。

ブラジャーとパンティだけというだらしのない格好と、だらりと垂れ下がった足はベッドに寝転がった女から行動を奪っていた。

心身共に無気力しか湧いてこない。

頭の中に霧が立ち込めているようだ。

スマホを枕元に置いてあ~あ…と声を出す。

大の字になって目を閉じる。

部屋の中でくつろいでいる猫が、不思議そうに投げやりな女を見ていた。

休日がもっとたくさんあればなぁ。

女は何もやりたくないと言わんばかりに二度寝に入る。

ベッドの周りには食べかけのお菓子やコンビニ弁当のゴミが散乱していた。

典型的なごみ屋敷状態だ。

ゴミ出しなど億劫だ。

朝食など昼食と同じで良い。

このままずっと寝ていたい。

トイレに行くのも億劫だ。

ただ一日をベッドの上で過ごし、インスタント食品を食べ、スマホで動画を見る。

他には何もしたくない。

これがこの女の休日の過ごし方。

完璧超人に見える雪平家の執事・柿原雪枝のプライベートの姿なのだった。

雪枝の雪平家への忠誠心は本物だったが、私生活は破滅的だった。

こんな姿を見せられるのは溺愛している弟と、彼がとてもお世話になっている人魚館のオーナー、そして恋人だけだ。

雪枝の主である雪平零人は幼馴染みで最愛の女性、オーサ・ルンドグレーンと無事婚姻が成立した。

雪平グループとルンドグレーン社の一体化が進めば親族たちは新当主の零人を褒め称えることだろう。

雪枝は今まで以上に張り切らなければならない。

仕事では完璧な執事を演じているからこそ、私生活では自由にさせてほしかった。

雪枝の雪平に対する忠誠心は揺るぎなく、どこまでも付いていくつもりだ。

雪枝が先代から仕えている父と母の親の七光りで、執事として辣腕を振るえるのは自覚していた。

両親はバトラーとハウスキーパーを務めている。

幼い頃から零人とオーサの遊び相手としてもそば近くに仕えていたのだ。

よっぽど気心は知っている。

一週間前、零人とオーサに新事業の展開には強力な味方がいると話した。

瀬戸内海のリゾート地・人魚館のオーナーだ。

オーナーに仕えている弟のコネで、雪平への格別なご厚意を賜ってきた。

人魚館の食事は全て雪平食品の食材ばかりで、温泉プール、客室には雪平の製品がふんだんに使われていた。

人魚館オーナーは、同じ北欧出身のオーサの会社が製造している装飾品や雑貨類にも興味があり、館内に取り入れたいと思っているそうだ。

これは新たなチャンスでもあった。

弟と人魚館オーナーの関係は命の恩人、主、恋人を合わせたような、とても言葉では表現できない不思議な関係だった。

この弟の存在があるからこそ、先代は雪枝をパイプとしても重宝していたのだろう。

人魚館オーナーは資産家として名を馳せており、母国では有名な大富豪だ。

その彼女が雪平の製品を愛用しているとなれば、社の大きな宣伝力にもなる。

人魚館オーナーは雪平をたいそう気に入っているとのことだ。

この繋がりは大切にして、強化しなければならない。

雪枝は早速弟にコンタクトを取り、人魚館オーナーの「全権大使」の派遣を取り付けた。

オーナーの側近が彼女の代理人として明日、雪平邸を訪問することが決まったのだ。

雪平の快進撃を見ていた人魚館オーナーの計らいもあり、粛々と段取りを決めることができた。

セッティングは完璧。

零人とオーサと会談を兼ねた食事会を行うことになっている。

そしてオーナーに、これからの両者の関係の強化について伝えてもらう手筈になっている。

若い新当主の時代の幕開けは軽やかなものであってほしい。

それが、主に仕える僕の忠義であると雪枝は思っている。

しかし、あの頼りなかった弟が今や「氷結の人魚」のお気に入りとは人生不思議なものだ。

しかし、雪枝は憂鬱な気持ちにも苛まれていた。

それは人魚館オーナーの側近が、雪枝と過去に一悶着あった相手だからだった。

普段よりもひときわやる気が起きないのもこのためだ。

明日は、無事に零人とオーサの仲介役を貫き通さなければならない。

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