会報「HESSE」あとがきを読む
第74話 創刊号(1967年9月) あとがき
あ と が き
発会以来1年近くなって、やっと会報第1号を出すことができた。無から出発したものであるだけに、どうしても会員相互の会費に頼らねばならず、この小冊子を1冊出すにもそれだけの時間がかかったわけである。会員の皆さま、特に各支部の方々に深くおわびを申しあげる次第である。
発会のときには僅か5名であったものが、しだいに増加し、現在では30名を超すまでになった。しかも、小規模ながら大阪、京都、徳島、香川などにも支部が設けられたことは、やがては実現すると思われる全国的組織への足がかりとして、喜ばしい事件といわねばならない。
去る8月末、広島日独協会総会において、ドイツ総領事ガリンスキー氏ら出席のもとに、小生に研究奨励金なるものが授けられた。ヘッセ協会の設立とヘッセ研究に対してということである。しかし、小生一人がいくら頑張ってもその大事業が可能なわけではなく、今日までの成果が、広島大学毒文学部教授滝沢寿一氏の力強いご協力や、大阪支部長Y 氏、京都支部長S氏らの並々ならぬご尽力を始め、遠方からでもご参加いただいた会員の方々の辛抱強い熱意によることはいうまでもない。つまり、それはわれわれ全員への贈り物であると判断し、ヘッセ協会に寄付させていただくことにした。
これからも、各地のきょうだいが仲よく手をとりあって、短い一生を有意義なものとするためにますます勉強し道を求めてゆきたいものである。
末筆ながら、本号に快よくご寄稿いただいた高橋健二、西義之両氏に心からの御礼を申させていただく。
(四反田)
・・・・・・・ ・・・・・ ・
以上引用終。
これが1968年、昭和43年9月に発行された創刊号のあとがき全文である。
この本文を読んだだけでは、この時代をいかにも切取った感はそれほど感じられないかもしれない。その代わり、この手の「団体」を結成はもとより運営していくことの難しさと苦しさが伝わってくる。これは団体の種類を問わず、似たような要素はどこにもあるわけで、その意味ではむしろ普遍的なテーマがこの一文より見えてくるように思われてならない。
これが一転、翌1969及びその翌1970年になるとその時代の空気が明らかに感じられる文章へと「変貌」する。実はその2回分の「あとがき」はすでにこの作品群で引用しているが、改めて前後の同一定点からの比較対象とするために明日より2日にわたって引用させていただく。
なお、翌々日の第3号、1970年のあとがきは、当時もさることながらちょうど今年の出来事と連動させると洒落にならないほどの「現代性」を帯びていることに気づかされるが、それも併せて味わっていただこうと存じます。
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