第68話 対ヘッセにおける日米の相違 2
さて、アメリカのほうではどうか、これから述べてまいります。
前話の最後にアメリカの一定以上の知的レベルを持つ層に絞ったうえで論を進める旨申上げたので、早速そこに入って参ります。
アメリカという国は中国同様大陸でありまして、日本やイギリスのような島国ではない。このことは、良くも悪くもその国の文化に影響します。
この手の大陸における一定以上の知識レベルを持つ層は(その定義についてはあえてここでは触れないでおきます ~キリがないので)、当然批判精神の強い人物もまた生み出します。前に例えを出しましたが、アメリカ合衆国と言われる国家の領域に居住する白人と言われる人たちに絞ってみても、それは同じ。とある太っちょの映画監督に「アホで間抜けな」と自虐的に題した本を出されるほどの層であることはある一面真実ではありますが、必ずしもそれが全てでは、ない。
例として、東京裁判こと極東国際軍事裁判における日本人被告の弁護に立ったアメリカ人弁護人を引合いに出しましたが、何でもかんでも 我国マンセー! な人たちばかりでないことがこのことだけでも御理解いただけようものです。それもただ人が言ったり行なったりしたことに同調して、そうだそうだとわめいたりSNS上で書きまくったりするような半端にもならぬレベルではなく、あの裁判という公式の場で通訳を外されようとも自ら信念をもって自国の戦争犯罪を追及する人物が出てくることも必然というもの。かのブレイクニー氏のような人はむしろ飛び抜けきった人になるかもしれないが、そういう層もまた一定いることも確かです。
そういう人たちの誰かが、ドイツ出身のスイス人文学者であったヘルマン・ヘッセという人物のことを知り、それを広めた。そこに影響を受けてヘッセの作品に触れる相当いうのは、むしろ一定以上の知識層ということになる。学校教育で星条旗がアメリカの国旗で建国の理念が云々といったような教育による知識の提供ではなく、自らの思いをもってヘッセに触れた層は、そこに何を感じたか。無論これが学校で習ったあの作品とか、図書室に会ったあの本といったレベルを超えて、自ら手に取って読んだヘッセの作品というものは、それは身に着こうもの。無論反発するところもあるだろうが、その分、逆に心酔さえできるレベルのところもある。
その結果が、ヘッセはヒッピーの元祖であるなどという、日本人の私からすれば一見耳と目を疑うようなフレーズの一つや二つ出てくるのも、無理はないかな。
前にも述べましたが、アメリカという国は「アホで間抜け」と自虐本が出されるほどに(よく言えば四反田も指摘しているように「素朴で単純」ではある。彼の親族でアメリカに行った移民もいるようなので、そこらあたりを彼は肌身で理解していたことは間違いないだろう)日本以上に同調圧力が強い要素もありますが、その一方では自らの国の問題点や不正に対して、それも幾何の裏金やそこらのレベルではなく、根本的なところにおけるそれらに対して、声を上げて叩き潰してでも変えていくのだという強い意志さえ持った人間を輩出する余地をもつ国であることも、また一面の真実です。
アメリカでヘッセ作品がヴェトナム戦争激しくなったあの時期、若者たちを中心に読まれるようになった。それどころか心酔する若者が多数出たということは、間違いなく、アメリカという国の正義感からくる批判精神にあふれた側面がもっとも世に顕著となった一例と言ってもよいのではないでしょうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます