第17話 選択

――ひんやりとした空気が頬をなでて、目が覚めた。


 まだ暖房の入っていない部屋の空気は冷たいままだ。毛布に包まったまま伸ばした手で、枕元のスマホを探る。

 画面を点けると、表示された時刻は7時32分。


「……うわ、めっちゃ寝た」


 昨夜は珍しく十時に寝たから、ざっと九時間睡眠。

 ここ最近、レポートの提出ラッシュでずっと寝不足だったから、それを一気に取り返した感じだ。


 それに今日から冬休み。朝に追われず目覚めるのは、なんて気持ちがいいんだろう。


 キッチンに立ってインスタントコーヒーを淹れ、トースターで香ばしく焼いたパンを皿にのせる。

 一口かじりながら、テレビを点けるとちょうど天気予報の時間だった。


『本日は全国的に晴れますが、空気は冷たいまま。最高気温は東京都心で8度となり……』


 画面右側に並ぶ気温のグラフよりも、自然と目が向くのは、画面中央のお天気キャスター――いや、彼女が着ている服のほうだった。


 ふわっと揺れるロング丈のプリーツスカート。

 落ち着いた色味のニットと合わせた、上品だけど大人っぽいコーデ。


「……いいな、ああいうの。凛と買い物に行ったときに探してみようかな」


 ぽつりと漏らした言葉に、自分でも軽く驚いた。

 けれど、女装を始めてから、こんなふうに人の服やメイクを見る目が変わったのは確かだった。


 ただ、その途端に――浮かんでしまうのは日葵の顔だ。


 “女装は、やめて”


 そう言われた日の、あの少し寂しそうな目。


「はぁ〜……どうすればいいんだよ、もう」


 ため息と一緒に、テーブルに額を預けた。

 望んだわけではないのに、偶然できてしまった二股関係。


 二人のうち一人を選ぶなんてできない。

 それに日葵を選べば女装はやめなきゃいけない。だけど凛を選べば、女の子でい続けなきゃならない。

 どっちを取っても、自分じゃなくなるような気がする。


 考えはまとまらないまま、駅前のクリスマスツリーの下へと足を運んでいた。

 今日は12月24日、クリスマスイブ。

 雫が「たまにはデートでもしてきなよ」と気を利かせてバイトを休みにしてくれたおかげで、昼から日葵と会うことになっていた。


 待ち合わせの11時ちょうどを目前にして、ふと視線の先に見覚えのある姿が見えた。


 ――日葵だ。


 柔らかく髪を巻いて、艶のあるリップが冬の光を受けてきらめいている。

 大学で見せるナチュラルメイクとは違い、今日はファッション誌のモデルのようにメイクをしている。


「ごめん。待った?」


 少し息を切らせながらそう言った彼女に、思わず目を見張る。


「ううん。俺が早く来すぎただけだよ」


 そう返しつつも、視線は自然と彼女のスカートに吸い寄せられていた。

 ベージュのロング丈のプリーツスカート――まさに、さっきテレビで見て「いいな」と思ったばかりのやつ。


 ――あぁ、やっぱり流行ってるんだな。お天気アナも、日葵も選ぶくらいだし。


 つい見惚れていると、日葵が不思議そうに小首をかしげた。


「どうしたの?」


「……あ、いや。今日の日葵、かわいいなって思ってさ。メイクも、アイシャドウのラメとか綺麗だし、そのリップ……たぶん今年のトレンドのやつだろ?」


「……ありがとう。でもさ、男なんだから、メイクの細かいとこまで見てほしくないな」


 ふいに刺さるような言葉。

 やんわりしたトーンなのに、しっかりとした“拒絶”が滲んでいた。


「……ごめん」


「それにさっき、スカートじっと見てたでしょ。……まさかとは思うけど、“こういうの履きたい”って思ってないよね?」


 目が合った瞬間、心臓が跳ねた。


 言い逃れできない。図星だった。

 けれど、女装を極端に嫌う日葵に、それを言えるはずがなかった。


「ち、違うって……別に、そういうんじゃないから……!」


 慌ててかぶりを振った。

 けれど心のどこかで、自分がまた“バレないように嘘をついた”ことに気づいていた。


 ちょっと早めにランチを済ませると、街中を気ままにぶらついた。

 クリスマスムード漂う中、どこに行ってもカップルや家族連れでどこも賑わっていた。


 歩き疲れたところで、二人でカフェに入った。

 窓際の席でコーヒーを飲みながら、来年の授業の話や、「初詣どこに行こうか」なんて他愛ない会話を交わす。


 日葵は時折、嬉しそうに笑ってくれた。

 その笑顔を見るたび、心の奥がじくじくと痛んだ。


「あっ、やば。三時過ぎてた」


 スマホを見た日葵が、慌てた声を上げる。


「そろそろ出なきゃ」


「バイトだったわね。……クリスマスイブなのに、ご苦労さん」


「日葵、ごめんな。……でも、明日の夜は空いてるから。明日、クリスマスパーティーしよ」


 どこか申し訳なさそうに言うと、日葵は微笑んでうなずいた。


「うん、楽しみにしてる」


 そう言ってくれた彼女をカフェに残し、ひとり先に店を出る。

 空気はすっかり冷えていて、吐く息が白くなっていた。


 ――ごめん、日葵。

 本当は、今日バイトなんて入ってない。

 バイト先でクリスマスパーティーの予約が入ってるなんて、最初から嘘だった。

 胸の奥がきゅっと締めつけられる。


 急ぎ足で家に戻ると、部屋のクローゼットの奥――見つからないようにしまい込んである段ボールを引っ張り出す。


 中には、スカートにブラウス。ウィッグ。コスメが詰められており、奏太は奏に変身するために着替え始めた。



 午後五時過ぎ。再び駅前のクリスマスツリーへ向かうと、

 そこには、既に凛が立っていた。


「ごめん、待たせたね」


 小走りで駆け寄ると、凛は優しく首を振った。


「気にしないで。私も今着いたとこだから」


 そして目元を見て、すぐに気づいてくれた。


「あっ、今日のアイメイク、ラメ入りでかわいい」


「……気づいてくれた? ありがとう!」


 やっぱり凛は、見てくれてる。

 男だって気づく人はいるけど、こうして自然に褒めてくれるのは、やっぱり女の子同士だからなのかなって思う。


「奏ちゃん、今日なにしたい?」


「うーん……買い物行きたい! ロングのプリーツスカート、欲しくなっちゃって」


 凛はぱっと笑顔を浮かべる。


「いいね、それ絶対似合うよ。奏ちゃん、身長高いし、スタイルいいからロング丈もバッチリだと思う」


「ほんと? 嬉しい……」


「だったら、あのお店がいいかな」


 そう言って、凛は自然な動作で私の手を取った。

 ぎゅっと握るでもなく、でも確かに、温かくて柔らかい感触に幸せを感じる。


◇ ◇ ◇


 お気に入りのスカートを見つけて、凛と笑いながら街を歩いた。

 イルミネーションに照らされる帰り道、他愛もない話すら特別に感じられて、手をつなぐのも自然だった。

 幸せな余韻のまま、ふたりは寄り添うようにして奏太の部屋へと戻ってきた。


 ──しかし、階段を上がり部屋の前に立った瞬間、その空気は一変した。

 ドアの隙間から漏れる光。玄関の照明が、点いている。

 凍りついたような感覚に襲われながら、そっとドアを開けると、見覚えのある黒のショートブーツが、そこにあった。


「奏太、バイトお疲れさん♪」


 明るい声とともに、玄関先に現れたのは日葵だった。

 そして彼女の視線が、奏太の後ろに立つ凛の姿を捉えた瞬間――時間が止まった。


 ──三十分後。


 部屋の中は、感情の爆発を終えた静寂に包まれていた。

 目の前には、怒鳴り合いに疲れ果てた二人の女性。

 殴り合いこそしなかったものの、言葉という名の刃でお互いを容赦なく斬りつけ合っていた。


「私の方が先に奏太と付き合ってたんだから!この泥棒猫!」

「何よ。浮気される方が悪いんでしょ!」

「それに、奏太を女装させて喜んでるとか、最低じゃない。可哀そうだと思わないの?」

「可哀そう?奏ちゃんはね、自分でスカート選んで、楽しそうにしてたの。あんたよりずっと奏ちゃんのこと、見てるんだから!」


 普段は口数の少ない日葵がここまで激しく感情をぶつけるなんて、想像もしていなかった。

 一方の凛も、いつもの余裕をかなぐり捨てて本気の口撃を繰り出している。

 奏太はただ、声をかけることもできず、唇をかみながら二人の応酬を見守ることしかできなかった。


 ようやく呼吸を整えたふたりの視線が、同時に奏太に向けられる。


「奏太。私と、この軽そうな女。どっちを選ぶの?」

「奏ちゃん。私と、この地味でネクラな女。どっちを選ぶの?」


 視線と感情が交差する中で、奏太はついに、逃げることのできない選択を迫られていた――。

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バレたら修羅場!? 女装したらモテすぎて二股かけちゃった件 葉っぱふみフミ @humihumi1234

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