第6話「語られぬ痛み」

訓練の後、星班(せいはん)の三人は、組織の寮の一角にある共有スペースに集められていた。

窓から射し込む夕陽が、床に長く影を落としている。


拓弥(たくみ)「ふぅ、やっと落ち着いた感じ?」


ソファにごろんと横になる拓弥の隣で、蝶嬢(あげは)は窓辺に立ち、静かに外を見ていた。

鬼憑(きよ)は壁際に背を預けたまま、無言で腕を組んでいる。


緋聖(せいと)の声がどこかの部屋で響いたあと、しばらくして沈黙が流れる。三人とも、視線は交わさないまま、それぞれの思考に沈んでいた。


蝶嬢はそっと目を伏せ、夕陽に照らされた床の影を見つめる。

小さく息を吸って、ぽつりと問いかけた。


蝶嬢「……ねえ、いつからだった?」


唐突な問いに、拓弥が首を傾げる。


拓弥「ん? なにが?」


蝶嬢「力を持った“きっかけ”」


一瞬、空気が重くなった。


鬼憑「……何のつもり」


蝶嬢は答えない。視線は、夕陽に照らされた空の一点を見つめていた。


拓弥「アタシは……村でちょっとやらかしてさ。森で獣としか喋ってなかった時期がある」


蝶嬢「……獣?」


拓弥「うん。あいつらとなら、言葉なんかいらなかった。目が合えばわかったし、隣にいるだけで安心できた。……今のほうが逆に難しいかもね、人間って」


一瞬だけ視線を外し、また戻す。


拓弥「……昔、アタシのせいで傷ついた奴がいたんだ。だからもう、あんな想いはさせたくないって、今も思ってる」


そう言って、照れ隠しのように笑った。


鬼憑は黙ったまま、少しだけ目を細めた。

蝶嬢がそっと鬼憑の方に目を向ける。


蝶嬢「あなたは?」


鬼憑「……器になったのは、自分の意思じゃない。……でも、選んだのは僕」


ほんのわずかに間を置いて、続けた。


鬼憑「誰かを守るためだった。だから……それ以外の理由なんていらなかった」


それだけを呟いて、鬼憑は視線を外した。


蝶嬢はそれ以上問いかけず、ただ頷いた。


蝶嬢は少しだけ目を伏せ、唇をかすかに噛んだ。

躊躇うように、でも確かめるように言葉を落とす。


蝶嬢「……私も、覚えてる。あの夜のこと」


空気がまた変わった。

蝶嬢の声がかすかに震えていた。


蝶嬢「気づいたら、視界が真っ白にかすんで……何も見えなかった。でも、音だけは鮮明で。叫び声と、虫の羽音と──消えていく人たちの……静けさ」


拓弥は黙って、蝶嬢の言葉を聞いていた。

鬼憑も、わずかに顔を上げていた。


蝶嬢「私は、あのとき……自分の力で、すべてを壊した。止めることも、叫ぶことも、逃げることもできずに」


その手が、無意識に胸元を押さえていた。


蝶嬢「だから……今度こそ、止めたい。壊す力じゃなく、守る力にしたい」


夕陽がゆっくりと沈んでいく。


拓弥「……なら、アタシたちも一緒に背負うよ」


鬼憑「……過去を語ることが強さになるなら、お前はもう十分強い」


その言葉に、蝶嬢が目を丸くした。


鬼憑「ただ、同情はしない。お前も、アタシたちも──これからを選ぶだけ」


蝶嬢は、静かに頷いた。


蝶嬢「うん……そうだね」


沈黙が、以前よりも柔らかくなっていた。


三人の影が、夕陽に照らされて、少しだけ近づいた。


そのとき、後ろの扉が静かに開く音がした。


緋聖「ようやく、互いの声を聞く気になったか」


三人は一斉に振り返る。だが、緋聖の声はどこか柔らかかった。


拓弥「……聞いてたの?」


緋聖「見守っていただけだ」


鬼憑「盗み聞きと変わらない」


緋聖は口元にうっすらと笑みを浮かべた。


緋聖「心の距離を測るのも訓練のうちだ。よくやったな」


蝶嬢は、ふと緊張をほどいたように小さく息を吐く。


拓弥「じゃあ、そろそろご褒美とかないの?」


鬼憑「……子どもか」


蝶嬢はふっと息をつき、少しだけ微笑んだ。

長く張り詰めていた空気が、わずかに緩む。


蝶嬢「……良かったら、うちに来ない? 兄が夕食を用意してくれてるの。けっこう料理上手なんだ」


拓弥「え、マジで!? 行く行く!」


鬼憑は一瞬だけ迷ったようだったが、やがて無言で頷いた。


緋聖は小さくうなずくと、背を向けながら一言添えた。


緋聖「……仲良くするのは悪くない。俺は悠誓と話があるから、先に行く」


そのまま静かに歩き出す緋聖の背を、三人は順に追っていった。


夜の帳が降りる頃、三人は蝶嬢の屋敷へと足を踏み入れた。

石畳を抜け、重厚な木の門をくぐると、庭先には手入れの行き届いた植栽が並んでいる。


拓弥「……ほんとに住んでんの?ここ」


鬼憑は何も言わず、足を止めて屋敷を見上げた。


蝶嬢「ただの家だよ。兄たちが守ってくれてる」


静かに開いた玄関の奥から、ふんわりと出汁の香りが流れてくる。

それは、どこか懐かしいような、優しさに満ちた空気だった。


「おかえり、蝶嬢」


奥から現れたのは三男・晴翔(はると)だった。

白いエプロン姿のまま、にこやかに二人を迎える。


晴翔「お客さんだね。夕飯、すぐ出せるよ。着替えるなら案内するから」


蝶嬢「ありがとう、はる兄。──二人とも、入って」


中へ通されると、温かみのある灯りが天井を照らし、広間にはすでに食事の支度が整えられていた。

炊き込みご飯に、鶏団子の味噌汁、季節の野菜の煮物と焼き魚が並ぶ。


拓弥「うっわ……これ全部、手作り?」


晴翔「もちろん。お腹、空いてるでしょ?」


鬼憑は無言のまま席についたが、どこか落ち着いた表情を浮かべていた。


蝶嬢「……はる兄、そういえば──他の兄さんたちは?」


晴翔「うん、来るよ。玲央たちはちょっと遅くなるって。静夜は、たぶんまた書斎にこもってるかな。みんな後で来るから、気にせず先に食べてて」


拓弥「……マジで?兄弟、そんなにいるの?」


蝶嬢「うん、六人兄妹だよ。ちょっと多いけど……みんな優しいの」


晴翔「まあ、にぎやかって意味では困らないかな」


鬼憑「そんなにいて、よくケンカにならないね。……うちは喧嘩ばっかだよ」


拓弥「ま、喧嘩するほど仲がいいって言うし? ぶつかるのも、家族ならじゃない? ……まーアタシは一人っ子だけど、ははっ」


蝶嬢はふわりと微笑んで、そっと箸を取った。

蝶嬢「……食べよっか」


三人は顔を見合わせ、うなずく。


蝶嬢、鬼憑、拓弥──三人は声をそろえて、静かに言った。


「いただきます」


この夜だけは、誰も戦わず、誰も苦しまない時間だった。 そして、その小さな平穏が、三人の胸の奥に静かに灯っていく──

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