五・四 古物市の商人(アーレルサイド)
アーレルは木漏れ日の下、太い幹にもたれて腰を下ろしていた。
石畳に揺れる葉の影と、ざわめく市場の音を、彼女はじっと見つめていた。
その静けさを破ったのは、擦れた靴音と、古びた上着のすそを揺らす男の声だった。
「おやおや、お嬢ちゃん。祭りのまっただ中で、お留守番とは気の毒なことだね」
男はシルクハットをかぶり、上等に見える服を着ていた。
だがよく見れば、服にはほつれがあり、帽子には穴が空いていた。
「ふふ、見る目があるね。これは元は上等な帽子だったのさ。だがね、ある日ふと思ったのだよ。頭の中身が変わったなら、かぶるものも変えるべきじゃないかって。だから服も靴も……みんな、古物と取り替えたのだ」
男は笑いながら、剥がれかけた靴のかかとで地面を打ち鳴らした。
「気をつけるといい。こうしてのんびりしてる間に、時間と老いを交換されてしまうかもしれないぞ」
そう言い残し、彼は人波に混じって去っていった。
どうやら市場の催しが始まったらしく、広場の人々は一斉に中央へと流れはじめていた。
•
人混みが引いた後、アーレルは静かになった露店をひとつ覗き込んだ。
そこでは飲み物が売られていた。黄金のコップ、ガラスのコップ、そして木のコップ──
いずれも同じ大きな樽から注がれていたが、値段はまるで違った。
店主は、暇そうにアーレルを眺めていた。
「どれが一番おいしいと言われるよう?」
「ん? そりゃあ、この黄金のやつさ。見栄えがするからね。他人にどう思われるかってのが、味に一番効く調味料なのさ」
「じゃあ、手で飲んだら?」
アーレルは、両手でそっと器を作ってみせた。
「……あっはっは! 子どもってやつは、時々とんでもないことを言うなあ。そんなの、ただの水汲みじゃないか。こりゃあ、金なんて取れるもんじゃない。ほら、いくらでもくれてやるよ」
「ううん。ただ聞いてみたかっただけだよう」
アーレルは店主の笑い声を背に、他の露店を静かに歩いた。
その足元から、ふいに声がする。
「面白いことするんだね」
見下ろすと、影の中からにゅるりと黒い人型が這い出してきた。
──シェードだった。
「あなたの影の中って、あったかいんだよ。だから、ちょっと居させてもらってる」
「取っていかないなら、いてもいいよう」
ふたり──いや、アーレルとその影に宿るもう一人──は、連れ立って市場を歩いた。
•
一枚の風呂敷に絵画を並べる男がいた。
アーレルはその前で立ち止まり、じっと一点を見つめた。
「見る目があるねえ。若い子が古いものに触れるのは、立派なことさ。ほら、この虫食い痕! いかにも“本物”だろう?」
「この人、嘘ついてるよ!」
シェードの声がぴょこんと飛び出す。
男はぎょっとして辺りを見渡した。
「な、なんだ? 今の声は……誰だ?」
「影の中から喋っているよう」
アーレルが言うと、男は帽子を押さえてふらふらと後ずさった。
「そ、そうか……とうとう俺もバチが当たったんだ……。いやね、わかってるだ。これが全部“本物”なわけがない。だがな、それを欲しがる奴らがいるんだよ。あいつらは中身なんかどうでもいいんだ。“古そう”なら、なんだって喜ぶ。だから、少し細工してやって……“味”をつけてるだけさ」
「怖いなら、やめたらいいよう」
アーレルのひとことに、男は口を噤んだ。
どれだけ情熱を込めても、それがただの“演出”だとしたら。
買う側も売る側も、それを茶番と知っているとしたら──
彼は沈黙の中で、しばらく遠くを見つめていた。
•
再び木陰へ戻ると、シェードがひょっこり姿を現した。
「手、触ってもいい?」
アーレルが黙って差し出すと、彼女は嬉しそうに指を絡めてくる。
手を振ったり、自分の胸に当てたりして、はしゃいでいた。
「ねえ、いないかなあ。もしかして──いるかも?」
アーレルは催しから戻ってきた人々を見渡した。
「もっとあったかい人がいるかもしれないよう。……あのあたりの人の影はどう?」
だが、シェードは試しに影の中に入ってみようとした。しかし、何度挑戦しても、うまく入り込めなかった。
「おかしいな……この人の影、すごく薄くて、奥行きがない……」
アーレルは気づく。
──それは朝、町で見かけた“同じ鉢巻”を巻いた人たちだった。
「ねえ、どうしてあの人たちの影、入れないのかな」
「きっと、もともと“自分の影”じゃないのかも。貸し出された影とか。偽物のシルエットって、居心地悪いよ」
その言葉に、アーレルは息を飲んだ。
──影は、本来“その人だけのもの”であるはずなのに。
•
そのとき、ふいに後ろから声がかかった。
「アーレル、だいぶ待たせちゃったね」
スワローだった。
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