五・三 二人の合流と再度の別行動

 「アーレル! 遅くなってごめんね! ちょっと邪魔が入っちゃったんさ!」

 夕暮れの広場にスワローの声が響いた。

 待っていたアーレルが顔を向けると、その後ろからあの騒々しい少女が腕組みをしてついてきていた。

 「邪魔って何よ!」

 ウェルシーは大声でそう叫んで、スワローを睨みつけた。

 「でも大丈夫。今夜寝られそうな場所は、ちゃんと見つけたんさ」

 スワローはほっとしたようにアーレルに目配せするが、ウェルシーは肩をすくめて首を振る。

 「ちょっと待ちなさいよ。寝る場所がないの? しょうがないわね。うちに泊めてあげてもいいけど……」

 言葉に続いてきたのは、彼女らしい条件だった。

 「うちのパパがいつも言ってるの。“楽しい気持ちよりも、笑うことが大事”。笑ってるから、楽しくなれるんだって! だから、泊まりたいならとにかく笑ってなさいよ。どんな顔してても、私がくすぐって笑わせてあげるから!」

 威勢よく手をわきわきと動かして近づく彼女に、アーレルは小さく一言返した。

 「くすぐってもいいよう。でもその前に、グーでぶつ」

 その言葉に、ウェルシーの手が止まった。

 「……ちょっと怖いわね、あなた」

 スワローは苦笑しながら、そっとアーレルの手を引いた。

 「僕たちは、もう寝床を見つけたんさ。今夜は、そこに泊まる。無理に笑うのは、よくないと思うから」

 二人が背を向けて歩き始めると、ウェルシーが叫んだ。

 「明日この広場に来なさいよ! 来なかったら承知しないんだから!」

 返事はなかった。

 夕闇の中、ふたりの影が重なり合い、ゆっくりと一つに溶けていった。

 空き家の中は、ひんやりと静かだった。

 ボーンから託された小さなランプの灯りだけが、闇を柔らかく照らしていた。

 二人はそれぞれに見聞きしたことを語り合った。

 アーレルの言葉は少なく、スワローの話は時折飛び跳ねるように断片的だったが、不思議と会話は噛み合っていた。

しばし沈黙のあと、スワローがふと尋ねた。

 「アーレルは、あんまり笑ったりしないね?」

 「うん。でも……」

 そこまで口にして、アーレルは続きを言わなかった。

 スワローは、それで十分だった。

 彼らは空き家の片隅にちょうどよい背もたれを見つけて、互いの布を毛布代わりにしながら、肩を並べて眠りに落ちた。

 まだ空が青白むばかりの明け方。

 アーレルはそっと目を開け、眠っているスワローを起こさないように外に出た。

 町は静かで、石畳に足音だけが響く。

 空気は澄みわたり、風は地上の埃を吹き上げることなく、やさしく頬を撫でた。

 ふと、往来に落ちた一枚のハンカチが目についた。

 拾い上げて見ると、奇妙な記号が記された布だった。無造作に見えて、何かの印のようにも思えた。

 やがて、通りの向こうから男女がやってきた。額に同じ模様の布を巻き付けている。

 「おや、同志よ。ちゃんと頭に着けてくれないと、見分けがつかないからね」

 アーレルが会釈をすると、二人は何事もなかったかのように通り過ぎた。

 アーレルは不思議に思って、ハンカチをもとあったところに落とし、落とし主がやってこないかこっそり観察することにした。

 そしてしばらくすると、一人の男が歩いてきて、落としたハンカチを拾い上げた。

 「ふぅ、よかった。これがないと、誰が同志だかわからない。まったく、人間なんてみんな似たり寄ったりで……今日の任務も楽な話さ」

 布をきゅっと額に結びつけ、男は軽やかな足取りで去っていった。

 アーレルは、石畳のすき間に残る風の気配を感じながら、じっとその場に佇んでいた。

 ──みんなが同じような顔をして、同じ布を巻いて、同じように通り過ぎていく。

 その“均質さ”が、どこか薄ら寒かった。

 空き家へ戻ると、ちょうどスワローが目を覚ましたところだった。

 二人は互いの毛布をそのままマントのように羽織り、身支度を整えた。それからスワローも身支度を整え、ポケットから金貨を取り出すと、ぼそりと呟いた。

 「昨日は、古物市のこと楽しみにしてたんさ。でも、なんか気分が乗らなくなっちゃった」

 「どうして?」

 「僕、ずっと思ってたんだ。食べるって、ただ消えていくみたいでイヤだなって。でもさ、どんどん作って、食べきれなくて余るのも、それはそれで……。僕の食べるものは腐らないけど、余りすぎたら、捨てることになるのかなあって……そしたら、僕も、捨てちゃうのかなって……」

 言葉の終わりは、霧のようにほどけた。

 スワローの眉は困ったようにひそめられ、指先が金貨をつまんで止まっていた。

 アーレルは、その顔をじっと見つめてから、ポケットから一枚の金貨を取り出して空に投げた。

 金貨はくるりと弧を描いて落ちる前に、スワローの口がぱくりと開き、それを飲み込んだ。

 「やっぱりおいしいよ!」

 それは、疑問に蓋をする笑顔ではなく、答えを延期する笑顔だった。

 ふたりは広場へと向かって歩き出した。

 すでに市は始まっており、昨日の閑散とした空気とは打って変わって、賑わいが町を包んでいた。

 並木道の木陰に腰かけ、マーネットが来るのを待っていたところ──

 「来たわね!」

 声の主は、もちろんあの少女だった。

 「今日の市はあたしが案内してあげるんだから! 断ったら承知しないんだから!」

 アーレルはそっと首を横に振った。

 「人混みは苦手」

 スワローも苦笑しながら後ずさったが、結局、片腕を取られてずるずると引きずられていった。

 「アーレル! すぐ逃げ出して戻ってくるからね!」

 「まったく! あんたのせいで、あたしは見るだけになっちゃったんだから! 責任取りなさいよね!」

 アーレルは再び一人になって、影を落とす並木の下で座っていた。

 風が木々の間を吹き抜け、太陽が葉を透かして揺らいでいた。

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