五・五 フライズオーの演説(スワローサイド)
「ねえ、見てよ! 大昔のお金が売ってるわ!」
ウェルシーが元気いっぱいに露店へ駆け寄る。
その腕を引かれて、スワローも一緒に棚を覗き込んだ。
そこに並べられていたのは、スワローにとって馴染み深い銅貨。
いつもおいしくいただいている、あの金属だった。
「でも、ちょっと高いわね。これで金貨十枚よ?」
「えっ……金貨と交換しちゃうの⁉」
スワローにとって、金貨は貴重な味のする食べ物だった。
銅貨と交換できるとは思えなかったし、その比率に戸惑いすら感じていた。
「味覚って……人によって違うもんだよね?」
「味覚? ああ、そうだったわね、スワロー君は“食べる”んだったわね、こういうの。でも普通の人は食べないのよ」
「じゃあ、どうするんさ? 食べないのに、どうして大事にするの?」
「決まってるでしょ。金貨があればなんだって買えるんだから。パンでも宿でも、他人の時間でもね」
スワローは言葉に詰まった。
ふと、朝のことが思い出された。アーレルが自分に金貨をくれたこと。
あの金貨があれば、宿に泊まれたのかもしれない。でも、自分が「食べたい」と言ったから、そうしてくれたんだろうか?
•
スワローは考え込みながら、ウェルシーに手を引かれるまま、にぎやかな一角へと進んでいた。
気がつくと人々の視線が、仮設の壇上に集まっていた。
その中心に立っていたのは──昨日見た巨大なハエ、フライズオーだった。
鈍く震える羽音が広場を包み、彼の甲高い声が群衆を揺らした。
「人間の皆様は、わしらを食わぬと申す! だが、わしらは腐ったものなら何でも食うのだぞ? 人間も例外ではない! これはつまり──人間よりわしらのほうが、上ではないのかね?」
「なによ、それ! あんたなんかただの汚らしい物乞いじゃない!」
ウェルシーが怒鳴った。
広場にはヤジが飛び交い、笑い声と罵声が混ざり合っていた。
「いいか、聞け! 人間は動物を食い、木の実を食い、それで“偉い”というならば……なぜ、わしらを食おうとしない? 人間を食う我々は、同じく捕食者なのだぞ?」
ハエたちがブンブンと飛び交い、壇上に皿を運び出した。
その上には、丸々と肥えたウジ虫が、うねうねと蠢いていた。
「これは、我が子らよ。今夏はあまりに食料が豊富で、子が増えすぎた。共食いもできぬ我らは、処理に困っておるのだ。どうか人間の皆に、お願いしたい──彼らを“食べて”くれんかね?」
群衆はどよめき、戸惑いと嘲笑が交錯した。
「こっちがお願いしたいわよ! 冗談じゃない!」
ウェルシーの怒気は頂点に達し、勢いよく壇上に駆け上がった。
群衆が「食ってやれ!」と騒ぐなか、彼女はウジ虫を一匹、ひょいとつかんで口に放り込んだ。
「……あら、意外とおいしいわね!」
その一言で、会場が一気に動いた。
好奇心と興奮の波が押し寄せ、人々が壇上へ群がりはじめた。
フライズオーは満足げに羽を震わせた。
十分な数のウジ虫が用意されていたらしく、誰もが手にし、口に運んだ。
スワローは、その光景を遠巻きに見つめていた。
誰かが吐きそうな顔をしながら笑っていた。誰かが誇らしげに皿を掲げていた。誰かが食べながら涙を流していた。
──まるで、何かの“儀式”のようだった。
「……アーレルのところへ、戻ろう」
その場から離れ、人混みに背を向けた。
去っていく背に、誰も気づかなかった。
•
並木道の影に戻ったとき、アーレルはそこに座っていた。
木漏れ日のなかで彼女は顔を上げ、スワローに微笑む。
「アーレル、待たせちゃったね」
日差しがふたりを照らし、足元に影を落とす。
その影がすっと揺れた気がして、スワローは一瞬、誰かが入り込んだような気配を感じた。だが、それよりも言葉が先にこぼれた。
「……ねえ、アーレル。思ったんさ。アーレルが笑わなくて、難しそうな顔してるのって、たぶん“難しいこと”を考えてるからなんだよね?」
アーレルは静かに、スワローの瞳を見つめ返した。
「だからさ。もしそうなら、僕も一緒に考えたいんさ。……よかったらだけど」
アーレルが口を開きかけたそのとき──
「よかったわ、ちゃんと二人に会えて」
マーネットの声がした。
彼女は右目に眼帯をして、少しだけ足取りを引きずるように近づいてきた。
「……マーネット、目になにかつけてるよ。どうかしたの?」
「気にしないで。ちょっと、ね」
彼女は曖昧に笑い、空を見上げるように言った。
「……なんだか、今日は空気が変なの。広場の市も、ずいぶん様子が違っていたわ。……もう、行きましょうか」
「市は、見ていかなくてもいいよう?」
「ええ。もう、必要がなくなったの」
その言葉には、ほんの少しの寂しさが滲んでいた。
•
三人は並んで、ゆっくりと山道へ向かって歩き始めた。
マーネットの歩き方がどこか不自然になっていることに、スワローもアーレルも気づいていた。
けれど、彼女は語ろうとはしなかった。
それならば──と、ふたりもまた、何も訊かずにそばを歩いていた。
森のなかに入ると、風が枝を揺らし、どこか遠くで湧き水の音が響いていた。
アーレルは振り返り、陽の差す町をひととき見やってから、また前を向いた。
その背には、ふたり分の影が重なっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます