第2話 紅く染まる世界
翌朝。
私の席の前に座っている、友達の
「花菜、どうしたの。目のサイズが半分になっているんだけど」
確かに瞼が重く腫れている。一晩中泣き続けたせいだ。でも、いくらなんでも「目が半分」はおおげさだ、たぶん。
「うん、ちょっとね。昨日、駿君と」
駿君と、別れたんだ。
その言葉を口にしようとすると、また、腫れぼったい瞼が熱くなる。莉沙は自分のお弁当に乗せていた保冷剤を取り出してハンカチで包み、渡してくれた。
「これ、ちょっと溶けちゃっているけど冷たいからさ。目に当てると気持ちいいと思うよ」
言われるがままに保冷剤を目に当てる。ひんやりとして心地よく、瞼がキュッと引き締まる感じがする。
莉沙は私の机に肘をつき、顔を覗き込んできた。
「如月君と、なにかあったんだ」
彼女は無理に瞼の理由を訊いてきたりはしない。それでも心の中に抱え込んでいた思いを吐き出したくて、昨日あったことをぽつぽつと話した。
話していると瞼が熱くなる。それを保冷剤でぎゅっと押さえつける。話していくうちに、不思議と少しだけ心が軽くなる。
話し終わると、莉沙は「はああっ⁉」と大きな声を上げた。
「何それ。『別れたい理由もないし好きだけど別れよう』って、意味わかんないんだけど。てか、ずるくない? なんか自分が悪者になりたくないからって、変に優しくして格好つけているみたいなんだけどっ」
「や、別に、そういうわけじゃないと思うよ……」
なぜか彼をかばうようなことを言ってしまう。彼女はバン、と机を叩いた。
「如月君、もっといい人だと思っていたのに。ああもう、こうなったら今度書く長編の悪役の名前、キサラギにしちゃおうかな。いや、短編ホラーの舞台をきさらぎ駅にするか」
「ちょ、ちょっとやめてよう。莉沙の小説、『カクヨム』でめっちゃ読まれてるじゃん。読者に駿君が嫌な人だと思われたくないよ」
莉沙は文芸部で、小説投稿サイトにもたくさん作品を発表している。しかも結構な人気作家なので、彼女が「キサラギ」という名の悪役を書けば、多くの人が「キサラギ」に悪感情を抱くだろう。
そんなの嫌だ。駿君を悪く思われたくない。想像するだけで胸が痛い。
彼女はフッと微笑み、私の頭に手を置いた。
「そうだよね。ごめん、そんなことしないよ。でもこのまんまじゃ花菜の気持ちが整理つかないよね。今日、ちゃんと別れたい理由を聞いてきな。怒ったり悲しんだりするのは、それからでもいいと思うよ。だから今はとりあえず目を冷やそ」
A駅は私の学校と駿君の学校のちょうど中間地点にある。小さな駅で周辺に店もあまりないが、待ち合わせに便利なのでよく利用していた。
リュックからプレゼントを取り出す。中身はカランダッシュのシャープペンだ。
私が普段使っているシャープペンが何本買えるんだろうという値段だったが、頑張ってみた。もっとも、お金持ちなうえに物欲がない駿君が喜んでくれるかはわからない。
それでも、長く駿君に寄り添えるものを贈りたかった。
高校生になるまで仲良くいられた私たちなら、これからもずっとずっと一緒にいられると思ったから。
五分くらいすると、パラパラと人が改札に向かってきた。
その中に駿君がいた。彼は私と目が合うと、曖昧に微笑んで改札を通った。
小走りで私のもとへ来る。私が口を開く前に彼が声を掛けてきた。
「ごめん、花菜。待たせちゃって」
彼の声を聞いて胸がぎゅうっと苦しくなる。
低く穏やかな声。その声が私と同じくらい高かった時から、私は彼が好きだった。
いや、好き「だった」じゃない。
過去形なわけがない。
口角を上げ、目を細めて笑顔を作る。自分でラッピングしたシャープペンを差し出す。
「ううん、全然。駿君、お誕生日おめでとう。はいこれ」
「あ、ありがとう」
戸惑うような様子で受け取る。彼が包みを開けようかどうしようかともたもたしている間に、大きく息を吸い込んでお腹に力を入れた。
「ねえ、駿君。最後に一つだけ教えてほしいの」
自分が発した「最後に」の言葉が頭に響く。彼は動きを止め、私を見た。
「どうして別れたいと思ったの。私は理由をきちんと聞きたい。それがどんなにひどい理由でもいい。好きな人が出来た、でも、私の性格が嫌になった、でも、家柄が釣り合わない、でも、なんでもいい。とにかく理由をはっきり聞いて、私の中でけじめをつけたいんだよ」
人通りの少ないA駅周辺が、夕方のオレンジ色に光っている。俯く駿君の髪の毛を、金色の光が縁取っている。
彼はしばらくそのままの姿勢で動かなかったが、やがてかすれたような声を出した。
「……言えないんだ、どうしても」
「なんで。でも理由はあるんでしょ」
「うん。でも、どうしようもないんだ。俺がどんなに花菜のことが好きでも、いや、好きだからこそ、別れないとって。俺は花菜のそばにいるべきじゃないって」
「なんでよ。わかんないよ。そばにいるべきじゃない、って、駿君、何か問題を抱えている、とかなの。えっと、まさか、病気とかかな。それなら私、支えたいんだけど」
「そうじゃない。そうじゃないんだけど、本当、ごめん」
「な、に……それ」
胸の痛みが声に混ざる。
意味わかんない。「私のため」みたいな言い方をしているけど、駿君のことが好きな私の気持ちは全然考えてくれていないじゃないか。こんなことなら、いっそ「嫌いになった」とでも言ってくれたほうがいいくらいだ。
怒りと悲しみが固くより合さったような感情が、胸と頭を駆け巡る。
なんなの。なんなの一体。こんな気遣い、いらない。好きなのに理由も言わずに別れるとか、納得いかない。
私には、どんなことでもまっすぐぶつけてほしかったし、私は何でも受け止めるつもりだったのに。
ぷつん、と頭の奥で何かが切れるような音がした。
オレンジ色の光に満ちた風景が、インクをたらしたようにじわじわと紅く染まっていく。
体が熱い。駿君が目を見開いて私を見ている。彼の顔も、髪も、制服も、何もかもが紅く染まる。
その時、ファストフード店が入ったビルの向こうから、黒い影のようなものが私めがけて飛んできた。
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