クルースニクの恋人〜溺愛彼氏が吸血鬼ハンターになったので、一緒に戦うことにします!〜

玖珂李奈

1.別れから始まる、秘密の関係

第1話 突然すぎる別れ

 言われたことが一瞬理解できず、思わず変な声が出た。


「えっ……なに?」

「ごめん、花菜はな


 彼は深く頭を下げた後、私の目をじっと見つめた。


「別れて、ほしいんだ」


 そして目を逸らし、俯く。


 「別れる」

 その言葉が意味することは、彼の瞳が語っている。それでも私の頭の中は、理解することを必死になって拒絶している。


「なん、で」


 ありえない。信じたくない。そんなこと、あるわけがない。


「ねえ。私、なにか駿しゅん君に失礼なことしちゃったかな」


 心は拒絶しているのに、声は真実を目の前にして怯えたように震えてしまう。


 私が彼、如月きさらぎ 駿しゅん君とつきあい始めたのは、小六の終わり頃。出会いは中学受験の塾だ。

 それから三年半、学校は別々だったけれど、ケンカらしいケンカもしたことなく、ずっと仲が良かった。

 良かったと、思っていた。


 だから今日だって、いきなり駿君から「話がしたい」というLINEをもらって、私が住んでいるマンションのロビーで待ち合わせることになった時は、嬉しくて嬉しくてしょうがなかったのだ。

 それなのに。


 私の言葉を受けて、駿君は大きく首を横に振った。


「ううん、何もしていない。花菜は何も悪くないんだ。だから本当、ごめん」


 その強い口調から、彼が嘘を言っていないことがわかる。

 それならばどうして。

 拳を握りしめ、唇を嚙む。


「じゃあ」


 自分のつま先を見ながら言葉を絞り出す。


「他に好きな人ができたの?」


 言いながら目頭が熱くなり、鼻がつんと痛くなる。


 駿君が誠実な人なのはわかっている。だけど彼に惹かれる女の子は多い。その中には、私よりかわいい子なんて山ほどいるだろう。


 彼氏だから、とか関係なく、多分誰が見ても駿君は格好いい。彼が共学校に通っていたら、少女マンガみたいなファンクラブができた気がする。

 今だって、よくある白いシャツの夏服姿なのに、ロビーのオレンジ色の照明から浮かび上がるように光っている。


 顔を上げ、駿君を見る。彼は少し眉をひそめた。


「そんなわけない」

「でも、私のこと嫌いになっちゃったんでしょ」

「違う!」


 突然の大声に、思わずびくりとすくんだ。近くでベビーカーを押していた女の人が、「わあっ」と声を上げる。

 彼の瞳が私を捕らえた。


「俺が花菜を嫌いになるわけないじゃないか」


 シャツの胸元を強く掴んでいる。

 何かを握り締めるように。


「花菜のことは好きだよ。それは変わらない。っていうか、毎日毎日どんどん好きが大きくなっていく。だから……いや、これはもう、俺が悪いんだ。それだけなんだ」


 がばりと腰を90度に折り曲げて頭を下げる。


「だから、ごめん。今まで本当に、ありがとう」




 気がついたら自分の部屋に戻っていた。

 別れを告げられてから、どうやって部屋に戻ったのかわからない。夏の余韻を色濃く残した夕焼け色が、生温い風と共に室内を満たしている。

 キッチンからいい匂いが漂ってきた。確か今日は私の大好物、特大ロースカツカレーだって母が言っていた。

 それなのに、カレーの匂いがなんだかとても悲しくて、匂いがお腹の中に入ってくるたびに、しくしくと涙があふれ出す。


 どうしてこんなことになっちゃったんだろう。

 なんで別れたいって思ったんだろう。

 わけわかんない。いっそ「嫌いになった」とか「他に好きな人ができた」とか言ってくれたら、心おきなく怒ったり悲しんだりできるのに。

 別れ話の最中に「好き」なんて言われたら、私の心はどうしたらいいのかわからないじゃないか。


 ベッドの上に突っ伏す。

 髪の毛が頬をくすぐる。


 生まれつき茶色い私の髪を、駿君はきれいだと言ってくれた。良くも悪くもない平均顔の私を、かわいいと言ってくれた。

 家も学校もそこそこ離れているのに、暇さえあれば一緒にいて、楽しいねって言い合って、二人で笑って、手をつないで。


 握った拳が唇に触れる。

 キスだって、いっぱいしたのに。




 玄関のドアが開く音がする。父が帰ってきたようだ。気がつくと、空にはチラチラと星が浮かんでいた。


 ああ、今だけは切り替えなきゃ。

 父に「お帰りなさい」を言って、食器を並べて、特大ロースカツカレーを美味しそうに食べなくちゃ。

 ベッドから降り、涙やらなにやらでぐちゃぐちゃになった顔を拭く。ばん、と両頬を叩いて気合を入れた時、チェストの上に置いてある包みが目についた。

 駿君へあげるつもりだった、誕生日プレゼントだ。


 私と駿君は誕生日が二日違いだ。明日が駿君の、そして、しあさってが私の誕生日。

 よりにもよって、どうしてこのタイミングに、と涙がにじむ。


 いや、ちょっと待って。

 そうだ、このプレゼント。


 スマホを手に取り、駿君にメッセージを送る。よそよそしい文体だけど、いいや。

 このまま終わりなんて、納得いかない。理由だけははっきりさせたい。だから、せめてもう一度だけ。


『駿君へあげる予定だった誕生日プレゼントがあります。最後にこれだけ受け取ってください。明日五時半、A駅西口改札前で待っています』

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