第6話
五月下旬の週末。アストラル・アリーナ日本最高峰リーグ、「ALJ」スプリングシーズンのプレーオフ決勝戦。その熱気は、メタバース上の巨大スタジアムだけでなく、現実世界の僕、高城翔太の部屋にまで、VRゴーグルを通してビリビリと伝わってきていた。画面の向こうでは、数万人の観客アバターが地鳴りのような歓声を上げ、色とりどりのチームフラッグが波のように揺れている。解説者たちの声も、普段の冷静さを失い、明らかに興奮で上擦っていた。
「さあ、いよいよ始まります! ALJスプリングシーズン・プレーオフ決勝戦! 今シーズンの覇者を決める、頂上決戦です!」
「対戦するのは、昨シーズンの絶対王者、鉄壁の守備と組織力を誇る『ゼノ・ガーディアンズ』! 対するは、彗星の如く現れ、その圧倒的な攻撃力と予測不能な連携で旋風を巻き起こしてきた、新進気鋭の『ノヴァ・ダイナスティ』育成チーム! その中心には、もちろん、あのプレイヤーがいます!」
スクリーンに大写しにされたのは、黒と桜色の戦闘服に身を包んだ、小柄なプレイヤー——Kokemusuiwa。藤堂結月だ。隣には、漆黒のAIバディ、カブトが静かに控えている。その姿は、先日の準決勝の時よりも、さらに研ぎ澄まされ、そしてどこか神聖なオーラさえ漂わせているように見えた。
「翔太、始まるわよ! 結月さんの、歴史が変わる瞬間を見逃さないで!」
僕の隣で観戦しているミオ姉も、すっかり興奮状態だ。彼女の青い鳥ホログラムが、僕の肩の上で落ち着きなく飛び回っている。
「分かってるよ、ミオ姉。僕だって、この瞬間を待ってたんだから」
僕は、ゴクリと唾を飲み込んだ。心臓の鼓動が、嫌でも早くなる。
試合開始のブザーが鳴り響く。
序盤は、やはり王者ゼノ・ガーディアンズが、その老獪な戦術で主導権を握った。彼らは、準決勝でのKokemusuiwaの衝撃的なプレイを徹底的に分析してきたのだろう。統率されたフォーメーション、AIバディとの完璧な連携、そして何よりも、相手の動きを数手先まで読み切ったかのような、的確な状況判断。それは、まさに教科書通りの、しかし極めて完成度の高い戦い方だった。ノヴァ・ダイナスティの若いチームは、必死で食らいつくものの、徐々に劣勢へと追い込まれていく。
「やはり、経験の差は大きいか」
解説者が苦しげに呻く。スタジアムの空気も、わずかにゼノ・ガーディアンズ有利へと傾き始めた、その時だった。
「行くよ、カブト」
Kokemusuiwaの、凛とした、しかしどこまでも静かな声が、僕のイヤホンを通して響いた。
次の瞬間。
アリーナの空気が、一変した。
Kokemusuiwaとカブトの動きが、まるでギアが一段階上がったかのように、明らかに変化したのだ。それは、もはや人間の目では捉えきれないほどの、神速の領域。彼女は、まるで戦場を舞う黒い蝶のように、あるいは音もなく忍び寄り、一瞬で獲物を仕留める夜の猛禽のように、ゼノ・ガーディアンズの鉄壁のフォーメーションを、いとも簡単に切り裂き始めた。物理法則すら無視しているかのような、三次元的な機動。予測不能なタイミングでの、正確無比な射撃。
そして、カブト。彼は、もはや単なるサポート役ではない。彼は、Kokemusuiwaの魂と完全に共鳴し、彼女の思考を、感情を、そして次の瞬間に行うであろう全ての行動を、寸分の狂いもなく予測し、補佐し、そして増幅させている。それは、まるで二つの魂が一つの流れを生み出し、戦場という名の舞台で、誰も見たことのない、美しく、そして恐ろしい舞を踊っているかのようだった。
「な、なんだこれは!? ゼノ・ガーディアンズの完璧な連携が、まるで赤子の手をひねるように、いとも簡単に破られていく!」
「これが、これが、Kokemusuiwaとカブトの真の力、『カブト・レゾナンス』だというのか!?」
解説者たちも、もはや言葉を失い、ただ目の前で繰り広げられる、常識を超えた光景に絶叫するしかない。
ゼノ・ガーディアンズの選手たちは、明らかに動揺し、混乱していた。彼らが誇る鉄壁の守備も、計算され尽くした戦術も、この予測不能な「共鳴」の前では、まるで意味をなさなかった。Kokemusuiwaは、単独で敵陣深くに切り込み、カブトが敵AIバディたちの通信ネットワークを、まるで幻術でもかけるかのように一時的に掌握する。その僅かな時間差を利用して、Kokemusuiwaは、まるで雷鳴のように、相手チームのネクサス・コアへと致命的な一撃を叩き込んだのだ。
試合終了。勝者、ノヴァ・ダイナスティ。
新時代の到来を告げるかのように、スタジアムは、これまでのどんな試合をも凌駕する、割れんばかりの大歓声と、熱狂的な拍手の嵐に包まれた。スクリーンには、燃えるような文字で、「GAME CHANGER IS BORN!! KOKEMUSUIWA!!」と大書されている。
僕は、VRゴーグルの中で、しばらくの間、動くことができなかった。胸が、熱い。目の奥が、熱い。それは、単なる興奮や感動だけではない。何か、もっと根源的な、人間の、そしてAIの、計り知れない可能性を目の当たりにしたことへの、畏敬の念に近い感情だったのかもしれない。
優勝インタビュー。ステージ中央に現れたKokemusuiwaは、ヘルメット(バイザー)を外し、その素顔を、ほんの一瞬だけれど、公の場に晒した。汗で濡れた栗色の髪、少しだけ上気した白い頬、そして、その大きな瞳には、まだ激闘の余韻と、しかしそれ以上に、どこか遠くを見つめるような、深い静寂が宿っている。
彼女は、やはり多くを語らなかった。インタビュアーからの熱狂的な賞賛にも、ただ静かに頷くだけだ。
「今日の勝利は、最後まで一緒に戦ってくれたチームのみんなと、そして、いつも私を信じ、導いてくれる、かけがえのない相棒、カブトのおかげです。本当にありがとうございました」
その声は、鈴の音のように涼やかで、しかしその奥には、万感の想いが込められているのが、僕には伝わってきた。彼女の首元には、勝利と栄光を象徴する月桂樹の葉をモチーフにした、小さな銀のネックレスが、スポットライトを浴びてキラリと光っている。花言葉は、「不変」。彼女の、決して揺らぐことのない信念を表しているのだろうか。
「すごいな、本当に。彼女は、一体どこまで行ってしまうんだろう」
僕は、知らず知らずのうちに、そう呟いていた。
「翔太。彼女の今の勝ち方は、あまりにも、特異すぎるわ。まるで、ゲームのルールそのものを、彼女とカブトだけが書き換えてしまったかのよう。これは、アストラル・アリーナの歴史を変える、革命かもしれない。でも、同時に」
ミオ姉の声には、称賛だけでなく、ほんの少しの不安の色が混じっていた。
「これからは、世界中のチームが、彼女とカブトを徹底的にマークし、研究し尽くすことになるでしょうね。今日のこの栄光は、彼女にとって、もっと過酷な試練の始まりでもあるのかもしれないわ」
ミオ姉の言葉は、僕の心にも重く響いた。
Kokemusuiwa。藤堂結月。
彼女は、確かに「ゲームチェンジャー」として、アストラル・アリーナの頂点へと駆け上がった。しかし、その眩しすぎるほどの輝きの影で、彼女がこれからどんな孤独な戦いを強いられることになるのか。そして、僕自身が、その物語に、どう関わっていくことになるのか。
それは、まだ、誰にも分からない、星々の彼方の未来だった。
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