竜炎教大教会と少女アンナ

 灰の国下層中央街ローデンは、見れば見るほど異様な街だ。

 騎士団の駐屯所から離れ、ひとまず街の上層側を目指して歩いているが、歪だ。上になればなるほど建物が新しく見えるが、様式は一定のところから変わらず、ツギハギなのは下側の部分だけで、途中から統一させようとしたのが見える。

 パッチワークのような街の中央に佇むのは、巨大な塔だ。下層の天井を突き破り中層に伸びている塔の周囲を取り囲むように、鉄管と飛梁があらゆる場所からまたあらゆる場所に伸びている。

 街というには構造が複雑過ぎる。住みやすさのことなど、微塵も考えていない。むしろ、要塞や軍事施設のように見える。


 そんな街において、人々はゆったりとした暮らしをしているのだから、この国はやはり歪なのだろう。


 そんな歪な街の民家から民家の間の飛梁の真ん中で、リゼが立ち止まり、塔をまじまじと見つめ、目を輝かせている。

 そもそもなんで民家に飛梁があるのだろうか。


「あれが中層への昇降機かあ」

「どうもそうらしいな」

「あの塔の外壁に描かれてるの、古竜だよね」

「あの彫刻が正確なら、あれは古竜族のなかでも石竜だな」

「そうなの?」


 こくりと頷くと、リゼがちょこんと首を傾げて俺をまじまじと見つめてきた。

 説明を求めているのだろう。


「鱗を見てみろ、鱗が立体的に彫られているよな。そのうえ、胸のあたりには五角形の部分がある」

「あ、本当だ、あるね!」

「石竜は名前の通り、鱗が岩肌のようにボコボコとしていてな。胸には魔力を溜められる宝石が埋まっているんだ」

「へえ、硬そうだなあ」


 リゼがあくびをしながら呑気に言った。

 見た目からして明らかに硬そうだが、実際に戦ってみるとそれ以上に硬い。通常の斬撃はまず通らず、魔法も生半可なものでは受け付けない。刃に特殊な効能を持つオイルを塗り、岩肌を脆くしなければならないが、その間に大抵の人間は殺される。

 俺も戦ったことがあるのは覚えているが、なぜ戦ったのかは全く思い出せない。古竜は、大昔にこの世界の支配者だった種族であり、強大だ。加えて再生能力まで持っている。

 戦いを挑むなど、馬鹿げているのに。


「だけどなんで下層の塔に古竜なんだろうね」

「下層に竜はいないのにな」

「そもそもモンスター自体がね、全然いないよね。下層は地下だから、いてもレイスくらいじゃない? あとは毒鼠とアシッドスライムだっけ……でも生きてる人を避けるもんね」

「レイスが現れても幽霊として騒ぎになるくらいだしな」


 レイスには斬撃も魔法も通らないが、レイスの死に関わった物やレイスが生前大事にしていた物を燃やすことで消える。

 人口の少ない今の下層においては、レイスが出たとして、誰の魂が元となっているのかがすぐにわかるだろう。

 あれも本来厄介なものだが……ああ、考えていると頭が痛くなりそうだ。


「おじさん、レイスに嫌な思い出ありそうだね」

「ああ……覚えてはいないが、どうもそうらしい」

「まだ登る?」

「ああ、下層の天井付近を見てみたい」

「じゃあ、そろそろ行こっか」


 飛梁に座り込んで塔を眺めていたリゼが立ち上がり、再び歩き始めた。飛梁の対岸に行くと、また階段があり、天井に一番近い建物に繋がっている。

 俺の時代においては、下層の人工太陽の管理棟だった建物だ。今は、教会のような見た目をしている。ここに複数の飛梁が繋がっているし、この街で塔の次に大きな建物であることを考えると、重要な場所なのだろう。

 外壁には、外からでも祈れるよう、やはり像がいくつも埋め込まれている。

 だが、その像の象っている何者かは俺の知らない姿をしていた。神というより、まるで戦士だ。剣を両手で持ち、胸の前に掲げている戦士風の男の像。

 一体、何者を祀っているのか……。


「着いたね、教会!」

「ああ……」

「神様って昔殺されたのに、教会なんて少し変だね」

「まあ神はおらずとも救いは必要だからな。新たな神を人々が創造したのかもしれん」

「は~、なんだか人間って勝手だね」

「まあな」


 それにしても、先程から隠れているようで絶妙に隠れられていない男がいるな。見上げると、こちらを見下ろす男の姿が嫌でも目に入る。

 ボロボロの鎧を着て、剣を腰に差した気だるげな男だ。

 思わずため息を吐きながらリゼを見ると、彼女も俺と同じ場所を見てから俺を見てため息を吐いた。


「いつまでそうしているんだ? ハンス」


 声をかけると、男は一瞬身を硬直させた後、教会の屋根から飛び降りてきた。鎧がガシャンと音を立て、肩の装飾が外れて落ちた。炎のような形をした装飾だ。

 それをよいしょと拾い上げ、再び肩に着け直し、コホンと咳払いを一つ。


「貴公、この教会に用があるのか?」


 昨晩と変わらない口調と低めの声色だが、いまいち締まらない男だ。


「いや、観光だ」

「ほう、観光」


 正直に答えると、ハンスの目がギラリと光った。


「ここはそう面白い場所ではないぞ、貴公らよ」

「どういう場所なんだ?」

「竜の炎なぞに救いを求める愚か者共の巣窟に過ぎん……愚図共の名を竜炎教と言う」

「聞いたことがないな」

「だからこそ新興宗教なのだ」


 俺がいた時代には、宗教などは存在しなかった。英雄が悪神を殺して数十年、皆神という存在には飽き飽きしていたのだろう。

 しかし、人々はまた何かを神に仕立て上げ、それに救いを求めている。何者かに救いを求めることを愚かだとは、俺は思わん。

 古竜という一種の超常の存在に救いを求めるのは、理解できる。もっとも、人間もとうに超常の存在と言えるのかもしれんが。


 リゼは「んー」と唸って、指をパチンと鳴らした。


「もしかして、竜火薬?」

「貴公は賢者だな、リゼよ」

「えへへ」

「竜火薬……アレに救いを求めているのか、それは確かに愚かかもしれん」


 竜火薬と聞いて思い出すのは、ある中毒者の話だ。彼には生まれつき持病があり、彼の家族がそれを治すために竜火薬を持ってきた。効能の恐ろしさから規制されている違法な薬物だが、藁にも縋る思いだったのだろう。

 それを飲まされた彼は、満月の日にだけ竜人になるようになった。一時的に理性と記憶を失い凶暴化した彼は、はじめて竜人になった日、家族を殺したのだ。

 目が覚めた彼にその記憶はなく、だが家族が死んでいるということだけを理解し、それを自分がやったのであろうことも察してしまった。

 そうして人から離れて暮らすようになったが、満月の夜だけだった竜人化はいつしか毎晩になり、そして、彼は完全な竜人となってしまい、討たれることになったのだ。


 竜火薬とは、人を竜人に変える危険な薬である。不死身にはなるが、多くの竜人は人間として暮らしていたときの記憶を失い、本能のままに生きるようになる。

 この身には、どうも嫌な思い出ばかりあるらしい。


「灰入になるよりはいいって思ったのかな」

「竜人も灰入も性質はさほど変わりがないというのに、だから愚図なのだ」

「どちらも人間としての理性がない、か」

「しかしいずれにせよ、竜火薬など今の世では滅多に手に入るものではない。教会も見学だけなら危険はなかろう」

「材料が貴重だからな」

「古竜の火炎袋だもんね」


 しかも、古竜一体の火炎袋からたったの10粒しか作れない。1粒で効果が出ることもあるが、個人差があり、過去には10粒飲んだものの効果が全く見られなかったという事例もあるという。

 古竜の死骸など、滅多にあるものではない。そもそも古竜の数自体が、少ないのだ。


「どうする? おじさん」


 考え込んでいると、リゼが俺の顔を覗き込んでいた。しばらく気づかなかったらしく、ハンスがクックックと笑っている。


「正直、興味はあるな」


 宗教は、時勢を映す鏡のようなものでもある。宗教という鏡に映る人々の様子を見れば、何かわかることもあるだろう。

 俺の答えに満足したのか、ハンスは怪しい笑みを浮かべている。


「関わりを持つのであれば、お嬢さんをしかと守護してやることだ、貴公よ。そして顔を隠せるフードでも用意することだ」

「フードか……」


 なぜ、という言葉はなぜか出てこなかった。そうしたほうが良いと、心の奥底が訴えかけてきているのを感じる。

 俺の失った記憶に、理由があるのだろうが、代わりの疑問はある。ハンスはなぜ、それを知っているのだろう。


「フードかあ、あ、じゃあじゃあ! おじさんの外套貸して!」

「汚いだろ」

「汚くないよ、昨日ちゃんと洗濯しておいたしね」

「そうだったのか……じゃあ、それでいいか」

「うんっ!」


 外套を脱いで渡すと、リゼはニコニコとした顔で外套を着た。


「おっきい! あはは、手が出なーい!」


 笑いながら両手をパタパタと大げさに動かすリゼの手を取り、ポケットから出した紐で外套の袖を彼女の手首のあたりで括った。


「ありがと!」

「ああ」

「用意も済んだな。では俺はここで待っているとしよう」

「来ないのか?」

「ああ、古竜を神とし、彼を神の使いと崇める彼奴らには鳥肌が立つのでな」


 乾いた笑いを浮かべながらも、しっとりとした口調でハンスが言った。この男は、この教会の外壁に竜と一緒に埋められている像の人物を、知っているらしい。

 だが、今更全ての疑問を口に出すこともないだろう。

 この男は、秘密主義には思えない。昨日も今日も、ベラベラと聞いていないことまで喋っている。そんな男が黙っているということは、本当に言うべきでないことか、言いたくないことなのだろう。

 ならば、こちらも無理に聞かないのが作法というものだ。


「じゃあ、行こうか」

「うんっ! あ、フード!」


 リゼは慌ててフードを深く被り、「よしっ」と言って胸の前で両拳を握った。リゼにはフードも大きいらしく、目元までしっかりと隠れている。

 本人には見えているのだろうか。

 彼女の目線の位置に手をかざしてみると、手を優しく払われた。どうやら見えているらしい。


 気を取り直して扉に手をかけ、力を込めると、ギィと音を立てながら扉が開いた。


 ……驚いたな。


 目が覚めて、ここまでの人口密集度は体験したことがなかった。教会らしく奥には主神たる古竜の像があり、その前には純白のローブに身を包んだいかにも聖職者らしい男がいて、こちらを見ている。

 男は長椅子のほうを丁寧に手のひらを上に向けて指した。

 俺達は指されたほうへとゆっくり歩き、長椅子に腰をかける。隣には、退屈そうに足をブラブラとさせるボロボロの服を着た少女と、熱心に彼のほうを見る顔にシワを蓄え、少女よりもボロい服を着た女性がいる。

 親子だろうか。


 扉が開いて黙ったらしい司祭風の男が、また口を開いた。


 見渡してみると、退屈そうにしているのは俺達を除けば隣の少女だけだ。


 ひとまず彼の話に耳を傾けてみようと思ったが、内容はかなり薄い。この世界は古竜が支配し作り上げた世界であり、我ら小人は外からやってきて彼らの社会を根こそぎ奪った罪人であり、我らはカルマの落とし子である、と。

 恐れ多くも古き神に反逆した者がいた。彼の罪は未だ許されておらず、灰はその罰として我らに課せられた試練であり、乗り越えるには古の支配者である古竜との盟約を行うしかない。

 そのための手段が、この竜火薬だと。


 そんな話を、何往復もしながら語っている。


 言いながら司祭が見せている竜火薬は、偽物だ。色が薄く、炎のように揺れてもいない。

 偽物で信者を釣っているだけか。だとしても、危険だな。


 しかし……正直、ひどく退屈だ。リゼなんかは、あくびを押し殺しているのか、肩をピクピクと震わせている。まさか泣いたり笑ったりということでは、ないだろう。いくら感受性が豊かだと言っても、この話に感銘を受けるほどではないと思いたい。


 しかし、少女以外は相変わらず熱心に眼を輝かせながら彼を見て、耳を傾けているようだ。


「あ、あの」

「ん?」


 ひどく震えた声に振り向くと、声の主は退屈そうにしていた少女だった。彼女の震える手が、俺の外套の裾を縋るように掴んでいる。


「お話……いいですか?」

「ねえ、困ってるみたいだし、聞いてみようよ」

「そうだな……だがここではな」

「大丈夫、お母さん、気づかないと……思います」


 言われて彼女の母親の顔を見ると、なるほど確かにこれは気が付かないだろう。胸の前で両手を硬く組み、一心に司祭風の男を凝視している。

 娘が知らぬ男と喋っているというのに、一瞥もくれない。


「わかった」


 頷いて立ち上がり、リゼが少女の手を取った。司祭がこちらを一瞬見たが、すぐに彼は信者達のほうを向いて再び話し始めた。途中入場も退席も、特に問題はないのだろう。


 外に出ると、リゼがふうと息を吐きながらフードを取った。少女がリゼの瞳を見て、「きれい」と零していた。

 ハンスが相変わらずどこかに潜んでいるような気配がするが、まあ問題はないだろう。教会の目の前にあるベンチに腰を落とし、少女を座らせた。


「それで、どうしたんだ?」


 務めて優しい声色になるように話しかけると、少女は唾をごくりと飲み込んで、息を吸った。


「お母さんをたすけてほしい! です……」

「どういうことだ? 順序立てて話してみろ」

「もー、言い方が怖いよ?」

「えとえと、はい、がんばります」


 少女はまた息を思い切り吸い込み、詳しく話してくれた。


 彼女の名前は、アンナというらしい。彼女の家はもともと中流階級で、中層で暮らしていたそうだ。

 だが、彼女の父親は他の女を作り、彼女の母を捨てた。そうなれば中流階級でもなんでもなくなり、ただの貧乏親子でしかない。彼女らが中流階級だったのは、アンナの父親の家柄のおかげだったのだ。

 そして親子二人で下層に降りて、かろうじて中央街で生活しているのだという。家は掘っ立て小屋のような簡素なところで、母は体が弱く、旦那に捨てられたショックからか、今でも頻繁に泣き崩れるのだそうだ。

 なんとも、胸糞悪い話だ。


 少女は生活のため、街の外で中層から降ってきた廃棄物を拾って街で売り、それに付着していた浄化済みのアッシュをせこせこと集めることで生計を立てているという。

 あまりの健気さに、胸が締め付けられる。

 リゼも涙を浮かべながら、うんうんと熱心に聞いていた。


 母は竜炎教の教会に通い詰めるようになり、今日ははじめてアンナを連れて来たのだという。

 アンナには、教会に集まる人々や司祭と名乗る男の雰囲気は異様に見えた。それで、その雰囲気とは違う俺達に助けを求めたそうだ。


「では助けてほしいというのは……」

「やめさせたいのっ!」

「そうだよな」


 いたいけな少女の願いだ。聞き届けたいところだが、しかし、なあ……。


「少女よ、そんなに簡単な話ではないぞ」


 教会の影から、ハンスが躍り出てきて言った。少女はびっくりしたのか、「ひっ」と声をあげたが、リゼが「悪い人じゃないよ」と言うと、姿勢を正していた。

 ハンスは少女の前で膝を折り、目線を合わせた。

 意外に紳士だな。


「あれは君の母にとって救いなのだ。辞めさせるのは困難だ」

「ただ、あの宗教はまずい。お前の話と司祭の話を合わせて考えるに、竜人になりたがっているようだしな」

「えっ!? じゃあ本当にやめさせなきゃっ」


 少女が大声をあげた。

 そう、そうなんだ。今は本物の竜火薬は手に入っていないかもしれないが、いつか本物を手に入れるかもしれない。

 そうなれば、信者のうちの誰かが竜人にされてしまうだろう。こんな街で竜人化しようものなら、パニックになり騎士が飛んできて殺されてしまいかねない。

 そうならずとも、アンナの母親がアンナの目の前で人を殺すということも考えられる。


 俺は、そんなことにはしたくない。


 だが、今、俺達にできることなどあるのだろうか? 考えても、何も思い当たらない。


「竜人化させる竜火薬というのは、炎のように常に揺らめいている半液体の薬なのだ。少女よ、今は君がそれに注意するほかあるまい」

「……そうだな、正直、今はそれくらいしか方法がない」

「……わかったっ! そのお薬を飲まなきゃいいんだねっ?」

「ああ、それさえなければ彼の教団も無害よ」


 少女は力強く頷き、右手を挙げて「わかったっ!」と返事した。まるで天啓でも得たかのように元気に振る舞う姿に、ちくりと胸が痛む。

 怪しまれるといけないと彼女を母親の元に送り返し、俺達は司祭の話が終わるまで中で待つことにした。


 ああは言ったが、できることはしておきたい。

 今できることと言えば、司祭から詳しく話を聞き出すことくらいだろう。隣で母親を心配そうな目つきで見つめているアンナを、これ以上辛い目に遭わせないために。

 あとは、念の為、竜火薬の効能を中和する解竜薬の材料も集めたい。こちらは容易ではないが……やるほかないだろう。

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