第18話 イタズラ心を隠してよ
魔法塗装――それは、魔力を込めたペンキを使ったコーティング作業のこと。
基本的に住居の壁に塗ることが多く、その効果は虫除けや撥水などといった分かりやすいものから、塗装物に対して敵対行動を取った相手に対し自動で魔法による反撃を行うなんてものまで様々なのだとか。
ハルマへ移動の馬車の中、そうした基礎知識をライネから教えてもらった私は、満を持して魔法塗装の工房へ足を踏み入れた。
「なるほど。屋敷の防御力をですか」
テーブルを挟んで向こう側に座る男性スタッフは、こちらの目をまっすぐ見て繰り返し頷く。
「ちなみに、今の段階で仮想敵とかっています?」
仮想敵、言葉は物騒だけど魔法塗装するには重要な確認なんだろうな。
答えとしては私たちの命をつけ狙う妙な団体ってことになるだろうけど、こんな場で口に出していいものだろうか。
私が心をざわつかせながら見守っていると、ライネは腕を組んで視線を天井へ向けた。
「仮想敵……盗賊みたいな感じですかね。小さいながらも、屋敷なので防犯はしっかりしておきたいなと」
「なるほど、人相手ですか。それは、高くつきますね」
高くつくんだ。
大きな魔物とかじゃないから、むしろお安めかと思ってた。
こちらの落胆した空気を感じ取ってか、男性は肩をすくめて苦笑いを浮かべた。
「魔物と違って、人は殺すわけにいきませんから。拘束する必要があるので、バインド系の魔法を使うことになるんですけど、生かさず殺さずというのは難しくて代金の方も上がっちゃうんです」
事情を聞けば納得ではある。
どちらにしろ、コンプライアンスのこともあって、最初から人的被害は最小限にしたかったわけだから、そういう事情なら受け入れざるを得ない。
ルコは椅子の上であぐらをかいて、頬杖をついた。
「高くなるくらいなら、対象に変な気とか遣わなくていいぞ。どうせ、ろくでもない輩なんだし強力な魔法で殺しきるくらいで構わない」
「それは、私が許可できないよ」
「ああそっか、コンプライアンスがあるもんな」
「倫理観の問題だよ」
「ならいっそ、跡形もなく消しされば証拠も隠滅できるんじゃないか?」
「分かった。あなたは、ちょっと黙ってて」
私がルコの口元を手で隠すと、スタッフは肩をすくめて遠慮がちに笑った。
「実際、そういう声も少なくはないんですけどね」
「そうなの?」
「最近、業界全体に、攻めは最大の防御という考え方が広まってまして。防御というより抑止の観点から、威力高めの塗装を施すお客様が増えつつあります」
「知らない間に、世の中がどんどん野蛮になってるんだね」
そりゃ、ネクロマンサーを根絶やしにしようと考える輩も出てくるわけだよ。
私は額に手を当てながら、上目遣いでスタッフの顔を覗き込んだ。
「けど、塗装屋さん的には対人用と言ったら、バインド系がおすすめなんだよね?」
「そうですね。塗装箇所に、悪意を持った人物が近づくことで発動するタイプのものをおすすめします。人相手だと、これが一番オーソドックスなんですけど、防御というより防犯に近いかもしれませんね」
「ちなみに、話の中で出た『悪意を持った人物』って具体的にどんな人を指すの?」
「そこも自由に設定できます。住人に対する強い殺意がある場合に反応するタイプから、ちょっとイタズラしてやろうって気持ちにまで反応しちゃうタイプまで様々です」
「イタズラ心にまで反応されたんじゃ、ちょっと困るよね」
私がちらりとライネに目を向けると、彼女は姿勢を正し滑舌よく答えた。
「はい、困ります」
「即答だね。もう少し、私に対してのイタズラ心を隠してよ」
「エスタをイジるのは、もはやライフワークなので。ルコもそう思ってますよね?」
「無論だな」
得意気に笑みを浮かべ、何故か私の頭を撫でる二人。
とても、主人に向けてキラキラした瞳で言うことじゃないよ。
「というわけで、殺意に対して発動する拘束魔法の塗装でお願いします。拘束具合は死なない程度に強力な奴で。あっ、神聖属性は使わないようにお願いします。アレルギー持ってる人がいるので」
「分かりました。そうなると、お支払いはこのくらいになります」
淡々と告げ、紙に代金と内訳を書き込んでいくスタッフ。
想像を超えた額に、こちら側全員の表情が硬直する中、ライネが代表して震えた声で尋ねた。
「白金貨、十枚超えるんですか?」
「そうですね」
「もう少し、まけてもらえたりは……」
「申し訳ありませんが、こちらとしてもこの額が限界でして」
「……少し、待ってくださいね」
ライネは「ふう……」と一息ついた後、私に微笑みかけた。
「エスタ、当主の名前で領収書切っても構いませんか?」
「ダメダメ。そんなの、勝手にやったら怒られるよ。最低限の資金援助のみを条件に家出を許してもらってるんだから」
ぶんぶんと横に首を振ると、ルコが呆れたように顎を掻く。
「前々から思ってたけど、これって家出じゃないよな。金持ちの娘のワガママな道楽だろ」
「そのうち、自立するからいいんだよ」
耳が痛くなるようなことを言わないでほしい。
そのために、必死になって投げブツ獲得に取り組んでるんだから、今はまだいいの。
ライネは財布を開くと、中身をしげしげと見つめる。
「困りましたね。貯金を、ほぼ全額吐き出せば、払えるには払えますけど。そうすると、今月残りの生活が……」
「必要経費だと思って割り切るしかないんじゃない? ウチ、網戸並みの脆弱さなんでしょ?」
「ただの網戸じゃないです。だいぶ、日に焼けて年季の入ったレベルの奴です」
「どうだっていいよ。……よくはないか」
結局、選択の余地のない私たちは購入を決意。
塗装作業を自分たちで行うことを理由に、端数を割り引いてもらい、ペンキをそのまま持ち帰ることとなった。
職人でもない素人が、ろくな包装もせず、むき出しのままのペンキ缶を手に工房から出てくるってあんまりないよね。
命を守るためとはいえ、はたして、これが令嬢の姿でいいのだろうか。
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